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2010年7月 5日 (月)

フロイト全集19から『否定』

 フロイト全集19巻がつい先ごろ発売され、手元に届きましたが、そこに含まれている論文『否定』は、たいへん短いながらも難解とされ、かつ最重要論文の一つでもあり、すぐに独文と照らし合わせながら読み始めました。

 翻訳上、決定的なミスといえるのは次の一箇所だけでしょう。

『少なからざる精神病者に見られる全面的な否定欲や拒絶症は、おそらくリビドー成分の撤退による欲動の混合の兆候と理解すべきだろう。』(岩波版9頁)

 「混合」と訳されている語は、原語では『Entmischung』なので、『混合を脱すること』の意味です。ですから一語で訳したければ『分離抽出』とか『純化』と訳すべきと思います。意味的にも、普段は死の欲動は必ず生の(つまりリビドー的)欲動と混合して働いているわけですから、精神病の際に「リビドー成分の撤退」によって死の欲動が純粋に現れてくるという事態を説明している箇所です。

 あとはたいしたところはないのですが、気になったところを頭から順に取り上げてみます。

『その「否」は抑圧のしるしで、《ドイツ製》という表現に比較されるような、自らの起源を証明する言葉なのである。』(岩波版4頁)

 「ドイツ製」は、注を見れば「made in germany」という英語であることが分かりますけれど、ここでは、英語であるということが大事と思います。つまり“原産地がドイツであるという事実を、ドイツ以外の土地で通用している言語で表記する”ということが重要です。なぜなら、ここでフロイトがこの例を出しているのは、否定では、“無意識に由来している内容が、意識の中で通用している表現法で表されている”といいたいからだと思われるからです。なので、日本語訳の中でも、この語は日本語以外の言語で表現されているべきと思います。

 次ですが、私は以前、このブログで『心的生起の二原理に関する定式』に対してコメントして、『訳語として、従来「現実検討」とか「現実吟味」とか訳されていた語「Realitaetspruefung」に「現実性の検証」を当てている点も素晴らしい。これは外的情報(あるいはその記憶)と照合する作用だからです。』と書きましたが、今回の論文『否定』ではかつての定訳『現実吟味』になっているのはちょっと残念です。で、その『現実吟味』の働きについて述べられている部分です。

『現実吟味の最初の、つまり直近の目的は、表象されたものに対応する対象を現実の知覚の中に発見することではなく、それを再発見すること、すなわちそれがまだ存在しているということを確認することなのである。主観的なものと客観的なものとを互いに別々のものとすることができるためには、さらに思考力の中の別の能力が必要となる。表象の中で知覚が再生産される時、いつも元の知覚が正確に反復されるとは限らない。それは省略によって変更されたり、さまざまな要素が融合して改変される可能性がある。そこで現実吟味が、こうしたさまざまな歪曲がどの程度まで及んでいるのか監視しなければならないのである。』(岩波版6頁、下線は引用者)

 下線部の言い方だと、ここも現実を吟味するために必要な働きであるかのようですが、そうではなくて、ここは、『現実吟味』の働きを要請する事情の説明であり、いわば前段階です。下線部については以下のようにしたほうが良いのではないかと思います。

『主観的なものと客観的なものとが互いに別々のものとなるためには、さらに思考力の中の別の能力も働いている。』(代案)

 最後です。

『自我は定期的に少量の備給量を知覚系に送り、それによって外的刺激を試しに味見し、そのように手探り的に外部に侵入しては、再び引き返すのである。』(岩波版7頁、下線は引用者)

 下線部の原語は『Vorstoss進撃・進出』で『外部』という語を含みませんし、文脈も単に自分の知覚器官に注意を向けることですから、岩波版の『外部に侵入』はちょっと言い過ぎでしょう。

 という具合に見てきましたが、実はこの論文は、『科学的心理学草稿』(岩波版では『心理学草案』という題になる予定)で『判断』について書かれていたことを下敷きにして読まないと、ほとんど理解不能ではないかと思います。すなわち、フロイトは『判断』について、知覚や表象の際に生じるひとかたまりのイメージを主語と述語に分ける作用とか、あるいは、そのようなひとかたまりのイメージをまとめて主語として、別の述語を付ける作用(これに実在の判断や否定も含まれるようです)などのように、心的装置内の表象を分割したり付加したりする作用を指しているという点を念頭において読むべきと思います。

 まあいずれにせよ今回のような良い訳文で一気に読むと、たいへん気分よく理解が進んでうれしい限りです。

1925-28年 否定 制止,症状,不安 素人分析の問題 (フロイト全集 第19巻)

フロイト (著), 加藤 敏 (編集)

出版社: 岩波書店 (2010/6/26)

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