« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年10月

2008年10月25日 (土)

フロイト著作集2『夢判断』から『Non vixitの夢』

 たまたま最近読んだので、この夢を取り上げます。これはフロイト自身がみた夢で、フロイト著作集第2巻で345頁から348頁まで(新潮文庫の現行版では下巻188頁から195頁まで)にわたって紹介され検討された後、395頁から401頁まで(同じく新潮文庫下巻293頁から305頁まで)で再検討されています。以下は夢の全文です。(なお、夢のストーリーをさらっと読んでも理解しやすいように、それぞれの箇所がどの登場人物を指すか、管理人がかぎ括弧で補足した点がいくつかあります):

 《夜、[私=フロイトが]ブリュッケの実験室へ出かけていると、ドアを静かにノックする者があるので、開けると、フライシュル教授(故人になっている)だった。教授は四、五人の見知らぬひとたちと一緒に入ってきて、二言三言ものをいってから、自分[=教授]の机に座った》 これに第二の夢が続く、《友人のFl.が七月人目に立たないようにしてヴィーンにやってきた。私は路上で、彼がやはり私の友人の(故人となった)Pと話をしているところに出会って一緒にどこかに出かけて、小さな机をかこむようにして向い合せに坐り、私はその机の短い側の前の方に坐った。Fl.は自分の妹の話をして、「四十五分で死んだのだ」といい、それからさらに、「これは閾だね」というようなことをいった。Pがその言葉の意を解しかねたので、Fl.は私に向かって、「己[=Fl.]のことをどの程度君はP君に話してあるのだ」とたずねた。すると私は一種奇妙な感情に襲われ、Pは(何事も知っているわけはないさ、だって、彼は)もう死んでいるんだからとFl.にいおうとした。しかし私は自分の誤謬に気づきながらもNon vixit(生きていなかった)といってしまった。そのあとで私はPを鋭く見つめると、私が見ているうちに、Pは色あおざめ、朦朧となり、眼は病的に碧くなり -しまいにその姿は消えてなくなってしまった。そんなことになってしまったので私は無性にうれしくなり、エルンスト・フライシュルも亡霊にすぎず、幻にすぎないとわかって、「こういう人間はひとがその存在を欲しているあいだだけ生存するものであり、こういう人間を他人の願望がこの世から消し去ってしまうことも決して不可能ではない」と悟った》(著作集2巻345頁、下線は引用者)

 この夢の訳文のなかで、下線部分については、あとの考察との関係から直しておく必要がありそうです。『もう死んでいるんだから』は原文で言うと「gar nicht am Leben ist」、つまり「そもそも生きていないんだから」となります。一方でこれと間違えて口から出た『non vixit』ですが、『vixit』は辞書に載っていて、ラテン語で現在完了3人称単数形で「彼は生きた=今この世を去った」らしいです。私はラテン語についてはよく分かりませんが、この『Non vixit』は「彼は生き終えていない=彼は世を去っていない」、あるいは、「彼はそもそも生きたことがない」といった意味になってしまうのでしょうか。いずれにせよ、だからこそこれが『誤謬』とされているのでしょう。

 つぎに、『エルンスト・フライシェルも亡霊にすぎず、幻にすぎない』の箇所ですが、ここは本来過去形です。さらに、『幻』は原文では「Revenant」つまり直訳すると「帰って来た者」でして、「亡霊」のほか「久しぶりに会った人」も意味します。ですからここの訳は、『[一つ目の夢に出てきた]エルンスト・フライシェルも亡霊にすぎず、[あの世から]帰って来た者にすぎなかった』となります。そしてこの両義性は後の解釈で効いてきます。

 最後に『この世から消し去ってしまう』は、もともと『beseitigen』ですが、これはこの後の文脈のために『片付ける』としておきます。

 さて、夢の本文の翻訳についてはこれくらいにして、今回はこの夢についての考察のうち345頁から348頁での翻訳の問題について取り上げます。

 まず、この夢にでてくる『Non vixit』からフロイトが連想したのは、ヨーゼフ皇帝記念碑の碑文なのですが、その碑文が著作集346頁に引用されています。ここで、訳文では一行目の末尾「vixit」だけが傍点で強調されていますが、二行目の冒頭「non」も、本来原文では同じく強調されています。もともとは横書きですから、碑文の視覚像としては『non』の方が左に見えたことになり、『non vixit』という印象がそこから由来したということになります。

