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2007年12月 3日 (月)

フロイト全集18から『自我とエス』

 先週『快原理の彼岸』を読み、欲動や反復強迫について、脳や精神に局在するものではなく、単なる生体小胞にも存在するものと考えるべきであることを再確認しました。それらの作用は、小胞、細胞の集団、多細胞生物の個体、そして精神を構成する審級といった、さまざまな単位について仮定することができます。

 これをふまえて『自我とエス』を読みました。そのおかげで、特に第5章の、自我、エス、超自我という審級の間で攻撃性や罪責感が作用しあう事態の説明が、これまでになく良く理解できたと思います。翻訳が良いので、原書を参照せず一気に読み通したことも理解を助けたと思われます。

 ざっと読んで翻訳に気になった箇所は以下の箇所です。

「しかしそれならむしろ、なぜわれわれも、哲学者たちと歩調を合わせて、前意識ならびに無意識的なものを、意識されている心的なものときっぱり切り離そうとしないのだろうか。そうすれば哲学者たちも、前意識的なものと無意識的なものを、二種類ないし二段階の心もどきなるものとして記述したらどうか提案してくれ、それでなんとか折り合いもつくかもしれない。しかしながら、そうなると、叙述における困難な問題がとめどなく出てくることになり、これら二つの心もどきが、明々白々の心的なものと他のほとんど全ての点で一致している、というとてつもなく重要な事実が背後に押しやられて、かつての偏見、これら心もどきやその極めて重要な意義がまだ知られていなかった時代に発する偏見[心的なものは意識的なものだけだという偏見]が、優勢になってくるのは必定である。」(岩波版p7、下線は引用者)

 引用箇所で「これら心もどきやその極めて重要な意義がまだ知られていなかった時代」はおそらく誤訳で、「これら心もどきや、なかでも最も重要なもの[=無意識的なもの]がまだ知られていなかった時代」が正しいだろうと思います。

フロイト全集 18 1922-24年 (18)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/08)

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