« フロイト全集18から『神経症および精神病における現実喪失』 | トップページ | もっと充足されるのを容認すべき欲動 »

2007年12月23日 (日)

フロイト全集18から『精神分析への抵抗』

 これは、精神分析への反対意見に対する反論としては今なお通用する内容で、非常に興味深く読める論文と思います。

 これをざっと読んで気になったのは、以下の二箇所が互いに矛盾するように思われたところです。

「・・・人間の文化は二つの支柱の上に乗っかっている。ひとつは自然の諸力の支配である。今ひとつは、われわれの欲動の制限である。縛られた奴隷たちは女王の玉座を支えている。そのように馴致されて支えている欲動成分のうちでも、狭い意味での性欲動の諸成分は、強さと粗暴さという点で抜きん出ている。それらが解放されるなど、考えるだにおぞましい。玉座はひっくり返され、女王は足蹴にされることだろう。社会はこのことを心得ており、それが話題となることを望まないのだ。
 とはいえ、なぜそれを語ってはいけないのか。それを論じれば、どんな害があるというのか。精神分析は、公益に反する欲動を解き放てなどとは、これまで一度として口にしたためしはない。逆にむしろ、その危険について警告し、欲動の陶冶を勧告してきた。」(岩波版p332-3)

「 ・・・精神分析は、欲動の厳しい抑圧を和らげ、その代わりにもっと誠実であることを提案する。ある種の欲動の蠢きを社会は過度に抑え込んでいるが、これらがもっと充足されるのを容認すべきである。また他の欲動については、抑圧を通して抑え込むという目的に相応しくない方法をやめ、より良い、もっと確実なやり方で置き換えるのがよい。」(岩波版p334)

 前者で「精神分析は、公益に反する欲動を解き放てなどとは、これまで一度として口にしたためしはない」と言い、「欲動の陶冶を勧告してきた」と言っているのに、後者では、もっと欲動に譲るべきだと述べているのが、どうにも相容れない気がするのです。そもそも「欲動の陶冶」が可能かどうか疑問ですし、フロイトが使いそうにない表現のように思われます。

 原文にも当たって考えてみたのですが、まず、訳文内の「公益に反する」は原文では「gemeinschaedlich」です。独和には「公安を害する」とありました。しかしこれは「gemein」が「共同の、共通の、公共の、一般的な」という意味、「schaedlich」が「有害な」という意味の合成語です。「公益」という訳語から私は社会保安的な、体制側の都合を感じてしまったのですが、ここはむしろ単に「公衆に害をおよぼす」といった意味なのでしょう。

 次に、「解き放て」ですが、原語では「Entfesselung」で、前段落の「縛られた奴隷たちgefesselte Sklaven」の「縛り」を解くことにあたりますから、前段落の比喩を引き継いでいると考えられ、この点は訳文でも明示すべきと思います。

 さらに、「その危険について警告し、欲動の陶冶を勧告してきた」の部分で、「その危険について」「欲動の」はいずれも訳者による補足です。よって、「欲動の陶冶」という表現はフロイトの原文になく、単に「Besserung改良」で、何を改良することなのかは書かれていません。上に挙げた二つ目の引用箇所中に、「より良い、もっと確実なやり方で」とありますが、ここに「より良いbesser」という語が用いられていることをヒントにしてよいならば、改良すべきなのは欲動ではなく、むしろ社会のやり方のほうだとかんがえられます。

 これらはいずれも微妙な変更ではありますが、一つ目の引用箇所の第二段落を以下のように変更してみたいと思います。

「とはいえ、なぜそれを語ってはいけないのか。それを論じれば、どんな害があるというのか。精神分析は、公衆に害をおよぼす欲動を縛りから解き放てなどとは、これまで一度として口にしたためしはない。逆にむしろ、警鐘を鳴らし、[方法の]改善を勧告してきた。」(代案)

 もうひとつ、二つ目の引用箇所で、「もっと充足されるのを容認すべき」欲動という箇所は、「もっと」というより、「もう幾分か」といった感じに思います。

 訳としてはあまり変わりませんが、このように考えてきて、私自身はだいぶ納得できるようになった気がしますが、いかがでしょうか。

フロイト全集 18 1922-24年 (18)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/08)

« フロイト全集18から『神経症および精神病における現実喪失』 | トップページ | もっと充足されるのを容認すべき欲動 »

フロイト」カテゴリの記事

フロイト全集(岩波書店)」カテゴリの記事

コメント

この論文でおもしろいと思ったのは、人々の精神分析への反発を、分析治療における患者の抵抗に譬えているところです。「人類全体を患者として診るというのは大変なことだから」といった記述にはニヤリとしました。しかし、実際にフロイトが世の中におよぼした影響を考えると、あながち比喩的な表現とも言いきれないところがまたすごい。

ご指摘の事柄は大変参考になりました。二番目の引用でフロイトが想定している、欲動の充足を容認したり、抑圧とは別の方法で置き換えるような社会というのは、具体的にはどんな社会なのでしょうね。フロイト自身が節度を保った生活をしていたことを考えると、人々が享楽的な生活を存分に追及するような社会のことではないとは思うのですが。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: フロイト全集18から『精神分析への抵抗』:

« フロイト全集18から『神経症および精神病における現実喪失』 | トップページ | もっと充足されるのを容認すべき欲動 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