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2010年7月14日 (水)

フロイト全集19から『制止、症状、不安』第1章

 前回は、フロイト全集19巻の冒頭に収録された論文「否定」を扱いましたので、同じ巻の論文「制止、症状、不安」を見ていくことにします。

 この論文の冒頭は、制止と症状という両概念の相違についての話題から始まりますが、第2段落の終わりに、「これらのこと全ては、実際重要なことではなく、私たちが出発点とした問題設定はほとんど実りあるものではないことが明らかとなる」とありまして、フロイト自らが冒頭2段落の問題設定を切って捨てているように見受けられます。ところが、フロイトはこのあとも制止や症状についてずっと検討していきますし、両概念の相違についても言及されますので、いったいこの問題設定のどの部分を「ほとんど実りない」といっているのかが今ひとつ良くわかりません。これはかつての人文書院の訳でも今回の訳でも、原書を読んでも合点がいかないままです。(両概念の用語習慣上の相違から出発することには意味がない、と解釈したいのですが、フロイトがはっきりとそのような書き方をしていないので困るのです)

 そのあと3段落目以降は自我機能の制止について記述されています。その中で多少翻訳上気になるところが散見されます。まずは性機能の各段階での制止について列挙している箇所からです。

「(・・・)四、安全対策による性機能の予防。五、不安が生じることによる性機能の中断、これは不安の発生を抑えることができない場合に起こる現象である。」(岩波版13頁、下線は引用者)

 下線部は正しくは、「性機能の開始をもはや」です。意味的にも、不安と制止の関係について重要な箇所です。

 次は歩行機能についての箇所です。

「わけても特徴的なのは、特定の条件が加わった際に増強する歩行移動の困難である。この現象が起こらない場合には不安が生じることになる(恐怖症)。」(岩波版13頁)

 これも意味的に明らかに変でしょう。代案はこうです。

「わけても特徴的なのは、特定の条件を加えることによる、歩行移動の阻害である。つまり、その条件が満たされない場合には不安が生じることによる阻害である(恐怖症)。」(代案)

 次に移ります。

「より全般に及ぶ自我の制止では、以上とは別の単純な機制が働いている。自我が、例えば喪のような感情の極めて強い抑え込みや、持続的に立ちのぼる性的空想を抑えつける強制力といった、特に重要な心的課題を負わされている場合、自我が自由にできるエネルギーは極めて乏しくなるので、その消費を多くの場所で同時に制限しなければならなくなる。」(岩波版15頁、下線は引用者)

 下線部は正しくは、「喪や、情動の極めて強い抑え込みや、」です。

 最後は最終段落からです。

「以上から、制止に関し、次のように締めくくることができる。制止は、自我機能の制限であり、それには、エネルギーが欠乏してしまうことへの用心によるものもあれば、エネルギー欠乏の結果によるものもある。」(岩波版15頁、下線は引用者)

 下線部は省くべきです。意味的にも、数頁前から読み返してみれば明らかでしょう。

 岩波版には珍しく、この論文の訳は、ちょっと不安を感じさせる立ち上がりのように思います。

1925-28年 否定 制止,症状,不安 素人分析の問題 (フロイト全集 第19巻)

フロイト (著), 加藤 敏 (編集)

出版社: 岩波書店 (2010/6/26)

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