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2008年7月14日 (月)

フロイト全集8から『機知』(3)

 この論文の第二節第6段では、ハイネにまつわる次の機知が紹介されています。

『ある夜、彼はパリのサロンで詩人スーリエと同席し、語り合っていた。そのうちに登場したのは、パリの大富豪で、お金の点でもその他の点でも神話のミダス王になぞらえられる人物であった。彼はやがて大勢に取り囲まれ、この上なく丁重な扱いを受けた。スーリエはハイネに言った。「まあ御覧なさい。あそこで十九世紀の黄金の子牛が崇拝されていますよ」。尊崇の対象をちらりと見て、ハイネは訂正するように答えた。「いやあ、あれはもっと歳を食ってますな」。』(岩波版53頁)

 このあと同種の機知がいくつか例示されたのち、この「黄金の子牛」に繰り返し触れながら次のように解明されていきます。

『かつて砂漠におけるユダヤの民がそうであったように、十九世紀の社会は「黄金の子牛」を崇拝していると、スーリエはハイネの注意を促した。それに対する適切なハイネの返答といえば、「そう、それが人間の性というもので、何千年経っても変わらないんですな」など、何か同意を表すものであろう。ところがハイネは、提起された発想には応答せず、そこから方向を逸らした。彼は「黄金の子牛」という句に含まれる二重意味を利用してわき道に入り、「子牛」という句の構成要素を捉えて、スーリエの発言の力点はそこにあったかのように、「いやあ、あれはもう子牛ではありませんな」云々と答えたのである。』(岩波版57頁、下線は引用者)

『ハイネの「黄金の子牛」の機知における二重意味も、これときわめて似た役割を果たしている。その二重意味によって、返答では、きっかけとなった思考過程から方向を逸らすことが可能となった』(岩波版60頁、下線は引用者)

 ここで疑問に思われるのは、57頁では、「提起された発想」、すなわちスーリエの発言に対する「適切な返答」「何か同意を表すもの」から逸らすことについて述べられていたにもかかわらず、60頁では「きっかけとなった思考過程」から逸らすことについて書かれているという点です。

 実は原文では、57頁の「提起された発想」は「angeregten Gedanken」、60頁の「きっかけとなった思考過程」は「angeregten Gedankengang」ですので、同じ過去分詞で形容されています。それが邦訳では提起される方と提起する方という正反対のものを指すことになってしまっているのです。よって60頁は次のように改めるべきと思います。

『ハイネの「黄金の子牛」の機知における二重意味も、これときわめて似た役割を果たしている。その二重意味によって、返答では、提起された思考過程から方向を逸らすことが可能となった。』(岩波版60頁に対する代案)

 なお、57頁の下線部はじつは原文と少し違っています。

『かつて砂漠におけるユダヤの民がそうであったように、十九世紀の社会は「黄金の子牛」を崇拝していると、スーリエはハイネの注意を促した。それに対する適切なハイネの返答といえば、「そう、それが人間の性というもので、何千年経っても変わらないんですな」など、何か同意を表すものであろう。ところがハイネは答える際、提起された発想から方向を逸らした。彼は「黄金の子牛」という句に含まれる二重意味を利用してわき道に入り、「子牛」という句の構成要素を捉えて、スーリエの発言の力点はそこにあったかのように、「いやあ、あれはもう子牛ではありませんな」云々と答えたのである。』(岩波版57頁に対する代案)

 ついでに訳語の好みについて言えば、ここで「思考過程」と訳されている「Gedankengang」には「思路」を当てたいです。岩波版のこの論文では、他の箇所で「Denkvorgang」も「思考過程」と訳されていますが、両者を区別しておきたいという狙いもあります。

フロイト全集 (8)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2008/03)

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