カリガリス著『妄想はなぜ必要か』
だいぶ前に購入した本ですが、職場で話題になっていたので読み始めてみました。
これはなかなかおもしろいです。おおざっぱに言えば、排除されていた父のシニフィアンが現実界に回帰すると、患者はこれに対して妄想的隠喩の構築で対応する、ということなんですが、これについていろいろな側面から説明してくれているわけです。(なお、私の語感では、父の機能が現実界に出現することこそ妄想的隠喩という呼び名にふさわしく、それを中心にして妄想を構築する作業は換喩的な作業のように思ったのですが、説明されている事態そのものには納得しています。ラカン本人の用語法をどこかで確認できないでしょうか。)
冒頭には、状況によって「何にでもなってしまう」ような行動様式を示す患者が紹介され、これを精神病の発症前の特徴であるとしていますが、この人物の描写もおもしろく、興味深く読み始めることができます。
私は精神病発症前の人物に出会ったことはありませんから、発症後に聞いた病前の様子から類推したり、患者とそっくりな人柄をもつ家族の特徴などから類推するよりほかないのですが、私の経験では、精神病に罹患する人物にはむしろ、学歴や地位などの世俗的な価値に強くこだわる人もかなり多いように思います。そうしたありかたについて著者はどう考えているのか、すこし説明して欲しい気がします。
翻訳についてですが、おおむね読みやすくはあるものの、ところどころ意味の取りにくいところについて原書と見比べると間違いが散見されますし、それ以上に、文や段落が丸ごと抜けている箇所が信じられないほど多いです。たいへんおもしろい本なので全く残念です。また訳語についても、「etat crepusculaire」の定訳は「もうろう状態」ですが、この本ではなぜか「世界没落体験(状態)」とされていたり、「filiation」が「系譜」とされていたり(この語は、日本語の「系譜」よりもずっと生身の血縁関係のニュアンスが強い気がします)といった点が気になります。
とはいえ、妄想は患者にとって必要であるという私好みの考え方を、そのタイトルに戴いたこの本は、周囲にも薦めたい本であることに変わりありません。
ところで、「妄想はなぜ必要か」というときの「妄想」とは、個々の妄想観念を指すと言うより、患者と父性機能との関係が、いくつもの妄想観念を発生させながら広範に改編される事態をさしているように思われます。「妄想」という語は、普通は「誤った強い信念」という意味に使うことが多いのですが、より広い意味を持った概念だということも改めて思い出されました。
コンタルド カリガリス (著), 小出 浩之 (翻訳), 西尾 彰泰 (翻訳)
岩波書店 (2008/03)
この本の原書はありがたいことに前の院長が退職に際して病院に寄贈した蔵書にありましたので、買わずにすぐ手にできました。私はこのブログで何回か前に、蔵書を寄付する人の気がしれないと書きましたが、少なくとも後輩の役に立つことは確かです。





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