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2008年11月 3日 (月)

フロイト著作集2『夢判断』から『Non vixitの夢』(2)

 前回に引き続きこのフロイト自身の夢を取り上げます。前回は主に著作集345頁から348頁まで(新潮文庫の現行版では下巻188頁から195頁まで)の内容を取り上げましたが、今回は395頁から401頁まで(同じく新潮文庫下巻293頁から305頁まで)にわたって再検討された箇所を取り上げます。

 前回、この夢に登場する『Revenant』という語が、「亡霊」と「しばらく間をおいて再び来た人」という二つの意味を持っているという両義性が、夢の顕在内容と潜在思考とを結ぶ手がかりになっていることを示唆しておきました。さらに今回の検討箇所では、『beseitigen』という語が、「わきへのける」という意味と「除去する=亡き者にする」という二つの意味を持っているという両義性も重要な役割を担っています。これらは、夢の本文では次の部分に登場します。

『エルンスト・フライシュルも亡霊にすぎず、幻[Revenant]にすぎないとわかって、「こういう人間はひとがその存在を欲しているあいだだけ生存するものであり、こういう人間を他人の願望がこの世から消し去ってしまう[beseitigen]ことも決して不可能ではない」と悟った』(著作集345頁)

 夢のこの部分は、今回取り上げる箇所でも、以下のようにもう一度紹介されています。

『夢の終わりで私は非常に喜んでいて、覚醒時では不可能と思われるひとつの可能性、つまりただ願いさえすれば追い払う[beseitigen]ことのできる亡霊[Revenant]があるという可能性ももっともなことだと考えている。』(著作集395頁)

 ここですでにお分かりでしょうが、著作集の訳文は、原語の両義性が示されていないというだけでなく、同一の語が再登場する際に訳語が統一されていないという点で、フロイトの意図が伝わりにくいものとなっています。

 さて、この夢では、故人である友人Pが登場し、フロイト自身によって睨み付けられて消えてしまいます。以下はこの友人についての記述です。

『二人の助手のどちらもその地位を動かなかったので、若い人たちはいらいらしていた。私の友人ヨーゼフは自分の命が限られていることを知っていたから、時々そういう焦燥の気持ちを口に出して私に告げた。彼は自分の上にいる男と格別に親しい関係を持ってはいなかったし、その男は重病人であったから、その男がどいてくれたら[beseitigt werden]いいがという願望は、「そうなれば自分は昇進する」という意味 のほかに、ある不道徳な副次的な意味をも持っていた。』(398頁)

 ここで『どいてくれたらいいが』は、『片付いてくれたら』すなわち『死んでくれたら』という『不道徳な副次的な意味』を含んでいるということになります。夢では、友人がこの『悪い願望を懐いていたがゆえに私は彼を殺す』(著作集347頁)のであり、かつ、フロイト自身もかつて同じ願望を懐いたことがあったにもかかわらず、『この不届きな願望の罰を、私にではなく、彼に加えている』(著作集398頁)ということのようです。

 そしてこの夢から連想された、幼少期の甥との友人関係について述べられた箇所にも、こうした語の両義性が繰り返し登場します。

『私の友人という友人は、じつは私の最初の友人であったこの甥の化身、「昔我が濁れる目にはやく浮かびし」(『ファウスト』)ことある第一の友人、すなわちあの甥の亡霊[Revenant]たちなのである。』(著作集397頁)

『だから私は、幽霊[Revenant]はひとがそれを必要とするあいだしか存在しないということ、また、幽霊[Revenant]は、都合次第で退場させる[beseitigen]ことができるということはまことにもっともだと思う。つまりこれが、そのために私の友人のヨーゼフが罰せられているところのものなのである。しかしそれらの幽霊[Revenant]は、私の幼年時代の友人(甥)の順繰りに登場してきた化身なのである』(著作集399頁)

『補うべからざる人間などというものはありはしない。見たまえ、どれもこれも幽霊[Revenant]じゃないか。われわれが失ってしまったものは全て、また戻ってくるのだ』(著作集400頁)

『自分の子供たらの名というものは、その時代の流行によって定められるべきではなく、私たちにとって大切な人々を記念するために選ばれるべきだというのが私の意見だった。子供らの名前は子供らを幽霊[Revenant]にする。』(著作集401頁)

 付け加えると、399頁の引用文中、『都合次第で』という箇所は、直訳して『願望によって』とした方が、夢の本文との関連が見えやすいと思います。

 これ以外の問題点に移りましょう。著作集の訳文では、『友』と『敵』という語が曖昧に訳されている箇所がいくつかあります。

『敵対的な、および苦痛的な気持ちの動きが、私が友人の敵を二語でやっつけるあの箇所には重なり合っている。』(著作集395頁、下線は引用者)

 やっつけた相手は友人Pでした。下線部は「私が敵視する友人を」に変更したいところです。次の箇所も同じく曖昧で、とくに一文目の『友人』と二文目の『友人』では意味が変わってしまいます。

『親しい友人と憎むべき敵とは、私にとっていつも私の感情生活の必然的な欲求であった。私はいつも新たにこういう二種類の友人を作った。ごく幼い自分には、たぶんそうだったろうと想像されるように、ひとり二役の友人を作ったり、あるいはまたあるときは友、別の時には敵という役割が幾度か同一人物の上に繰り返されたりするようなことはもはや起こらなかったけれども、同一人物が友人と敵とを兼ねるような友人を見つけ出して、幼年時代の理想に接近しえたことも決して稀ではなかったのである。』(著作集397頁)

 ここはかなりわかりにくいので、全体を改訳しておきます。

『親しい友人と憎むべき敵とは、私にとっていつも私の感情生活の必然的な欲求であった。私はいつも新たにこういう二種類の相手を作った。同一人物が友人と敵とを兼ねるという幼年時代の理想を復元することも決して稀ではなかった。もちろん、ひとりで同時に二役となるとか、友と敵という役割が幾度も同一人物の上に繰り返されたりするようなことは -ごく幼い自分にはありえただろうが- もはや起こらなかったけれども。』

 あとは細かい点ですが、396頁の注で『高飛車な』は原語で『gebieterisch』で、これは副詞として使われているかもしれないのですが、いずれにせよ辞書的意味にも文脈にもそぐわない気がします。『断固たる』(あるいは『断固として』)ぐらいがよいのではないでしょうか。

フロイト著作集 第2巻 (2)

夢判断 下  新潮文庫 フ 7-2

フロイト (著), Sigmund Freud (原著), 高橋 義孝 (翻訳)  

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