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2008年11月22日 (土)

フロイト著作集2『夢判断』から、1851年の請求書の夢(2)

 前回の続きです。前回取り上げた、フロイト著作集第二巻356頁(新潮文庫現行版で下巻212頁)に紹介されている夢は、368頁(同じく新潮文庫現行版下巻237頁)でもう一度取り上げられていますので、今回は後者の部分の翻訳問題に触れましょう。

『この同じ夢はその最初の部分に、推論の性格を否定することのできない若干の文章を含んでいる。そしてこの推論は決して荒唐無稽とはいわれない。覚醒時のものと見ても一向におかしくはない。《私は夢の中で、市参事会から送りつけられたその書状を滑稽に思った。なぜなら、第一に私は一八五一年にはまだ生まれていなかったのだし、第二にこの書状に関係を持つ私の父はその時分にはもう死んでいたからだ》 この二事実はすでにそれだけで正確なものであるばかりか、かりに私がそういう通知状を受けとったとしたら、やはりそういっただろうと思われる現実の推論とも完全に合致している。以前の分析からして(三六九頁参照)。われわれは、この夢が憤慨と嘲罵とを持った夢思想の地盤から生い育ってきたものであることを知っている。そのうえもしわれわれが検閲の諸動機はきわめて強烈なものであったと仮定していいとしたら、夢の作業は、夢思想の中に含まれているお手本に従って、無意味な推測に対する非の打ちどころなき論駁を行うべき十分の理由を持っていることがわかる。』(著作集369頁、下線は引用者)

 ここで『推論』と訳されているのは『Argument』ですが、独語や仏語でこの語の主たる辞書的意味は『論拠』です。実際、上の引用部分で《 》内に紹介されている夢本文に挙げられた二つの事実は、推論というよりは論拠と言えるものです。

 一方で、『無意味な推測』と訳されているのは、『unsinnigen Zumutung』ですから、『ばかげた言いがかり』ぐらいの意味です。この表現は以下のような事情に対応しています。『この夢は、尊敬すべき一先輩の私に対する批評の言葉を又聞きにきいたのちに見た夢であった。この人は、私の患者のひとりがもう足掛け五年も私に精神分析治療を受けているのにまだ埒があかないのはおかしい、といって私を非難しているというのであった。・・・いったい彼は私よりもてきぱきとやれる医者を知っているのか。この種の病状は普通ならば不治で、死ぬまでそのままであることを彼は知らないのか。なにしろ私の治療を受けているあいだは、この患者の毎日の生活はよほど楽になっているのだから、それを考えてみたって、一生涯の長さに較べたら四年や五年がどうしたというのだ』(著作集357頁)。

 上の引用箇所には他にも、参照先とされている『三六九頁』が、まさにこの文章が載っている頁のことであったり、私が生まれる前に父親が死んだなどという奇妙な内容になっているという問題があるので、以下のように改訳を提案します。

『この同じ夢はその最初の部分に、論拠の性格を否定することのできない若干の文章を含んでいる。そしてこの論拠は決して荒唐無稽とはいわれない。覚醒時のものと見ても一向におかしくはない。《私は夢の中で、市参事会から送りつけられたその書状を滑稽に思った。なぜなら、第一に私は一八五一年にはまだ生まれていなかったのだし、第二にこの書状に関係を持つ私の父は[いま]もう死んでいるからだ》 この二事実はすでにそれだけで正確なものであるばかりか、かりに私がそういう通知状を受けとったとしたら、やはりそういっただろうと思われる現実の論拠とも完全に合致している。以前の分析からして(三五六頁参照)。われわれは、この夢が憤慨と嘲罵とを持った夢思想の地盤から生い育ってきたものであることを知っている。そのうえもしわれわれが検閲の諸動機はきわめて強烈なものであったと仮定していいとしたら、夢の作業は、夢思想の中に含まれているお手本に従って、ばかげた言いがかりに対する非の打ちどころなき論駁を行うべき十分の理由を持っていることがわかる。』(代案)

 さらにもう一箇所、『Argument』という語が以下の箇所に出てきますが、ここも『論拠』とすべきです。

『あの二つの推論はこれを次のような材料に還元することができる。』(著作集370頁)

 上に触れた以外の箇所に出てくる『推論』という語は、原文では『Schluss』に対応しており、上のように置き換える必要はありません。

 参照すべき頁に関しての誤りは、以下の箇所にもあります。

『私の想像するところでは、婦人患者においても彼女らのもっとも早い性的諸衝動中において父親が果たす役割、意想外な役割の発見も同じような態度で迎えられるだろうと思う(三六六頁の解説を参照)。』(著作集370頁、下線は引用者)

 参照すべき頁は、正しくは著作集215頁であり、エディプスコンプレックスという概念の紹介・説明への導入に当たる重要箇所です。これは新潮文庫の現行版でも誤って『233頁』とされていますが、正しくは『上巻の440頁』です 

 以上でだいたい終わりですが、次の箇所について疑問が残ります。

『この先生には学生の講義登録のときに詳しい身もと調べをやる癖があった。生まれたのは? 一八五六年。 -お父さん(訳注 ここはpatreとラテン語になっている)は? これに対して学生は自分の父親の名を、ラテン語の語尾をつけて答えた。そしてわれわれ大学生たちは、この宮中顧問官たる先生は学生たちの父親の呼び名から、学生の呼び名がつねに必ずしも許しそうもないような、なんらかの推定(訳注 その学生がユダヤ系であるかどうかの推定?)を下そうとしているのだと想像した。』(著作集368-9頁、下線は引用者)

 原文を読んだ限りでは、下線部の主語は『先生』のようにも思えます。そうであればこの部分の訳は、『これに付け加えて先生は学生の父親の名に、ラテン語の語尾をつけて述べた』が正しいように思えます(『答えた』とは書かれていない)。しかしここは原文も曖昧に思え、著作集のように解してもよさそうに思えます。

フロイト著作集 第2巻 (2)

夢判断 下  新潮文庫 フ 7-2

フロイト (著), Sigmund Freud (原著), 高橋 義孝 (翻訳)

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