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2008年2月

2008年2月18日 (月)

フロイト全集9より『舞台上の精神病質的人物』

 この論文に書かれている演劇(戯曲)論は、無意識的なメカニズムから論理を積み上げて説明されるのではなく、かなり現象に即して語られており、そのため非常にわかりやすい論になっていると思います。精神分析の論文としてはやや物足りないのは確かですが。

 この論文はこれまで未訳だったものでして、じつは私もかつて全訳を試みてホームページにすでに公開しているんです。その後に公刊された岩波版『フロイト全集』の訳と見比べてみると、拙訳の方がかなりの直訳ということもあって全くスタイルが違うので、両方の訳にそれなりの存在価値がありそうに思うので、現在もそのまま公開中です。

 今回から、両者を見比べながら大きな相違点についてひとつずつ考察してみます。

ちょうど、お笑いや機知などが、われわれの知的作業のなかから、普通ならそこに現れた試しがないような数々の快の泉を打ち開くのと同じである。(岩波版p173)

[まさに]これは滑稽や機知の場合に[常日頃]そうした数多くの源泉を到達不能にしてきた我々の知的作業からの源泉の蓋を開けるのと同様である。(拙訳)

 ここは原文では、「aus unserer Intelligenzarbeit, durch werche [sonst] viele solcher Quellen unzugaenglich gemacht worden sind」、つまり「普段はわれわれの知的作業のせいで、快の源泉へは接近不能になっていたのだが、まさにその知的作業から(快の源泉を開く)」というところが面白いところだと思います。なので、ここには(並べてみると拙訳は文章が下手だなあと感じつつも)拙訳のニュアンスが必要ではないかと思うところです。

フロイト全集 9 1906-09年 (9)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/11) 

2008年2月13日 (水)

フロイト全集18から『夢解釈の理論と実践についての見解』(5)

 この論文の翻訳の問題についてはこれで5回目ですが、ひとまずこれで最後にしようと思っています。

「夢にたいするこうした干渉を許すかどうかはひとえに、批判をこととする自我審級にまかされており、それゆえ、この審級が無意識の欲望成就から刺激を受けて、睡眠状態のあいだ一時的に再生したと想定せざるをえない。この審級は、そうした欲望されざる夢内容に対して反応し、[夢をみていた人を]覚醒させることもできたかもしれない。」(岩波版186頁、下線は引用者)

 ここは、「欲望成就」がすなわち「欲望されざる夢内容」だということになってしまっています。前者は無意識にとって「欲望成就Wunscherfuellung」ですが、後者は、批判的審級からみて「望ましくないunerwuenschten夢内容」だということで、原書では微妙に異なる語を用いられていることでもありますから、訳し分けた方がいいでしょう。

「夢にたいするこうした干渉を許すかどうかはひとえに、批判をこととする自我審級にまかされており、それゆえ、この審級が無意識の欲望成就から刺激を受けて、睡眠状態のあいだ一時的に再生したと想定せざるをえない。この審級は、そうした望ましからざる夢内容に対して反応し、[夢をみていた人を]覚醒させることもできたかもしれない。」(代案)

 ちなみにこのなかの「刺激を受けてreizen」は、181頁や182頁にでてくる「医師から受けた刺激」「医師の刺激」といったあたりの「Anregung」とは別の語で、後者はむしろ「そそのかし」ぐらいに訳すべきところです。

 この論文の最終段は自我理想の概念についてきわめてクリアに述べていますね。この自我理想の起源であった対象との関係について、『集団心理学』の論文の図が思い出されます。

フロイト全集 18 1922-24年 (18)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/08)

 訳が悪い悪いと言いながら、光文社古典新訳文庫の続刊が出ていたので買ってしまいました。タイトルは『人はなぜ戦争をするのか』です。

2008年2月 7日 (木)

フロイト全集18から『夢解釈の理論と実践についての見解』(4)

 しつこくこの論文の翻訳について。私には次の文も意味が取りづらく感じられました。

「無意識の空想に対しては、想起感情を期待することはまったくできないが、当人の主観的な確信が残っているということは、場合によっては考えられる。」(岩波版183頁、下線は引用者)

 下線部は、原文では「moeglich bleiben」なので、「やはり可能なままである」とか「可能性が残っている」といった意味です。岩波の訳文は、形容詞「moeglich」を、副詞「moeglicherweise」のように受け取ってしまっている気がします。次のように訂正したいです。

「無意識の空想に対しては、想起感情を期待することはまったくできないが、当人の主観的な確信感情はやはり[現れる]可能性が残っている。」(代案)

 あとは、同じ頁の後ろの方にもう一箇所、本当に些細な点ですが、主語が抜けている箇所があって、フロイトなのか患者なのか明示することが必要と思います。

私は、彼のみた夢は予想もできなかった個別的な事柄の総和であること、治療中の彼のふだんの行動は、迎合に由来するものでは全くないことを、弁じたてたものである。(岩波版183頁、下線は引用者)

私は、彼のみた夢は私が予想もできなかった個別的な事柄の総和であること、治療中の彼のふだんの行動は、迎合に由来するものでは全くないことを、弁じたてたものである。(代案)

フロイト全集 18 1922-24年 (18)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/08)

2008年2月 5日 (火)

フロイト全集18から『夢解釈の理論と実践についての見解』(3)

 この論文についての続きです。次の部分は、訳文だけでは私には意味が取れませんでした。

「右に述べた前意識的な夢思考の関与部分を別とすれば、まともな夢はいずれも、みずからを形成するに足るだけの、抑圧された欲望の蠢きへの示唆を含んでいる。これを疑う人はいうであろう、欲望の蠢きが夢のなかにあらわれるのは、夢をみた人が、そういう蠢きを提示しないといけない、つまり精神分析家がそれを待ち望んでいると承知しているからにほかならない、と。」(岩波版181頁、下線は引用者)

 「関与部分」というのは変な日本語ですが、原書では「Anteil」なので、「因子」「成分」とか、単に「部分」ぐらいの意味です。それはいいとしても、「みずからを形成するに足るだけの」は「みずからを形成させてくれるだけの」に変えたいですし、「欲望の蠢きへの示唆」は、「Hinweise auf die verdraengten Wunschregungen」ですので、「欲望の蠢きについての(われわれへの)示唆・ヒント」です。それと、次の文の主語は、三人称複数代名詞「sie」ですが、これは上記の「示唆・ヒント」を示していると思います。よって以下のように修正します。

「右に述べた前意識的な夢思考という因子[=関与部分]を別とすれば、まともな夢はいずれも、みずからを形成させてくれる抑圧された欲望の蠢きについての示唆を含んでいる。これを疑う人はいうであろう、そうした示唆が夢のなかにあらわれるのは、夢をみた人が、そういう示唆を提示しないといけない、つまり精神分析家がそれを待ち望んでいると承知しているからにほかならない、と。」(代案)

 ここらへんは、無意識的な因子の付加について説明しているというふうに読んで意味が通るようになったと思います。

フロイト全集 18 1922-24年 (18)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/08)

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