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2010年1月 7日 (木)

フロイト全集11より『心的生起の二原理に関する定式』(2)

 岩波版フロイト全集の訳文はかなり素晴らしいのですが、以下の箇所について、どうしても気になるのでここに挙げておきます。

「八 無意識の(抑圧された)過程の性格で中でもとりわけ異様と映り、これに取り組む者としても強い克己心をもってしか慣れることのできない性質は、無意識の過程では現実の検証が全く顧みられず、思考の現実が外の現実と同等視され、欲望がその成就や、あるいは古い快原理の支配からそのまま引き出されるような出来事と同等視されることから来ている。」(岩波版全集11巻266頁、下線は引用者)

 下線部の原文、「dass bei ihnen die Realitaetspruefung nichts gilt, die Denkrealitaet gleichgesetzt wird der aeusseren Wirklichkeit, der Wunsch der Erfuellung, dem Ereignis, wie es sich aus der Herrschaft des alten Lustprinzips ohneweiters ableitet.」のなかの「der Erfuellung」をかつてのフロイト著作集では2格と解釈して、下記のように訳されていました。

「無意識の過程では現実検討がすこしも通用せず、考えのうえでの現実が外の現実とおなじになり、充足をねがう願望がすでに行われた実現とおなじにみられるのであって、古い快感原則の支配のままになっているのである。」(人文書院版フロイト著作集6巻41頁)

 正しくは、「der Erfuellung」は3格で、「dem Ereignis」と同格として訳さなければなりませんが、間違いやすいこの箇所も岩波版は正しく訳しています。ところが、最後の「wie」以下の部分を、岩波版では「dem Ereignis」だけを修飾するように訳しており、関係代名詞の限定用法のようになっている点が私には気になります。

 人文書院版では、「wie」のあとの「es」について、直前の節までで描かれた事態を指していると解して、「wie」以下の節は文章全体に付された付加説明として解釈しています。実際、意味から言っても、そこまでの文で描かれているのは快原理に従って生じてくる事態ですから、人文書院版が正しいように思います。

 ですので、岩波版の下線部を私なりに改訳すると、以下のようになります。

「八 無意識の(抑圧された)過程の性格で中でもとりわけ異様と映り、これに取り組む者としても強い克己心をもってしか慣れることのできない性質は、無意識の過程では現実の検証が全く顧みられず、思考の現実が外の現実と同等視され、欲望がその成就つまり出来事と同等視される -古い快原理の支配からたやすく導かれる通りになっている- ことから来ている。」(代案)

 ただ繰り返し言っておきますが、この論文の訳について人文書院版の方が優れている(と私が考える)点はおそらくこの一箇所のみといってよいぐらいであって、全体的には岩波版のほうがはるかに素晴らしいと思います。

フロイト全集〈11〉1910‐11年―ダ・ヴィンチの想い出 症例「シュレーバー」

高田 珠樹 (翻訳), 甲田 純生 (翻訳), 新宮 一成 (翻訳), 渡辺 哲夫 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (2009/12)

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