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2010年4月

2010年4月21日 (水)

ヤスパース(4)

 前回ヤスパースを話題にしましたが、みすず書房版の『精神病理学原論』(1971)は原書『Allgemeine psychopathologie』の第1版(1913)の訳でして、この本の独語版原書は何度も改訂を重ねられており、その最終版のみが新品として手に入る状態が長らく続いてきました。

 日本では第1版の訳である『精神病理学原論』のほか、大幅に書き換えられた第5版(1948)の訳が岩波書店から『精神病理学総論』(1953)のタイトルで出版されており、後者はほぼ原書の最終版と同内容となっています。ところがこの岩波版は現在絶版であるうえ、旧漢字表記が読みづらく、訳文もいま一つであり、また全3巻の大部であることもあって、通読するのはなかなか困難なものです。

 また内容のほうも、後年の版の方が大部・詳細になったぶん見通しが悪いのはやむを得ないとしても、たとえば自我意識の障害の項に、第5版の『総論』ではさせられ体験など(いわゆる統合失調症の自我障害)を含めて論じていますが、一方で第1版の『原論』では、それらと「自我意識の障害」は別物という立場をとっているようにみえ、私は第1版の方が論理的に一貫していて好ましいと思っており、それ独自の価値があると感じます。

 そこで、私もいずれは第1版の原書の古書を大枚はたいて購入しなければなるまいと覚悟していた折、ついこないだ日本のアマゾンで検索してみたところ、復刻版が入手可能ではありませんか。半年前に検索した際にはなかったんですが。

 さっそく注文し、届いたものを手に取ってみると、これはもともとの1913年版をコピーして印刷・製本しただけのもので、以前の出版社名(今回の出版社とは別です)がそのまま入っていますし、所蔵されていた図書館名らしき印字も含まれます。まずこれには驚きました。

 内容について言いますと、論旨だけでなく個々の文章も簡潔で、後年の版よりもドイツ語が読みやすい。これは後年の版が、もとの文に部分的に加筆訂正したり、一部を切り取って別の個所へ挿入したりといった作業で構成されていたため構文に無理があったためでもあろうと思われます。

 さらに索引が邦訳よりも充実しており、前回話題にした「element」も何箇所か引くことができます。

 実は第1版の翻訳である『原論』については、かつてここでも、「でき」という訳語が分かりにくいと書いたことがありました。ほかにも、「paranoid」「paranoisch」「wahnhaft」があまり区別されず「妄想的」と訳されていたり、原文の「Wahnhafte Ideen」を「妄想様観念」「妄想的観念」と二通りに訳しているようだったりとか、訳文の「空想的」の原語は「phantastisch」ですがこの語には必ずしも患者が意図的に考え出したものというニュアンスはなさそうなので「空想=Phansasie」の語と区別すべきである(前者には「幻想的」がよいかもしれない)とか、単に「洞察」という語を「病識」と訳している箇所が何箇所もあるようだとか、原書を参照したくなるような疑問がいくつもあったので、近々もう一度見直しながら通読してみようと楽しみに思っています。

 

精神病理学原論 
カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳) 
みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11) 
出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

 岩波の3巻本は、私が大学生時代に叔父から段ボール箱いっぱいの本をもらった中に、フロイト選集やフッサールなどと共に含まれていたのですが、卒業までまったく開くことがなかったので、卒後しばらくして狭いところへ引越しした際に捨ててしまったのでした。今になって思えば、フッサールの方を捨てておけばよかった(あるいは卒後寄り道をせずすぐに精神科医になればよかった)と本当に悔やまれます。悔しいのでなかなか古書店で買い直す気にもなれません。

2010年4月14日 (水)

ラカン『精神病』(2)

 ここでかつて、「病的体験」という語は精神医学の事典や教科書の類で語義が探せないことなどに触れながら、「病的体験を核として、それを説明するために妄想が構築される」という考え方を紹介したことがありますが、これに関連した話題について下のブログでも話題にされています。

http://d.hatena.ne.jp/lacanian/

 私自身、ラカンがセミネール『精神病』などで、「自分が使っている基礎的現象という概念はクレランボーから借りている」という趣旨のことを言っているのをそのまま信じ込んでいたので、じつはそうではないという上の記事に興味を引かれましたし、文献への詳細な参照にも刺激を受けて、病院にあったヤスパースの原書も開いてみました。確かに、「基礎的現象」の語は、ヤスパースの『原論』にも『総論』にも、妄追想の文脈に一箇所登場してます。『総論』では訳は「元素的」となってまして、巻末で「元素的」を引くと探せます。

