フロイト全集9より『舞台上の精神病質的人物』
この論文に書かれている演劇(戯曲)論は、無意識的なメカニズムから論理を積み上げて説明されるのではなく、かなり現象に即して語られており、そのため非常にわかりやすい論になっていると思います。精神分析の論文としてはやや物足りないのは確かですが。
この論文はこれまで未訳だったものでして、じつは私もかつて全訳を試みてホームページにすでに公開しているんです。その後に公刊された岩波版『フロイト全集』の訳と見比べてみると、拙訳の方がかなりの直訳ということもあって全くスタイルが違うので、両方の訳にそれなりの存在価値がありそうに思うので、現在もそのまま公開中です。
今回から、両者を見比べながら大きな相違点についてひとつずつ考察してみます。
ちょうど、お笑いや機知などが、われわれの知的作業のなかから、普通ならそこに現れた試しがないような数々の快の泉を打ち開くのと同じである。(p173)
[まさに]これは滑稽や機知の場合に[常日頃]そうした数多くの源泉を到達不能にしてきた我々の知的作業からの源泉の蓋を開けるのと同様である。(拙訳)
ここは原文では、「aus unserer Intelligenzarbeit, durch werche [sonst] viele solcher Quellen unzugaenglich gemacht worden sind」、つまり「普段はわれわれの知的作業のせいで、快の源泉へは接近不能になっていたのだが、まさにその知的作業から(快の源泉を開く)」というところが面白いところだと思います。なので、ここには(並べてみると拙訳は文章が下手だなあと感じつつも)拙訳のニュアンスが必要ではないかと思うところです。
フロイト(著), 新宮一成(編さん)
出版社: 岩波書店 (2007/11)






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