 そしてこの語と関連してフロイトが連想した、幼児期のフロイトと甥との関係について。

『それはまだ満二歳半にもならぬ私の言葉で、「あの子が僕をぶったから、僕はあの子をぶったんだ」というのである。この幼年期のやりとりこそnon vivitをnon vixitに転じしめた原因に違いない、なぜなら幼少期の終わり頃においては「打つ」schlagenという言葉は「靴墨を塗る[ぶんなぐる、手淫をする]」に通じる。夢の作業は、こういう関連を利用して少しもはばからない。』(著作集348頁)

 とりあえず訳しかえると次のようになります。

『それはまだ満二歳半にもならぬ私の言葉で、「あの子が僕をぶったから、僕はあの子をぶったんだ」というのである。この幼年期のやりとりこそnon vivitをnon vixitに転じしめた原因に違いない、なぜなら幼少期の終わり頃においては「打つ」schlagenことを「wichsen」と言う。夢の作業は、こういう関連を利用して少しもはばからない。』(代案)

 これはつまり『vixit』(ヴィクシット)と『wichsen』(ヴィクセン)との音のつながりを利用しているということのようです。じっさい、後者の三人称現在形は前者とほとんど同じ発音になるはずです。夢の作業はむしろこういう関連を利用するのです。

 そしてこの甥との関係から連想をさらに追求している次の箇所に先程の「Revenant」の両義性が関連してきます。 

『私は当時十四歳、シーザー役の甥は当時十五歳だった。この甥は当時英国から私たちの家にやって来ていた。-だからやはりひとりの幽霊である。なぜなら、この甥とともに再び浮き出てきたのは、私の子供の頃の遊び仲間であったから。満三歳になるまで私はこの甥といつも一緒に暮らしていた。』(著作集348頁、下線は引用者)

 ここの『幽霊』にも「Revenant」が用いられています。ここは、『亡霊=再び来た人』という両義性に着目しなければ、なぜ甥が亡霊扱いされるのか理解できないでしょう。もうひとつ、上で『子供の頃の』という箇所には、原文では「最幼児期の」「最初期の」といった表現が付け加えられていますが、これも訳文からは抜けています。

 最後にもう一箇所、問題点を紹介します。

『彼は(夢の結果に表現されている)ある悪い願望をいだいていたがゆえに私は彼を殺すのである。』(著作集347頁)

 『夢の結果に』では何のことかいまひとつよく分かりませんが、ここはむしろ『夢の終わりに』と訳すべきであり、つまり夢の本文の終わりの部分を指しています。ですから『ある悪い願望』とは、夢の中で『こういう人間はひとがその存在を欲しているあいだだけ生存するものであり、こういう人間を他人の願望がこの世から消し去ってしまうことも決して不可能ではない』という箇所に出てくる願望、つまり誰かを片づけようとする願望のことだと分かります。この願望については後の頁でより具体的に示され、再検討されることになります。

フロイト著作集 第2巻 (2) 

夢判断 下  新潮文庫 フ 7-2 

フロイト (著), Sigmund Freud (原著), 高橋 義孝 (翻訳)

2008年10月11日 (土)

フロイト全集17から『集団心理学と自我分析』(2)

 この論文の岩波版邦訳を扱う2回目です。

 ひとつめは、マクドゥーガルの論が紹介されている部分からです。

『こういう共通点(《精神的同質性》)が強ければ強いほど、それだけ一層容易にその個々人から心理的な集団が形成され、それだけ一層人目を引く仕方で、「集団の心」が告知され発現してくることになる。』(岩波版148頁、下線は引用者)

 「告知され」がよくわからないので原文に当たってみると、「auessern sich die Kundgebungen einer Massenseele」とあります。「Kundgebung」はかなり訳しづらいですが、下線部はむしろ『「集団の心」の表明が表出される』ぐらいでしょうか。

 次の箇所に移ります。

『・・・こうして、われわれの関心は、いまや、集団内部の個人のこの心の変化に心理学的な説明を見つけるという課題に向かうことになる。
 例えば、先にも言及された個人の畏縮という合理的な契機、つまり、自己保存欲動に基づく行動によっては、考察されるべき現象全体を押さえることはとてもできそうにない。』(岩波版152頁、下線は引用者)

 この訳文では「個人の畏縮」が「自己保存欲動に基づく行動」だということになるのですが、その意味がやはりよくわかりません。後者は原文でdie Aktion seines Selbsterhaltungstriebesなのですが、直訳すれば「自己保存欲動の行動」となるはずです。ここをどう読めばいいのか、参考とするために自己保存について述べられている箇所を探してみましたが、ル・ボンの考え方を紹介した以下の箇所がおそらく参考になると思います。

『集団が従う衝動は、状況次第で高貴にも残虐にも、英雄的にも臆病にもなりうる。いずれにしても、その衝動はまったく有無を言わさぬもので、個人的な利害関心、自己保存への関心すら働かなくほどだ。』(岩波版138頁)

