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2010年11月

2010年11月27日 (土)

クルト・シュナイダー『臨床精神病理学』

 いま、通勤中の運転席で信号待ちの合間に読んでいるのは、クルト・シュナイダーの『臨床精神病理学』です。これは統合失調症を診断するために有用な症状として、いくつかの陽性症状を提案し、『一級症状』という呼び名でまとめたことで名高い書物です。1950年代にこの本が出てから数十年の間に、統合失調症を陽性症状で診断する見方が世界中にかなり浸透し、この考え方は現代の操作的な診断基準にも取り入れられています。今やわれわれは、それ以前の書物を読む際にも、同じ診断姿勢を想定してしまうほどであって、フロイトやラカンがシュレーバー症例論をパラノイア論として論じたことがピンと来なくなってきてしまっています。

 といった事情を引き起こしたものとして、私はこの本に対してあまり良い印象を持っておらずこれまで拾い読み程度で済ませていたのですが、じっさい読んでみると、この本は、内因とか外因といった精神医学の慣用的な用語の妥当性を疑い、洗い直している点で、むしろ好感が持てるようになってきまして、やはり原著を読んでみなければならないものだなあと痛感しております。

 訳文がよくわからないときは車を降りてから原書と比べているのですが、以下のあたりがちょっと気になりました。

「考想奪取は統合失調症診断にとって極めて重要な症状であり、単純な考想の中断でもそうである。(…)確実に統合失調症性の障害が想定されるのは、他の人が考えを取り去る、と陳述される場合に限られるべきである。たしかに、統合失調症患者には単純な考想中断もあることが多いが、それを用いることにははるかに慎重でなくてはならない。考想奪取と同じ水準に、考想が吹き入れられるなど、他の人々による他の方法の考想被影響がある。同じく重要なのは、考えが自分だけのものではなく、他の人々がその考えを共有する、いや町中、世界中がその考えを知っている、という陳述である。他の人々が考想内容を直接共有する、というこの症状を、われわれは考想没収ないし考想伝播と命名したい。これは必ずしも把握するのが容易でない。これは声が報告するのではなく、また他の人々の何らかの動作や発言から、彼らが患者の心の中で起こっていることを知っている、と気づく妄想患者の妄想知覚でもなく、また知覚の基盤なしにこうした内容を有する妄想着想でもない。むしろ、それ以上に還元できない思考過程自体の質的変化であると想定しなければならない(グルーレ)。」(針間博彦訳版87-88頁、下線は原文による。太字での強調は引用者)

 まず、太字にした「考想没収」ですが、これは訳を読む限り、引用文冒頭の「考想奪取」と違うものなのかどうかわかりにくいと思います。原文は「Gedankenenteignung」なので、「Enteignung」を辞書でひいてみたところ、確かに「没収」という訳語もあるのですが、意味的には「公有化」というニュアンスが含まれるようです。これを用いて訳せば「考想公有化」となりますが、これなら上記訳文中に置いたときにぴったり来るように感じます。

 二つ目の太字、「妄想患者」の部分が気になったのは、「統合失調症」という語が連発された後にここで「妄想患者」と出てくると、パラノイアなど幅広い疾患群の患者を指すのかと思えてしまい、妄想知覚は統合失調症以外の妄想にも幅広く認められうるかのように読めてしまうからです。原文に当たると、「妄想患者」と訳されている語は「パラノイド患者」つまり「類パラノイア患者」です。以前も書きましたが、「パラノイド」とはパラノイアそのものを指すのではなく、パラノイア類似の疾患、つまり主として妄想型統合失調症を指すために用いられる言葉です(あとは文脈によって「妄想反応」に用いられるぐらいです)。この訳書ではほとんどの個所でしっかりと区別して「類パラノイア」の訳語を用いられているのですが、ここで「妄想」と訳されてしまっているのはちょっと不親切と思います。ちなみにここで太字にした二つの訳語は、平井・鹿子木による旧訳でも同じではありますが。

 さて、このすぐ次のページに「基礎的な考想伝播」という表現があって、私としては以前この「基礎的elementar」という概念についていろいろ教えてもらったことがあって(このブログでも取り上げました)、非常に興味深いところです。

 もう一か所、訳について取り上げておきましょう。

「…妄想知覚は統合失調症状であるが、我々が臨床的に統合失調症と呼ぶものに例外なく認められる症状ではない。おそらく精神病理学的意味において統合失調症性のあらゆる症状がそうであるように、妄想知覚は時にてんかん性のもうろう状態、中毒性精神病、脳過程にもみられる。」(針間博彦訳版92頁、下線は原文による)

 引用文のうち、一つ目の文では、妄想知覚は統合失調症診断の必要条件ではないと述べられている一方で、二つ目の文では、むしろ十分条件ではないことを示すような例が挙げられていて、両者のつながりが悪く、唐突な気がします。一つ目の文は、内容的にあまりにも当たり前すぎるのも変に思えます。そこで原書に当たってみましたが、私としては以下のような意味ではないかと思います。

「…妄想知覚は統合失調症状であるが、我々が臨床的に統合失調症と呼ぶものの徴候であると、全く例外なしに言えるわけではない。おそらく精神病理学的意味において統合失調症性のあらゆる症状がそうであるように、妄想知覚は時にてんかん性のもうろう状態、中毒性精神病、脳過程にもみられる。」(代案)

 同じ文光堂から出ている旧訳も当たってみましたが、旧訳は構文全体のとらえ方が雑なように感じられ、新訳の方がはるかに優れていると思います。この印象は今日の一つ目の引用個所でも同じことです。

新版 臨床精神病理学 
クルト・シュナイダー、ゲルト・フーバー、ギセラ・グロス、 針間 博彦 (単行本 - 2007/9)
出版社: 文光堂 (2007/09)

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