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2008年8月13日 (水)

フロイト全集8から『機知』(7)

 前の記事へのコメントで私は、「クラカウへ・・・」という機知(ご存じない方は前の記事を参照してください)の解説部分(岩波版138頁)について、「小話の解釈にあわせた訳語、つまり話がわかりづらく複雑になるような訳語を故意に選択している箇所が何カ所かある」と書きました。それらはどれも完全な間違いとはいえない微妙な感じなのですが、少し見ていきましょう。

『この貴重な小噺は並外れた小うるささSpitzfindigkeitの印象を与えるが、不条理の技法を用いていることは明らかである。二番目の男は、自分はクラカウに行くと告げ、実際にそれが目的地だからといって、嘘つき呼ばわりされたのである。この強力な技法的手段 -不条理- は、ここではしかし、「反対物による提示」という別の技法と結びついている。というのも、最初の男の黙認されたunwidersprochenen主張によれば、二番目の男は真実を言っているときに嘘をついていることになり、嘘によって真実を述べているからである。けれども、この機知のより真剣な内容は、真実の条件についての問いである。この機知はまたある問題を指し示し、真実という概念をわれわれはしょっちゅう使っているけれども、その内実が不確かだということをうまく利用している。物事をありのままに記述しているが、聞き手の受けとめ方に無関心であるとき、それは真実なのだろうか? それとも、それは屁理屈的jesuitischな真実に過ぎず、本当の真実性とはむしろ聞き手のことを慮り、自分が持っている知識の忠実な写しを伝えるところにあるのではないのか。』(岩波版138頁:下線および独単語はここに引用する際に付加した)

 まず「Spitzfindig(keit)」ですが、小学館の大辞典では「1事細かに区別する、小事にこだわる、つまらないことにやかましい、むやみに細かい、屁理屈をこねる。2抜け目〈如才〉のない、利口な、明敏な」、博文社の(相良の)辞書では「1屁理屈をこねる、小うるさくとがめ立てする、揚げ足取りの、詭弁を弄する、狡猾な。2気の利いた、明敏な」とあります。岩波では「小うるさい」としていますが、「小うるさい」を国語辞典でも引いてみましたけれども、独和に挙げられている意味にぴったりきませんし、文脈にも合っていません。「細部拘泥」または「屁理屈」が良いのではないでしょうか。

 「unwidersprochenen」ですが、小学館では「反論〈反駁〉されていない」、相良では「反対〈否認〉されない」です。「黙認」という日本語は、過失とか誤謬を見逃すという意味が強いと思うのですが、この小噺とその解説では、最初の男の主張は決して誤謬とは見なされていません。辞書にある原義通り、「反論されていない」という訳が適当と思います。

 次の下線部は、邦訳で句点が打たれている箇所に原文では「:」が打たれています。ですので、句点の後に、「すなわち」とか「というのは」といった語を挟んでおくのがよいでしょう。

 そして最後の「jesuitisch」ですが、文字通りには「イエズス会の」「イエズス会士のような」といった意味ですが、その含意は、相良にはありませんが小学館では「陰険な」「ずるがしこい」「狡猾な」とあります。名詞形「Jesuitentum」「Jesuitismus」には、小学館では「(イエズス会士によく見られると言われる)目的のためには手段を選ばぬという考え方(ずるがしこさ)」、相良では「イエズス会の教義(目的は手段を神聖にすると説く);イエズス会的な陰険(狡猾)さ」としています。英和・仏和なども参照すると、「詭弁」「偽善」「陰険さ」「老獪」「猫かぶり」「表裏あること」などの意味が載っています。これをふまえてフロイトの文脈に戻ると、「jesuitisch」という語は、(『クラカウへ』という答えのように)物事をありのままに記述しているような真実について言われていましたから、これを「屁理屈的」としたのでは意味が取りづらいと思います。この文脈では「表裏ある」という意味が最も近いのではないでしょうか。

『この貴重な小噺は並外れた屁理屈の印象を与えるが、不条理の技法を用いていることは明らかである。二番目の男は、自分はクラカウに行くと告げ、実際にそれが目的地だからといって、嘘つき呼ばわりされりことに甘んじなければならない。この強力な技法的手段 -不条理- は、ここではしかし、反対物による提示という別の技法と結びついている。というのも、最初の男の主張 -これは反論されていない- によれば、二番目の男は真実を言っているときに嘘をついていることになり、嘘によって真実を述べているからである。けれども、この機知のより真剣な内容は、真実の条件についての問いである。というのもこの機知は[不条理、反対物による提示に加えて]さらにひとつ問題を指し示し、われわれがしょっちゅう使っているある概念の不確かさをうまく利用している。物事をありのままに記述しているが、聞き手の受けとめ方に無関心であるとき、それは真実なのだろうか? それとも、それは裏面を隠した真実に過ぎず、本当の真実性とはむしろ聞き手のことを慮り、自分が持っている知識の忠実な写しを伝えるところにしかないのではないのか。』(代案)

 訳文としてはほとんど変わりないのですが、私にとってはかなりニュアンスが明瞭になり、「クラカウへ」という発言は相手の受けとめ方を考慮せずに述べられたものであること、裏に本心を隠していることがはっきりしたと思います。

フロイト全集 (8) 

フロイト(著), 新宮一成(編さん)

出版社: 岩波書店 (2008/03)

 医療観察法の鑑定書をひとつ仕上げたのでワインで独り祝杯を上げながら書いています。今後は、この鑑定書を参考にして審判され、被鑑定者は入院または通院または不処遇を命じられるわけですが、入院または通院になった場合には、治療を担当する医療機関に鑑定書が送られることになります。

 私の手元には、警察での供述調書や被害者の写真、過去の医療機関での診療録の写しなどが鑑定のために送られてきているのですが、将来治療を担当する医療機関にはそれらの資料は送られず、私の書いた鑑定書だけが送付されることになります。なので、今後の治療に役立つと思われる事柄は、鑑定書のなかに転記しておいた方がいいだろうと私は思うので、ついつい鑑定書が長くなるのですが、そうすると審判に参加する方々にとっては、審判には不必要な情報がたくさん入った冗長なものとなってしまう、というジレンマに悩みます。

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