 ここを参考にすると、集団化すれば個人的な利害関心も、自己保存への関心も働かなくなるということでいいようです。だとすると、152頁の下線部は、「自己保存欲動の[畏縮という]挙動」ぐらいに解すのがよいのではないかと思います。

フロイト全集〈17〉1919‐1922―不気味なもの、快原理の彼岸、集団心理学

須藤 訓任 (翻訳), 藤野 寛 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (2006/11)

10月8日朝の夢

 私の夢に興味を持って読んでくれる人がいるかどうかはわかりませんが、私自身が忘れないためにもここに書き留めておきます。

 船の上から釣りをしています。すると、60センチぐらいの人面魚が一匹釣れます。船の上に置かれた人面魚は、むしろ腹を上にしたカブトムシのような形であり、しかも頭部には三つの人面が横に並んでいます。それぞれの顔はやや縦長で、顔と顔の間は厚さ数センチの板状のもので区切られていて、それぞれはカブトでもかぶっているように見えます。食用ではなく、どうも駆除のために釣っているようです。二匹目がかかって釣り上げようとしているうちに、いつの間にか私自身も川に入っています。ぎりぎり足が底につくのですが、足の感触から判断すると、どうも10センチぐらいたまった泥の下はコンクリートで固められた、人工的な川のようです。「なんだ、底はこんなふうになっているんだ」と思うとともに、船の上にいる人(映像や音声としては登場しません)に向けて、「ここはコンクリートだから、魚はこれで終わり、ここにはもういないよ」といった意味の言葉を叫びます。<終>

 まずは夢に登場した各要素からの連想を列挙してみます。

 「三人の顔が並んでいる」点からは、ちょうど前の晩のニュースで、日本人物理学者3名がノーベル賞を受賞したというニュースで、3人の顔写真が並んでいたことを、目が覚めて真っ先に想い出しました。さらに「釣り」も、「物理」という言葉の音からのつながりで登場しているかもしれません(この日はまだ化学賞の発表前であって、クラゲ捕りのエピソードは知りませんでした)。

 泥の多い淡水に棲む魚からの連想ですが、先月私が出席した読書会で、ある医師が、最近講習会で聴いてきたという、寄生虫学の研究者の話を話題にしていたことを思い出しました。その研究者は、寄生虫を自ら飲み込んでは検査データをとって研究しているというのですが、ライギョの生食によって人体に入り込むある寄生虫は恐ろしいので自ら飲み込んだことがない、しかしある先輩研究者は自らこの寄生虫を飲みこんだことがあるというので一目置いている、と言っていたそうです(この寄生虫は体を這い回り、日々移動する大きな腫れが現れるほか、頭蓋骨内を這い回って激しい頭痛を生じた挙げ句、眼球を食い破って体外に出てくるのだとか)。私はこれを聞いて、科学者の考え方は異常だ、ついていけんわ、と思いました。

 さらに魚からは、ちょうどいま通勤中の車の中でCDで聴いている『新約聖書』から、イエスが漁師に向けて述べた、「あなた方はこれからは魚を採る漁師ではなく人間を採る漁師になるのだ」という台詞や、イエスが弟子たちと湖を渡るくだりが思い起こされました。

 「三人の顔」と「顔の間を隔てるかぶり物」については、先週水曜のテレビ番組「あらびき団」の特番に出てきた芸人が、カブトをかぶった三つの顔が並ぶような、阿修羅マンのコスチュームを身につけていたことを想い出します。芸名は「ザコシショー」だったでしょうか。「ザコ=雑魚」ですからこれも魚に関わります。ここまで書いて思い出したのですが、普段この番組の司会は2人なのに先週の特番では3人が並んでいました。

 3人組ではもうひとつ、自分の親が3人同胞で、3人とも理系科学や大学アカデミズムへの信奉が強く、なかには現役の科学研究者もいるほどであって、私はその影響から一度は科学研究に入門してみたという事情があったり、さらに彼らは私が精神医学へと進もうとすることに反対したりといったことがらを思い起こさせます。

 「カブトムシ」「カブト」は、同じ日にニュースで流れた、「株」「兜町」に関連するかもしれません。さらに、カブトムシも寄生虫も「虫」という点で一致しています。(吉田戦車の『伝染るんです』に登場したキャラクター「斉藤さん」や、エドガー・ポーの「甲虫」が連想されます・・・と、ここまで書いたところで、カフカの『変身』も連想されてきました。そういえば斉藤さんは受験勉強ばかりしているけれど、大家さんから「来年の受験の結果は大丈夫よね?」みたいなことを言われると焦って飛び去ってしまっていたように記憶しています)

