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2008年10月11日 (土)

10月8日朝の夢

 私の夢に興味を持って読んでくれる人がいるかどうかはわかりませんが、私自身が忘れないためにもここに書き留めておきます。

 船の上から釣りをしています。すると、60センチぐらいの人面魚が一匹釣れます。船の上に置かれた人面魚は、むしろ腹を上にしたカブトムシのような形であり、しかも頭部には三つの人面が横に並んでいます。それぞれの顔はやや縦長で、顔と顔の間は厚さ数センチの板状のもので区切られていて、それぞれはカブトでもかぶっているように見えます。食用ではなく、どうも駆除のために釣っているようです。二匹目がかかって釣り上げようとしているうちに、いつの間にか私自身も川に入っています。ぎりぎり足が底につくのですが、足の感触から判断すると、どうも10センチぐらいたまった泥の下はコンクリートで固められた、人工的な川のようです。「なんだ、底はこんなふうになっているんだ」と思うとともに、船の上にいる人(映像や音声としては登場しません)に向けて、「ここはコンクリートだから、魚はこれで終わり、ここにはもういないよ」といった意味の言葉を叫びます。<終>

 まずは夢に登場した各要素からの連想を列挙してみます。

 「三人の顔が並んでいる」点からは、ちょうど前の晩のニュースで、日本人物理学者3名がノーベル賞を受賞したというニュースで、3人の顔写真が並んでいたことを、目が覚めて真っ先に想い出しました。さらに「釣り」も、「物理」という言葉の音からのつながりで登場しているかもしれません(この日はまだ化学賞の発表前であって、クラゲ捕りのエピソードは知りませんでした)。

 泥の多い淡水に棲む魚からの連想ですが、先月私が出席した読書会で、ある医師が、最近講習会で聴いてきたという、寄生虫学の研究者の話を話題にしていたことを思い出しました。その研究者は、寄生虫を自ら飲み込んでは検査データをとって研究しているというのですが、ライギョの生食によって人体に入り込むある寄生虫は恐ろしいので自ら飲み込んだことがない、しかしある先輩研究者は自らこの寄生虫を飲みこんだことがあるというので一目置いている、と言っていたそうです(この寄生虫は体を這い回り、日々移動する大きな腫れが現れるほか、頭蓋骨内を這い回って激しい頭痛を生じた挙げ句、眼球を食い破って体外に出てくるのだとか)。私はこれを聞いて、科学者の考え方は異常だ、ついていけんわ、と思いました。

 さらに魚からは、ちょうどいま通勤中の車の中でCDで聴いている『新約聖書』から、イエスが漁師に向けて述べた、「あなた方はこれからは魚を採る漁師ではなく人間を採る漁師になるのだ」という台詞や、イエスが弟子たちと湖を渡るくだりが思い起こされました。

 「三人の顔」と「顔の間を隔てるかぶり物」については、先週水曜のテレビ番組「あらびき団」の特番に出てきた芸人が、カブトをかぶった三つの顔が並ぶような、阿修羅マンのコスチュームを身につけていたことを想い出します。芸名は「ザコシショー」だったでしょうか。「ザコ=雑魚」ですからこれも魚に関わります。ここまで書いて思い出したのですが、普段この番組の司会は2人なのに先週の特番では3人が並んでいました。

 3人組ではもうひとつ、自分の親が3人同胞で、3人とも理系科学や大学アカデミズムへの信奉が強く、なかには現役の科学研究者もいるほどであって、私はその影響から一度は科学研究に入門してみたという事情があったり、さらに彼らは私が精神医学へと進もうとすることに反対したりといったことがらを思い起こさせます。

 「カブトムシ」「カブト」は、同じ日にニュースで流れた、「株」「兜町」に関連するかもしれません。さらに、カブトムシも寄生虫も「虫」という点で一致しています。(吉田戦車の『伝染るんです』に登場したキャラクター「斉藤さん」や、エドガー・ポーの「甲虫」が連想されます・・・と、ここまで書いたところで、カフカの『変身』も連想されてきました。そういえば斉藤さんは受験勉強ばかりしているけれど、大家さんから「来年の受験の結果は大丈夫よね?」みたいなことを言われると焦って飛び去ってしまっていたように記憶しています)

 象徴的解釈では、水の中は、フロイトによれば子宮・体内でしょうし、虫は同胞を表すとか、3という数や魚はファルスだとか、いろいろ言えるかもしれません。

 ここで少しまとめてみると、私は精神科医になる前、基礎医学で実験をしていたことがあって、自分はその方面には興味も続かず挫折したわけですが、基礎的研究に没頭して成功している科学者に対しては、羨望と、そうした仕事をこつこつと続けることができる精神構造はむしろ異常なんじゃないかという、これまたやっかみ半分の批判的な考え方との、両者の入り交じった感情を真っ先に感じます。ノーベル賞のニュースも寄生虫研究者の逸話も、いずれもまさに私のそうした記憶・感情に触れる機会であったわけです。夢に登場する材料についてはかなりの部分がこの科学者への反感という表象圏に属すると考えていいと思います。駆除すべきとしているわけですから。

 私は、自分が科学にいまひとつ興味を持てなかった最大の理由は、いくら研究しても、私自身の誕生の不思議とか自分の人生が、けっして研究対象とならないことにあった、と、以前から他人に聞かれるたびに説明してきました。釣りをしながら自ら水に入るという部分は、まさに自らが研究対象になるような状態に身を置いたということだと言ったら、きれいにまとめすぎにと言われるでしょうか。

 なお私にとって学問はいつでも、自己の発生や死について考えるために役立つものにしか興味が持てないので、かつて発生学を扱う研究室を選んだのもそのためですし、いま言語による主体の発生について考えているのも同じことです。私のこの夢が象徴解釈で子宮やファルスと結びつくことも、私の学問観とはぴったりきます。

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コメント

あいかわらず素晴らしい分析ぶりですね。あなたは私のことなど知らないでしょうが。
 
」「川の底はコンクリート」とは”基礎”医学のことでしょうか・・・。釣りに用いる「竿」は、まさにファルスですね。

岡目八目、私からみても、この夢は、ご自身もおっしゃる通り、

「あのまま続けていれば、自身を被験体に(伝記を報道されるような)、すなわちノーベル賞の栄誉を授かれただろうに」

ですが、やはり本人の連想のほうが説得力があります。

いつか、お会いしたいものです。

コメントありがとうございます。
ご指摘いただいたような解釈も重層的に絡んでいるだろうと思います。
最近考えたことを付け加えます。「もうここにはいない」という私の台詞は、もうノーベル賞受賞者は出てほしくないという、ひねくれた私の願望であり、さらに、私の家からは科学研究者は出ないことをも宣言し望んでいるのだと思います。

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