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2008年4月16日 (水)

フロイト全集9より『舞台上の精神病質的人物』6

 この論文について、かつて作成した拙訳を岩波訳と比較してきたシリーズの最終回です。 

というのも、神経症の病者とは、われわれにとっては、その内部にいかなる葛藤が渦巻いているのか -それが動かしがたい域に達しているような場合には- まるで想像も付かないたぐいの人種だからである。(岩波版p180)

というのは、罹患中の神経症者の葛藤は、我々にとって、彼が葛藤を既存のものとして携えている場合には、全く見抜くことが出来ないからである。(拙訳)

 ここで岩波版で「動かしがたい域に」と訳されている「fertig」という語は、岩波版176頁で「すでに仕上がっている」、180頁の後半でjは「完全に出来上がった」と訳されており、こここでのみ「動かしがたい」と訳し分けなくても良いのではないかと思います。拙訳が採用した「既存の」という語もさほどよいとは思いませんが。

 次です。

とするなら、詩人の課題は、われわれを病者と同じ病気の状態に移し置くということになるわけで、これがもっともうまくいくのは、われわれがこの病者と同じ病的展開をたどっているときということになるだろう。(岩波版p180)

作者が、我々をしてこの疾患に身を置かせることを課題としていることもありうるが、これは我々がストーリーの展開に作者と一緒に参加する際に最も良く起こる。(拙訳)

 原文の代名詞が指す人物を、岩波版は「病者」、拙訳では「作者」としています。私は、「作者」以外の名詞は前の文に出たきりなので遠く感じられ、「作者」としましたが、岩波版を見て考え直しますと、意味からしてやはり「病者」としたいと思います。

バールの『もうひとりの女』には、どうやらこの手の失敗がのぞいているように思える。加えて、もう一つ問題ばらみの失敗にも気づかされる。すなわち、われわれは、この主人公の娘を充分に満足させるのにどうしてもこの一人の男でなければならないという点に、はっきり確信をもって共感できないということ、つまり彼女の事例が、われわれに共通のものになりえていないということである。(岩波版p180-181)

この〈前々段の条件1に関わる〉欠陥を、バールの『他の人々へDer Anderen*2』が提示している。それに加えて、問題となるもう一つの〈条件2に関わる〉欠陥がある。すなわち、ある男性が娘を十分に満足させるという特権性を持つということについて、その心情を感じ取って納得することなど我々にはできないということである。彼らの場合はそれゆえ我々には該当しない。(拙訳)

 作品タイトルの「Der Anderen」を、私は複数形ではないかと思ったのですが、岩波版では女性単数とされています。ただし拙訳のほうが正しいと言い切る自信はないです。

 それと、岩波で「彼女の事例」とされている「Ihr Fall」のIhrも、私は複数と思いました。すなわち、ある女性と、その女性にとって特権的男性の両者を指すと考えたのです。しかしこれも拙訳のほうが正しいと言い切る自信はないです。

 これまで6回に分けてみてきましたが、大変勉強になりました。本邦未訳論文はまだいくつかありますので、そのいくつかは、岩波から出る前に自分で訳してみたいと思うようになりました。

フロイト全集 9 1906-09年 (9)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/11) 

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