 象徴的解釈では、水の中は、フロイトによれば子宮・体内でしょうし、虫は同胞を表すとか、3という数や魚はファルスだとか、いろいろ言えるかもしれません。

 ここで少しまとめてみると、私は精神科医になる前、基礎医学で実験をしていたことがあって、自分はその方面には興味も続かず挫折したわけですが、基礎的研究に没頭して成功している科学者に対しては、羨望と、そうした仕事をこつこつと続けることができる精神構造はむしろ異常なんじゃないかという、これまたやっかみ半分の批判的な考え方との、両者の入り交じった感情を真っ先に感じます。ノーベル賞のニュースも寄生虫研究者の逸話も、いずれもまさに私のそうした記憶・感情に触れる機会であったわけです。夢に登場する材料についてはかなりの部分がこの科学者への反感という表象圏に属すると考えていいと思います。駆除すべきとしているわけですから。

 私は、自分が科学にいまひとつ興味を持てなかった最大の理由は、いくら研究しても、私自身の誕生の不思議とか自分の人生が、けっして研究対象とならないことにあった、と、以前から他人に聞かれるたびに説明してきました。釣りをしながら自ら水に入るという部分は、まさに自らが研究対象になるような状態に身を置いたということだと言ったら、きれいにまとめすぎにと言われるでしょうか。

 なお私にとって学問はいつでも、自己の発生や死について考えるために役立つものにしか興味が持てないので、かつて発生学を扱う研究室を選んだのもそのためですし、いま言語による主体の発生について考えているのも同じことです。私のこの夢が象徴解釈で子宮やファルスと結びつくことも、私の学問観とはぴったりきます。

2008年10月 6日 (月)

フロイト全集17から『集団心理学と自我分析』

 この論文もかつての著作集に比べると格段に読みやすく、かつ統一性の取れた訳文となっています。それでも、翻訳について気づいた点がなくはないので、いくつか選んで挙げていきましょう。

『・・・[夢を物語る際の]懐疑や確信の無さは検閲の影響に由来する、とわれわれは考える。夢の工作は検閲に服しているのだ。そして、一次的な夢思考は、批判的機能としての懐疑や確信の無さなど知らないと想定する。それはもちろん、他のもの一切と同じく、夢へとつながる日中残渣の中に内容として現れてくるかもしれない。』(岩波版139頁注6)

 下線部「それ」が何を指すかわからず、原文に当たってみたところ、ここには複数形の代名詞が用いられています。よってこれは「懐疑や確信の無さ」を指すようです。訳としては単に「それら」に置き換えるだけで、文脈から何を指すかわかると思います。

 なおこの最後の一文は、倒置文で「Als Inhalte moegen sie natuerlich...」とされています。「moegen」のニュアンスも汲めば、この一文は、注全体の内容に対して、「そうではない事態もあってもいいですよ」と付加しているだけのようです。「それらはもちろん、内容として、他のもの一切と同じく、夢へとつながる日中残渣の中に存在することもありうるのだが。」みたいな感じでしょうか。

 次は、すぐ後ろの注からです。

『あらゆる感情の蠢きが昂じると、極端に、過度に走るものだが、それと同じ事態が、子供の情動の性格にも含まれており、また夢の生活にも再び見出される。・・・』(岩波版141頁注7)

 これは注の冒頭部分なのですが、原文「Die naemliche Steigerung aller Gefuehlsregungen zum Extremen und Masslosen...」の「naemlich同じ」とは、「本文に書かれている事態と同じ」という意味だと思うので、以下のように変更します。

『[集団の場合と]同じくあらゆる感情の蠢きが昂じて、極端に、過度に走るという事態が、子供の情動の性格にも含まれており、また夢の生活にも再び見出される。・・・』(代案)

 さらに、この後の注(143頁注8)の最後の一文は、1923年に追加されたもののようですが、岩波版はその旨を記載し忘れています。

 全体に素晴らしいこの論文の翻訳のなかで、原注に3つ続いて問題があったというのがちょっとおもしろいところです。

フロイト全集〈17〉1919‐1922―不気味なもの、快原理の彼岸、集団心理学

須藤 訓任 (翻訳), 藤野 寛 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (2006/11)

 この本の出版から2年近く経つんですねえ。買っても読まない本が年々多くなるなか、こうしたブログでもやらないとフロイト全集もつんどくだけになりそうですが、おかげさまで何とか踏ん張って読み進めています。

« 2008年9月 | トップページ | 2008年11月 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