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2010年3月 9日 (火)

フロイト全集11から『レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出』(4)

 さてこの論文で気になる箇所も最後です。

「 本人と親たちとの関係に関わる偶然の事情が、ある人間の運命に決定的な影響を及ぼすと見なし、レオナルドの場合であれば、彼の運命は、例えば私生児として生まれ、最初の継母ドンナ・アルビエラが子供に恵まれなかったといった事実に左右された、と考える考察の結論に気分を害してはならないのか。これに気分を害する権利は誰にもないと私は思う。もし、偶然が我々の運命を決定するのにふさわしくないと考えるのであれば、それは、太陽は動かないと書き留めたときのレオナルド自身がその克服に先鞭をつけた、あの敬虔な世界観の中へ後退するだけのことである。われわれが最も無力である人生の一時期に、義を司る神と善意ある摂理が、その種の影響が及ぶことからわれわれを守ってくれないというのは、われわれにとってもちろん不愉快ではある。ただその際、われわれは、自分たちの人生における一切が、精子と卵子の遭遇によるわれわれの発生以来、本来、偶然であることをつい忘れがちである。偶然とはいえ、この遭遇ゆえに自然の法則性と必然性もそこにそれなりに関与している。単にわれわれの欲望や錯覚が介入する余地などないのだ。体質の「必然性」と幼年期の「偶然性」とでわれわれの人生が決定されると見なし、決定の要因をこの両者で分配する上で、それぞれの割合をどの程度とするかについては、個々の点でまだ不確かなところもあろうが、総じて、ほかならぬこの幼児期の最初の数年間が持っている重要性についてはもはや疑いを容れない。(…)」(岩波版全集96頁、下線は引用者)

 上に挙げた箇所で、下線内の「そこに」が指すものと言えば「人生」ぐらいしか考えられませんが、「この遭遇ゆえに」の意味が良くわかりません。前後の文とのつながりも悪い気がします。

 で、原文に当たってみますと、訳文内の「そこに」に当たる語はありませんし、訳文では「自然の法則性と必然性」が主語になっていますけれども、原文での主語は「偶然」です。

 私なりに次のように訳し直してみます。

「 本人と親たちとの布置における偶然の事情が、ある人間の運命に決定的な影響を及ぼすと見なし、レオナルドの場合であれば、彼の運命は、例えば私生児として生まれ、最初の継母ドンナ・アルビエラが子供に恵まれなかったといった事実に左右された、と考える考察の結論に気分を害してはならないのか。これに気分を害する権利は誰にもないと私は思う。もし、偶然が我々の運命を決定するのにふさわしくないと考えるのであれば、それは、太陽は動かないと書き留めたときのレオナルド自身がその克服に先鞭をつけた、あの敬虔な世界観の中へ後退するだけのことである。われわれの極めて無力な生涯において、義を司る神と善意ある摂理が、その種の影響が及ぶことからわれわれをもっと守ってくれないというのは、われわれにとってもちろん不愉快ではある。ただその際、われわれは、自分たちのにおける一切が、精子と卵子の遭遇によるわれわれの発生以来、本来、偶然であることをつい忘れがちである。この偶然は、自然の法則性と必然性にも関与しているのであって、単にわれわれの欲望と錯覚には関わりがないだけなのだ。体質の「必然性」と幼年期の「偶然性」とでわれわれのが決定されると見なし、決定の要因をこの両者で分配する上で、それぞれの割合をどの程度とするかについては、個々の点でまだ不確かなところもあろうが、総じて、ほかならぬこの幼児期の最初の数年間が持っている重要性についてはもはや疑いを容れない。(…)」(代案、下線は変更箇所)

 すでに述べた以外にもいくつか改変しました。

 ひとつ目の下線部「関係に関わる→布置における」は、原語「Elternkonstellation」を生かしました。

 ふたつ目は「最も無力な人生の一時期に→極めて無力な生涯において」ですが、原文にある「Lebenszeit」をいくつもの辞書で引いても「生涯」という意味しか出てこないので、(岩波版の訳で正しい可能性もあり得ると思いつつも)一応変更してみました。でも意味的には私の案の方が良いような気もします。

 みっつ目は原文の「besser」が抜けていたので補ってみました。ひょっとすると単にニュアンスを添えているだけの用法でもあるのかもしれませんが、辞書では探せませんでした。

 そのあとの「生」は、原語は「Leben」ですが、その次の長い下線部の文意との整合性からみても単に「生」で良いだろうと考えました。

フロイト全集〈11〉1910‐11年―ダ・ヴィンチの想い出 症例「シュレーバー」

高田 珠樹 (翻訳), 甲田 純生 (翻訳), 新宮 一成 (翻訳), 渡辺 哲夫 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (2009/12)

 ところでフロイトはたとえば『精神分析入門』で、言い間違いや夢を単なる偶然の産物と考える立場を厳しく退けて、精神とくに無意識の産物には偶然はないという考え方を強調しています。そうした箇所と、上に引用したダ・ヴィンチに関する論とを見比べるとなかなか興味深く感じます。人間の記憶装置に偶然記載されたものが、後の人生を法則的必然的に決定しているので、後年の性格形成や無意識の産物に偶然はない、とまとめると、上の長い下線部の意味も分かりやすくなりませんでしょうか。

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