 ラカンの『精神病』のセミネールについて、さいきん気づいたことをついでに付け加えておきます。

『私が説明してきたシェーマにおいては、この「je」と「tu」はどこに在るのでしょうか。皆さんはおそらく「tu」はあそこ、あの大文字のAの水準にあるとお考えになるのではないですか。全く違うのです。次回はその点から始めようと思います。つまり、言葉として言われた「tu」は大文字のAと呼んできたあの極と重なるものでは全くない、という点から始めようと思います。』(ラカン『精神病』下巻 岩波書店194頁、下線は引用者)

『パロールのシェーマとして以前あげた例のシェーマに、先程の定式、「Tu es celui qui me suivras partout.」をあてはめてみれば良いでしょう。当然のことですが、SとAとは常に相互的なものです。そして、われわれが受けとるのがわれわれを創設する他者のメッセージである限りにおいて、大文字のAは「tu」の水準に、小文字のa'は「qui me」の水準に、大文字のSは「suivras」の水準にあります。』(ラカン『精神病』下巻 岩波書店217頁、下線は引用者)

 この二箇所、とくに下線を付した部分を読み比べると、表現は微妙に違うものの、シェーマ(もちろんここでは『シェーマL』のことです)における「A」と、二人称代名詞「tu」とは重なり合うものかどうか、正反対の内容になっています。スイユ社から刊行されているセミネール講義録の原書に当たっても全く同じように書かれていたのですが、ラカン派精神分析団体アソシアシオン・ラカニエンヌから出版されている講義録をみると、これはスイユ社版に問題がありそうで、上の二箇所では前者のほうが違っています。つまり「tu」とAは重なり合うと考えて良いようです。

 岩波版の訳を読んでいてもこういった原書の問題箇所に気づくことができるというのは、訳がかなり忠実になされているからといってよいのではないでしょうか(たまには良いところも取り上げないと)。

精神病〈下〉 

ジャック ラカン (著), ジャック・アラン ミレール (編集), 小出 浩之 (翻訳), 川津 芳照 (翻訳), 鈴木 国文 (翻訳), 笠原 嘉 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (1987/09)

2010年4月13日 (火)

フロイト全集11から『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(2)

 この論文の岩波全集の訳文で気になる箇所の続きです。

「のちになると幻視と幻聴が加わり、全般的感覚障害と一緒になって、彼の全感覚、全思考を支配するようになった。」(岩波版105頁)

 上記訳文の「全般的感覚障害」は、原文では「Gemeingefuehlsstoerungen」ですので、「一般感覚の障害」とするべきです。「一般感覚」とはおおざっぱに言えば、五感以外の、非限局的な自己身体感覚のことで、飢え、渇き、疲労、めまいといった例が辞書に載っています。なお、たしかドイツの精神科医シュルテは、この一般感覚の障害を精神病者自らが不調と感じることが、「病感」の基礎になると考えました。

 次はちょっとした訳し落としです。

「私自身も思うのだが、ひとりの主治医への共感に満ちた感覚が、ひとりの男性において、八年間もの歳月が経過したのちに突然強烈に現れてきて、たいへんに重篤な精神障害を惹起する契機になるという仮説は何とも奇妙である。だが、通常は仮説を立てることが薦められているのだから、その仮説検証を突き進めないでこの奇妙な仮説をその不確かさゆえに捨て去ってしまうのは間違いだ、と私は思う。」(岩波版145-6頁、下線は引用者)

 下線部は正しくは「その内的な不確かさ」です。

フロイト全集〈11〉1910‐11年―ダ・ヴィンチの想い出 症例「シュレーバー」

高田 珠樹 (翻訳), 甲田 純生 (翻訳), 新宮 一成 (翻訳), 渡辺 哲夫 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (2009/12)

 抗不安薬のなかでもかなり高頻度に使われるものに、『コンスタン』という商品名のものがあって私も臨床上なじみが深いのですが、先週出席したフランス語教室で「constant」という語を耳で聞いて、恥ずかしながら、はじめてこの薬品名がフランス語だということに気がつきました。かなり基本的な単語なんで何度も見ていたはずですけど、目で読むだけでは気づかないものです。

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