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2008年4月 1日 (火)

フロイト全集9より『舞台上の精神病質的人物』(5)

 この論文について、岩波版フロイト全集の訳を用いて、かつて私が作成した訳の間違いを探すシリーズの5回目です。

 なぜなら、抑圧された心の蠢きを公然と露出させ、これをある程度まで意識化して是認することが、もっぱら嫌悪をもたらすのではなく、むしろ快をもたらしてくれるといった可能性は、神経症者においてしか望めないからである。神経者でない場合には、そうした是認は、ひとえに嫌悪されるだけであり、あらためて抑圧の行いをくりかえそうという態勢を呼び起こすだけである。というのも、そうした人たちにあっては、すでにこの抑圧は成功している。つまり、抑圧された心の蠢きが、かつてなされたあの一度の抑圧消費によって、完膚なきまでに相殺されているからである。ところが神経症者の場合は、この抑圧は、今にも崩れそうなほど不安定になっており、つねに新たな消費をつぎこむことが必要である -この消費は、抑圧された心の蠢きが是認されたときはじめて不要となるものだからである。この種の闘いが劇の主題となりうるのは、もっぱら神経症者においてのみであるが、むろん、こうした神経症者の場合でも、詩人は、解放の悦びだけを産み出すのではなく、そうはさせじとする抵抗をも産み出すことになる。(岩波版178頁、下線は引用者)

 というのは、ただ神経症者にとってのみ、抑圧された動きの露呈やそのある程度の意識的再認が、単なる嫌悪に代わる快楽を準備しうるからである。すなわち非神経症者においては、そのような動きは単なる嫌悪に遭遇し、抑圧行為を反復しようという心構えを単に招くだけであろう。というのも、非神経症者ではこの抑圧は成功してきたのであり、抑圧された動きは、一回限りの抑圧労力で完全な平衡状態に保たれてきたからである。神経症者の場合、抑圧は失敗しつつあって、不安定で、確実に新たな労力を要する。ただしこの労力は、再認によって省くことができるだろう。神経症者においてのみ、劇の題材になりうる闘争が存続し、作者は神経症者に単なる開放の享楽ではなく、抵抗をも引き起こす。(拙訳)

 ひとつ目の下線部は、原文の代名詞が示すものが何かという点で岩波版と拙訳が異なっています。文法的にはどちらも可能ですが、ここでは非神経症者が劇を観ているときのことを言っていると考えれば、岩波版の方が良さそうです。

 ふたつ目の下線部は、原文では単なる関係詞節ですが、岩波版では前文の理由を示す節として訳されています。ここは、抑圧された動きを認めることによって不要になった消費のエネルギーが、快楽をもたらすことを言いたいのであって、むしろこの節は次の文で示される事態の理由になっています。よってここは拙訳を取りたいです。

 次の箇所に移ります。

これによって抵抗がいくぶんかでも抑えられることは確かなところである。それは、分析作業においても見られるところであり、抑圧されたものは、通例意識への進入を拒まれているにもかかわらず、抵抗が小さくなると、そのひこばえが意識へとのぼってくるのである。(岩波版179頁、下線は引用者)

その結果抵抗の一部が省かれることは確かであり、それは分析中にみられる次のような場合と同様である。すなわち、抑圧されたものの派生物は、抑圧された当のものを拒んでいる抵抗が減少する結果として意識へ到来するのである。(拙訳)

 ひとつ目の下線部は、前の引用箇所では岩波版で「不要になる」と訳されていた語が用いられているので、揃えた方がいいでしょう。労力が不要になって、あまったエネルギーが快に変わるという事態が大切です。

 ふたつ目の下線部ですが、「抑圧されたもののひこばえを拒んでいる」という関係詞節の先行詞が、岩波版では「意識」であり、拙訳では「抵抗」です(die Abkoemmlinge des Verdraengten infolge des geringeren Widerstandes zum Bewusstsein kommen, das sich dem Verdraengten selbst versagt.)。この箇所はやはり岩波版が正しいと思います。しかし、岩波版のように「抵抗が小さくなると、そのひこばえが意識へとのぼってくる」のではなく、「そのひこばえたちは、それらへの抵抗が小さいので、意識へとのぼってくる」のだと思います(論文「抑圧」参照)。ただし拙訳でもそのようには読みがたいので、次のように改めたいです。

その結果抵抗の一部が省かれることは確かであり、それは分析中にみられる次のような場合と同様である。すなわち、抑圧された当のものは意識へ到達できないが、抑圧されたものの派生物たちは、それらへの抵抗が小さいので、意識へ到来するのである。(代案)

フロイト全集 9 1906-09年 (9)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/11) 

 こうして比較してみると実に勉強になります。

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