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2008年10月 6日 (月)

フロイト全集17から『集団心理学と自我分析』

 この論文もかつての著作集に比べると格段に読みやすく、かつ統一性の取れた訳文となっています。それでも、翻訳について気づいた点がなくはないので、いくつか選んで挙げていきましょう。

『・・・[夢を物語る際の]懐疑や確信の無さは検閲の影響に由来する、とわれわれは考える。夢の工作は検閲に服しているのだ。そして、一次的な夢思考は、批判的機能としての懐疑や確信の無さなど知らないと想定する。それはもちろん、他のもの一切と同じく、夢へとつながる日中残渣の中に内容として現れてくるかもしれない。』(岩波版139頁注6)

 下線部「それ」が何を指すかわからず、原文に当たってみたところ、ここには複数形の代名詞が用いられています。よってこれは「懐疑や確信の無さ」を指すようです。訳としては単に「それら」に置き換えるだけで、文脈から何を指すかわかると思います。

 なおこの最後の一文は、倒置文で「Als Inhalte moegen sie natuerlich...」とされています。「moegen」のニュアンスも汲めば、この一文は、注全体の内容に対して、「そうではない事態もあってもいいですよ」と付加しているだけのようです。「それらはもちろん、内容として、他のもの一切と同じく、夢へとつながる日中残渣の中に存在することもありうるのだが。」みたいな感じでしょうか。

 次は、すぐ後ろの注からです。

『あらゆる感情の蠢きが昂じると、極端に、過度に走るものだが、それと同じ事態が、子供の情動の性格にも含まれており、また夢の生活にも再び見出される。・・・』(岩波版141頁注7)

 これは注の冒頭部分なのですが、原文「Die naemliche Steigerung aller Gefuehlsregungen zum Extremen und Masslosen...」の「naemlich同じ」とは、「本文に書かれている事態と同じ」という意味だと思うので、以下のように変更します。

『[集団の場合と]同じくあらゆる感情の蠢きが昂じて、極端に、過度に走るという事態が、子供の情動の性格にも含まれており、また夢の生活にも再び見出される。・・・』(代案)

 さらに、この後の注(143頁注8)の最後の一文は、1923年に追加されたもののようですが、岩波版はその旨を記載し忘れています。

 全体に素晴らしいこの論文の翻訳のなかで、原注に3つ続いて問題があったというのがちょっとおもしろいところです。

フロイト全集〈17〉1919‐1922―不気味なもの、快原理の彼岸、集団心理学

須藤 訓任 (翻訳), 藤野 寛 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (2006/11)

 この本の出版から2年近く経つんですねえ。買っても読まない本が年々多くなるなか、こうしたブログでもやらないとフロイト全集もつんどくだけになりそうですが、おかげさまで何とか踏ん張って読み進めています。

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