« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2009年4月

2009年4月16日 (木)

供述調書の漏洩について

 昨日の判決がニュースになってました。私としては、もし自分の家族が大きな犯罪を犯したら、と考えると・・・ もしも今回の判決とは逆に、自分が供述した内容が全て公けに出版されることが許されてしまうなら、私は警察で聴取される際に、供述したくないこと、自分の胸にとっておこうと思うことが、非常に多くなってしまうと思います。そうなると正確な鑑定や判決が導きづらくなりませんでしょうか。ですのでこの判決結果には賛同せざるを得ません。

 ところで、私は医療観察法の鑑定だけは時々やっているのですが、患者の付添人となった弁護士が、書き上がった鑑定書を入手して、患者の家族に見せたりコピーを渡すことがよくあります(家族がコピーを渡された場合、当然ながら、患者自身もあとで家族から見せてもらうことができます)。付添人となる弁護士の人選は、患者の家族が行っている場合が多く、その場合、家族が依頼者ですので、見せたくなるのはわかるのですが・・・私としては

①鑑定書に、家族による患者への関わり方とか、病気についての家族の理解度などについて、ネガティブなことを書きづらいです。場合によっては、家族の関わり方が患者の病状を悪化させていそうなこともありますし、家族のなかに、病院には掛かっていないけれども精神疾患を罹患していそうな人がいて家族全体の生活様式に大きな影響を及ぼしている、なんてこともあったりするんですが、それもやはり書けない。患者の社会復帰環境に関わる大事な情報なんですが。

②患者が、家族に対して秘密にしておきたいと言いながら大事なことを話してくれたときにも、それを書くことができないことがありますし、患者が家族についてネガティブな評価を下しているときにも、それを書くことで家族関係が悪化しないか心配で書けません。

③鑑定を始めるとき、患者に対して、「ここで話したことは裁判所に提出して審判で使われます」といった説明をしているのですが、けっこう高頻度で家族にそのまま伝わることがわかってきたので、患者にも「ここで話したことはそっくりそのまま家族が知る可能性があります」とはっきりと伝えるべきなようにも思いますし、それでは患者が包み隠さず話しづらくなりはしないかとも思うので迷います・・・

といった問題を感じます。裁判での鑑定ならば後々の家族関係などは気にしなくても良いかもしれませんが、医療観察法は、その後の社会復帰に資するという目的で行われる鑑定なので、どうしても気になるのです。

 場合によっては、患者の妄想の対象となっている相手が、患者が起こした事件の被害者として事件について証言し、その内容が供述調書や鑑定に引用されている場合があります。そういった証言を患者が知ってしまうと、患者の恨みがさらに燃え上がる可能性があります。しかし弁護士さんというのは、そういった書類が患者の目に入ることは証人にとって危険じゃないかという懸念は顧慮しないもののようです。「そんなことは、一般に裁判という公開の場で証言が行われるときに証人が将来お礼参りの危険を負うことと同じことだ」ということのようですが、私としてはどうも釈然としません。

2009年4月11日 (土)

フロイト全集4の『夢解釈Ⅰ』(2)

 次の箇所は、翻訳には特に問題ないにもかかわらず、なかなか腑に落ちなかった箇所です。

 一見しただけでは欲望成就理論にとっての特別な困難となるだろうと思えるような夢を、ある医師(アウグスト・シュテルケ)が見て、それを解釈している。

 「左の人差し指の先端の指節に、梅毒の初期硬結[プリメール・アフェクト]ができていて、自分はそれを見ている。」

 この夢は、夢を見た人にとっては望ましくない内容だけれども、それ自体では明白でまとまっていると思われるから、別に分析する必要を感じさせないかもしれない。しかしながら、分析の労を厭わなければ、「初期硬結」は「≪初恋[プリマ・アフェクティオ]≫」と等置できるし、嫌な潰瘍は、シュテルケの言葉に従えば、「多大な情動[アフェクト]を帯びた欲望成就の代理」であることが判明する。(岩波版211-2頁)

 上記の説明だけでは、そこに「初恋」や「欲望成就」を代入したときに夢全体がどう解釈されるかわからないのです。普段なら、フロイトが夢や機知を説明するとき、その説明はいわば種明かしとなっていて、読者であるわれわれには、謎が解けて腑に落ちたという感覚を与えてくれるのですが、ここはなぜこのような中途半端な説明で終わっているのでしょうか。

 その理由のひとつとして、この夢の出典であるシュテルケの論文が文献として示されていることがあるのかもしれません。つまり、この論文にあたればすぐわかることなのでしょう。しかしさしあたり私にはこれを入手する術がない以上、なんとかフロイトの説明のみを手がかりに考えてみなければなりません。

 この夢は、1911年の論文からの引用ですから、『夢解釈』が刊行されたあと、フロイト自身によって加筆・挿入されているもののようです。他ならぬここに挿入されている以上、前後の文脈には、この夢の解釈のヒントが隠されているはずです。この前後には、一見すると欲望成就に見えない夢が集められているのですが、210頁に、別の夢に関して以下のような記載があります。

