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2008年7月 7日 (月)

フロイト全集8から『機知』(2)

 岩波版55頁に次のような機知の例が挙げられています。

『公衆浴場の近くで二人のユダヤ人が出会った。一人が尋ねた。「あんた、ひと風呂浴びた[取った]かね?」すると、「なぜ?」ともう一人は答えた。「ひと風呂足りないのかね?」』

 返答のほうは、原文で「fehlt eins?」(ひとつ足りないのかね?)とされていて、「風呂」という語を含んでいません。これを受けてフロイトは次のように言っています。

『また、われわれの印象では、二人目のユダヤ人の答えで、「浴びる[取る]」という後が誤解されたということより、風呂という言葉が見落とされたことのほうが重要である。』(岩波版55頁)

 ところがもともとの機知の邦訳では「ひと風呂足りないのかね?」とされてしまったので、上のフロイトの説明が理解困難になってしまっています。

 さらに、上に引用した二箇所では、それぞれ「ひと風呂浴びた[取った]」「浴びる[取る]」と括弧書きでふたつの訳が併記されています(原語はnehmen)。しかし私としては、「風呂を貰う」という日本語の慣用表現を用いれば日本語でも両義性が成立し、括弧は不要になると思います。そこで、次のような訳を提案します。

『公衆浴場の近くで二人のユダヤ人が出会った。一人が尋ねた。「あんた、ひと風呂貰ったかね?」すると、「なぜ?」ともう一人は答えた。「ひとつ足りないのかね?」』(代案)

 なお、日本語の「貰う」という語は、驚くべきことに、同じく「nehmen」という語の多義性を扱った岩波版59頁の原注にもぴったりです。

『「取るnehmen」という語は多様に使うことができるため、語呂合わせを言うにはとても適している。そういった多様な使い方のうち、上述の遷移の機知とは反対の典型である例を紹介してみよう。有名な相場師で銀行の頭取でもある人が友人とリング通りを散歩した。コーヒーハウスの前で、彼は友人にこう提案した。「入って何か取り[飲み]ましょう」。友人は彼を押しとどめて言った。「いや宮廷顧問官どの、中には人がいますから」。』(岩波版59頁、下線は引用者)

 下線部を「貰いましょう」と訳し変えれば日本語でも両義性が成立し、括弧書きは不要となります。

フロイト全集 (8)

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2008/03)

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