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2009年4月 1日 (水)

フロイト全集4の『夢解釈Ⅰ』

 これまでタイトルが『夢判断』と訳されることの多かったこの論文の岩波版新訳を読みました。新訳はさすがにわかりやすく、従来の訳ではやたら冗長でつまらない印象があった第1章『夢問題の学問的文献』も興味深く読むことができます。

 これまで『願望充足』と訳されてきた語が、『欲望成就』とされているなど、見慣れない訳語はいくつかありますが、頭の中で置き換えながら読めば良いだけのことですので、大きな問題にはなりません。ただ、「Erinnerung」が常に「想起」とされている点(従来は「記憶」とされてきた)や、「Gedanken」が「思考」とされている点(従来は「思想」とされてきた)が気になります。それらが未だ無意識に貯蔵されている状態を論じる場合には、たとえば「記憶痕跡」とか「夢の潜在思想」という言い方がしっくりくるように感じるからです。しかしこれらも訳語の統一を優先すればやむを得ないのかもしれませんし、「想起」「思考」といった訳語は、無意識を認めない現象学者には好まれそうな気もします。

 翻訳について以下の箇所を指摘しておきます。

 そこでわれわれは、夢の形態の起草者として、個々人の中に二つの心的な力(流れ、系)があると仮定してみよう。その一方は、夢によって表現にもたらされる欲望を形成し、もう一方は、この夢欲望に対して検閲を加え、検閲によってその表現に歪曲を押しつける。ただ、検閲を行使することを可能にする第二の審級の権能が、どこに存しているのかは疑問である。潜在的な夢思考は分析以前には意識されていないが、その潜在思考から出てくる顕在的夢内容の方は意識されたものとして想起されるということを想い出してみれば、第二の審級の特権は、意識への入場許可にあると仮定してみるのは的はずれではなかろう。前もって第二の審級を通過していなかったものは、第一の系から出て意識に到達することはできないのではないか。また、第二の審級は、自分の権利を行使してからでなければ、つまり、意識に入りたがっているものに自分に都合の良い変更を施してからでなければ、何も通過させないのではないか。(岩波版191頁、下線は引用者)

 下線部は、第二の系の方を先に通過するかのように読めてしまいそうなので、以下のように私なりの変更を提案します。

第一の系から出たもののうち、前もって第二の審級を通過しなかったものは、意識に到達することはできないのではないか。(代案)

 ひょっとするともとの訳文も同じことが言いたかったのかもしれませんが。

フロイト全集〈4〉1900年―夢解釈1

新宮 一成 (翻訳)

岩波書店 (2007/03)

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