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2008年6月10日 (火)

フロイト全集9より『W.イェンゼン著「グラディーヴァ」における妄想と夢』2

 この論文について二回目ですが、訳語について少し触れましょう。

表象が抑圧されるのは、起こってはならない感情迸出とその表象が結びついているからという理由の場合のみである。抑圧が関係するのは感情である、と言えばより正確だろう。ただわれわれが感情をとらえることができるのは、まさに感情が表象に拘束されている場合のみなのであって、それとは違うやり方で感情をとらえることはできないのである。(岩波版54頁)

 「迸出」と訳されているのは「Entbindung」で、その二つ後の文に出てくる「拘束される」の原語「Bindung」と明らかに関連しているんですけれど、訳文からはこの関連が読み取れません。私はかねがね、この「Entbindung」なる語の訳は「脱拘束」とするのが良いだろうと思っています。「感情迸出」は「感情の脱拘束」となります。

 なお、上の引用のうち「感情が表象に拘束されている場合のみ」のところは、「感情を表象に拘束することによってのみ」が正しいと思います

 次です。

したがってこれが、顕在的夢内容が実現する着想なのであり、その着想は、夢見る人が体感する現在であるかのごとくに描かれるのである。
 夢がたったひとつの夢思考の上演であることはほとんどなく、たいていの場合は、一連の思考、思考の織物が演出される。ハーノルトの夢からも、夢内容のさらに別の構成要素を浮かび上がらせることができる。その要素の歪曲は容易に取り除くことができるので、それによって代表されている潜在的夢着想が何なのかがわかる。(岩波版66-67頁)

 「着想」というとふつう意識的な思いつきのことを指すと思っていた私は、この部分での「着想」なる語の使い方を見て戸惑いました。原書を見ると、ここで「着想」と訳されているのは「Idee」なので、「観念」か「想念」ぐらいがいいんじゃないでしょうか。

フロイト全集 9 1906-09年 (9)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2007/11)

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