 結婚してほしいというこの娘の望みはあまりに活発だったので、結婚後に心配される辛さをも、彼女は甘んじて引き受け、さらにそれを自分の欲望にまで高めてしまったのである。(岩波版210頁)

 これを参考にすると、シュテルケの夢は、「[少年期における]初恋へのシュテルケの望みはあまりに活発だったので、その後に心配される[梅毒感染の]辛さをも、シュテルケは甘んじて引き受け、さらにそれを自分の欲望にまで高めてしまったのである」ということになります。私個人としては、こう解釈すれば、シュテルケの夢がだいぶ腑に落ちるように思います。

 さらに、シュテルケの夢の挿入箇所の直前には、フロイトの夢理論を知っている患者が見た夢を例に挙げて、「フロイトの夢理論が間違っていてくれればよいが」という欲望に触れられています。よって、シュテルケの夢の形成にはこの欲望も一役買っていると考えてよいのかもしれません。というのは、「多大な情動[アフェクト]を帯びた欲望成就の代理」の箇所で「欲望成就」はなぜか複数形ですので、初恋の成就のみを指しているとは考えがたく、むしろ欲望成就一般を指しているように思えるのです。シュテルケが夢理論一般に対して抱いたネガティブな考えが、初恋にまつわる夢思想に折り重なって夢を形成していると思われます。

 このように考えてきましたが、もしもシュテルケの原論文ではまったく異なる説明がなされていたりしたら、私としては恥ずかしい限りです。

 なお、「潰瘍」と訳されている語は、私の辞書では「膿瘍」としか載っていませんけど、辞書によって違うのかもしれません。

フロイト全集〈4〉1900年―夢解釈1

新宮 一成 (翻訳)

岩波書店 (2007/03)

 ≪初恋≫といえば、水曜日の夜にテレビをつけたらNHKで久々に渡邊あゆみアナウンサーの美しいお姿を拝見できました。私が中学生の頃から、いつ見ても本当にお綺麗な方です。フリートークでおっしゃる冗談がちょっとキツめなのもまた魅力なんですよね。いずれはラジオ「古典講読」で古文を朗読するお声も拝聴してみたい。

2009年4月 1日 (水)

フロイト全集4の『夢解釈Ⅰ』

 これまでタイトルが『夢判断』と訳されることの多かったこの論文の岩波版新訳を読みました。新訳はさすがにわかりやすく、従来の訳ではやたら冗長でつまらない印象があった第1章『夢問題の学問的文献』も興味深く読むことができます。

 これまで『願望充足』と訳されてきた語が、『欲望成就』とされているなど、見慣れない訳語はいくつかありますが、頭の中で置き換えながら読めば良いだけのことですので、大きな問題にはなりません。ただ、「Erinnerung」が常に「想起」とされている点(従来は「記憶」とされてきた)や、「Gedanken」が「思考」とされている点(従来は「思想」とされてきた)が気になります。それらが未だ無意識に貯蔵されている状態を論じる場合には、たとえば「記憶痕跡」とか「夢の潜在思想」という言い方がしっくりくるように感じるからです。しかしこれらも訳語の統一を優先すればやむを得ないのかもしれませんし、「想起」「思考」といった訳語は、無意識を認めない現象学者には好まれそうな気もします。

 翻訳について以下の箇所を指摘しておきます。

 そこでわれわれは、夢の形態の起草者として、個々人の中に二つの心的な力(流れ、系)があると仮定してみよう。その一方は、夢によって表現にもたらされる欲望を形成し、もう一方は、この夢欲望に対して検閲を加え、検閲によってその表現に歪曲を押しつける。ただ、検閲を行使することを可能にする第二の審級の権能が、どこに存しているのかは疑問である。潜在的な夢思考は分析以前には意識されていないが、その潜在思考から出てくる顕在的夢内容の方は意識されたものとして想起されるということを想い出してみれば、第二の審級の特権は、意識への入場許可にあると仮定してみるのは的はずれではなかろう。前もって第二の審級を通過していなかったものは、第一の系から出て意識に到達することはできないのではないか。また、第二の審級は、自分の権利を行使してからでなければ、つまり、意識に入りたがっているものに自分に都合の良い変更を施してからでなければ、何も通過させないのではないか。(岩波版191頁、下線は引用者)

 下線部は、第二の系の方を先に通過するかのように読めてしまいそうなので、以下のように私なりの変更を提案します。

第一の系から出たもののうち、前もって第二の審級を通過しなかったものは、意識に到達することはできないのではないか。(代案)

 ひょっとするともとの訳文も同じことが言いたかったのかもしれませんが。

フロイト全集〈4〉1900年―夢解釈1

新宮 一成 (翻訳)

岩波書店 (2007/03)

« 2009年3月 | トップページ | 2009年5月 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