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2010年5月 5日 (水)

フロイト全集11から『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(3)

 この論文の翻訳について気になるところは、もうほんの細かいところしか残ってません。

『ナルシシズムの段階から完全に離脱できず、その位置で疾患素因として作動する固着を呈する人びとは、別の流出路を見出せなくなったリビードの高潮が、社会化欲動を性欲化し、同時に、発達の過程で獲得された昇華を逆行させてしまう。』(岩波版163頁、下線は引用者)

 下線部は原文では「sozialen Triebe」なので「社会的欲動」だと思いますし、複数であることを強調するなら「社会的な諸欲動」となります。ちなみに、ここでフロイトが「社会的欲動」といっているものについては、直前の段落をみれば具体的にわかります。「友情、仲間意識、さらには公共感覚および普遍的人間愛」といったもののようです。

 次に移ります。

『抑圧の第二相期は本来固有の抑圧であり、これまで主としてこの意味においてわれわれは抑圧を見てきた。この抑圧は、より高次に発達した意識化可能な自我という系から発生するものであって、それゆえ、本来は、「踏襲性抑圧」と記述されるべきものである。』(岩波版170頁、下線は引用者)

  この付近の文脈を紹介しますと、まず抑圧の第一相期とは、はじめて抑圧という現象が起こって、「抑圧されたもの」が生まれるという段階のことです。第二相期には、このすでに存在する「抑圧されたもの」に、あとからどんどん付け加えていくような段階だということになります。

 上の引用部分の下線は、原語では「Nachdraengung」です。この語は、動詞形「nachdraengen」で辞書に載っていて、意味は「後ろから押し寄せる、(すでに満杯のところへ)あとから押し入ろうとする」とあります。ですので訳としては、「押し込み」「詰め込み」「付け足し」とか、(原語に「抑圧」という語は含まれていませんが)「追加抑圧」ぐらいが良いのではないでしょうか。

 じつは「抑圧」という日本語そのものに問題がありまして、ふつう抑圧と訳されている「Verdrangung」という語を辞書で引くと、心理学以外の分野で用いられるときには「押しのける」「排出する」「(船が)排水する」といった意味で用いられるとあります。われわれが「抑圧する」という訳語を使う限り、どうしても心の奥底に抑えつけるというニュアンスに感じてしまいますけれど、本当は排除とか排斥といったニュアンスに近いんでしょう。

 これもふまえると、上の「Nachdraengung」とは、例えばクイズ番組などで、二次審査で落とされた人々が、一次審査で落とされた人々の集団に加わっていくような状況を指しているのだと思いますので、「追送」と訳しても良いかもしれません。

 次です。

『ヒステリーの場合、自由に浮遊するようになったリビード全体はそのまま、肉体的な神経を支配する力へ、あるいは不安へと転換する。』(岩波版176頁、下線は引用者)

 これも以前に何度もありましたが、「Innervation」は解剖学の分野では「神経支配」と訳され、医学の分野で非常にしばしば用いられていますので、どうしてもこの訳語を念頭に置いた翻訳がなされてしまいますが、辞書にも載っている「神経伝達」でよいと思います。

 最後です。

『実際のところ、リビード発達過程においては多様な固着が置き去りにされ残されうるのであって、抑圧排除されたリビードが順を追って爆発しうる。』(岩波版182頁、下線は引用者)

 下線には、普通「抑圧」と訳されている「verdraengen」も、「排除」と訳されている「verwerfen」も含まれていません。原語は「abdraengen」でして、辞書には「わきへ押しやる」「押しのける」といった訳語が載っています。上の引用文では「押しのけられた」でいいんじゃないでしょうか。

 以上、単語レベルの細かいところばかり取り上げてきました。全体としてこれぐらいしか問題箇所が見つからず、著作集の小此木訳とは比べものにならない素晴らしく正確な訳と思いました。

フロイト全集〈11〉1910‐11年―ダ・ヴィンチの想い出 症例「シュレーバー」

高田 珠樹 (翻訳), 甲田 純生 (翻訳), 新宮 一成 (翻訳), 渡辺 哲夫 (翻訳)

出版社: 岩波書店 (2009/12)

 連休中は医療観察法の鑑定書を作成していました。それにしても、起訴前の鑑定を行う精神科医たちが心神喪失や心神耗弱の基準を大幅に下げて乱発するせいで、医療観察法関連の仕事が次々に作られているわけでして、こうやって業界内で仕事を増やすという構図は、高血圧やメタボリックシンドロームの基準を下げて内科医や製薬会社が丸儲けしているのとまるっきり同じですよね。

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コメント

パラノイアについて調べるうちに
こちらへたどりつきました。
リラックマにひかれたのかも
しれません。

医学、医療とはまったく関係のない
生活をしておりますが
“こころを健康に保つには”という事を
自分なりに探っております。
文中に紹介されている内容、書籍
など参考にさせていただきます。


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