岩波版92-93頁に挙げられている例は、「伯爵の同性愛という既に周知のテーマへのほのめかし」についてですが、次の箇所については、訳文では同性愛や肛門性愛へのほのめかしの所在がわかりにくい気がします。
「たとえ芸術の女神たちが彼を好まずとも、彼は言葉の守護神を手中にしています。というより力で言うことをきかせています。なぜならこの守護神の自ずからなる愛を得ることができず、この若者のこともしつこく追い回さなければならないからです。彼は外的形式しか捉えられず、それは見事に円熟しているとはいえ高貴な表現とは無縁なのです」。(岩波版93頁)
まず、「言葉の守護神Genius der Sprache」ですが(辞書では「言霊」という意味も載っていますが)、これは男性形であって、「芸術の女神Muse」という女性形で示される神と対比されていることが目を引きます。
次に、「力で言うことをきかせています」は「Gewalt antun」ですが、これには、「乱暴する」「(女性に)暴行する」といった意味が辞書に載っています。
「しつこく追い回さなければならずnachlaufen」は、後ろから追いかけることですから「尻を追い回す」というニュアンスを隠しているでしょうし、「外的形式aeusseren Formen」はむしろ「外形」であって、「見事に円熟しているとはいえtroz ihrer schoenen Rundung」はお尻が「丸みを帯びているとはいえ」ということでしょう。
これらが、伯爵の文芸に対する批評とも受け取れる表現のなかに散りばめられているように訳さなければなりませんので、うまく訳すことはかなり難しく思います。拙訳も成功しているとは思えませんが、以下のようになりました。
「たとえ芸術の女神たちが彼を好まずとも、彼は言葉の守護神を手中にしています。というより彼を[性的に]暴行しています。なぜならこの守護神の自ずからなる愛を得ることができず、この若者をもしつこく後ろから追い回さなければならないからです。彼には、表面的な形式[=外形]しか捉えられませんが、それは見事な円熟[=美しい丸み]を帯びているとはいえ、けっして高尚にあらわれることのないものです」。(拙案)
フロイト全集 (8)
フロイト(著), 新宮一成(編さん)
出版社: 岩波書店 (2008/03)
この機知から私は、80年代英国の男性4人組ロックバンド「ザ・スミス」の名曲『ハンド・イン・グローブ』の歌い出しを思い出しました。女性ものの花柄シャツを着て身をくねらせながら甲高い声で歌うボーカリストと、ずば抜けた美形のギタリストが中心メンバーで、その歌詞の内容などから、メディアからは同性愛を疑われ続け、一方でメンバーはそのように疑うメディアの方をからかい続けていたらしいです。で、曲の歌い出しはこうです。
Hand in glove / The sun shines out of our behind
No, it's not like any other love / This one is different / Because it's us!
「Hand in glove」は成句で、辞書によれば「親密な」という意味です。
次の「The sun shines out of our behind」は、辞書には「the sun shines out of sb's ass」「think the sun shines out of sb's bum(behind, backside, bottom, ass, asshole)」などの形で載っており、「誰々をこの上ないものと思う」という意味の成句です。所有代名詞が「our」ですから、自分たちをこの上ないものと思う、ということになりますし、それに続く詞も二人の愛は特別なものであることを歌い上げています。ここでの「behind」とは、辞書で「ass」などの語と並んでいることからもわかるように肛門のことであり、直訳すれば「誰々を、その肛門から太陽が差してくるぐらいに素晴らしいものと思う」ということです。
歌詞カードの訳詞では無難に男女恋愛についての曲として訳されていたように記憶していますが、この曲ではアーティストが自ら男性間の肛門性愛をほのめかした言語遊戯を楽しんでいるのだと私は考えています。
こう考えてくると、はじめの「Hand in glove」という成句についても、元々の意味にかえって、「手袋と手のようにぴったり合っている」という意味に、すなわち、何かと何かが、鍵と鍵穴のような、凸と凹との密着した関係になっているという意味に考えたくなります。
Hatful of Hollow The Smiths (CD - 1993)
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