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2011年6月10日 (金)

コンラート『分裂病のはじまり』(4)

 症例ライナーの翻訳の検討の最終回です。

 まず、前回取り上げるべきだったのですが、病歴のはじめの部分、妄想の発症前の箇所からひとつ。

(二)彼は班の最年長者であった。隊のフランス移駐以来、自分は特別の業績を期待されているように感じた。彼は持続的な緊張下にあった。彼の昇進がよく話題になったが、彼は自分は国防軍幹部候補生課程にならどんなにか大喜びで進んで申し出を受けるのになあと思った。(14頁、下線は引用者)

 下線部「彼の」は、原文にありません。ここはまだ妄想が発生していない時期であって、実際に周囲では昇進について話題になることがあったのでしょう。

 さて、今回は最後に紹介されている手紙についてみていきます。これはなかなか難解です。邦訳では以下のようになっています。

 拝啓 コンラート先生。皆様の善意を賜りまして、私を試験的に人間界に放ちやってくださいましてから、ほぼ三週間が経ちました。国防軍病院退院後の私の感じましたことをまあ先生、書かせていただきたいです。最初は、かねてまったく正しく予想していた通りでして、すごく人が信用できず、いたるところにスパイの気配を感じました。しかし、第二、第三日にはすでにそれは収まりまして、今日は、先生に、完全にそのような感じから抜け出たと、本心から保証できるのが嬉しいです。ですが、これを以て、国防軍病院入院前から入院中にかけて(国防軍病院時代を思い出すと憎しみあるのみです)一種の監視をされていたという主張を撤回するつもりはありません御依頼されました追跡調査と観察にもとづきまして、今私は、自分の仮説を深く追求しすぎたのであると結論いたします。めったにない事態が起こりまして、めったにないだけに大変なことだと思いますが、私の手に余りますことがありますれば、先生の御意見に本心から従うことにしたいと存じます。今、私はある謎に直面しており、これを頭から払いのけることができません。
 末筆ながら、私の最大の敬意をお受け取りください。先生を偉大な医師として、さらに偉大な人間としてつねに尊敬しております。もっとも、先生の医師としてのご援助はこれでお断りいたします
敬具(33頁・下線は引用者)

 コンラートは後ろの頁でこの手紙について次のように触れています。

結局、彼から来た最後の手紙(四八項)から、ほぼ完全に妄想の訂正が得られたことがわかる(ここのコンラート先生はあまいと思う -訳者)。しかし、これは退院後のことであった。(239頁)

 ここでは『ほぼ完全に妄想の訂正が得られた』とは書かれているものの、上の手紙を訳文で読んだ限りでは、なぜそう言えるのか理解困難ですし、そもそも意味が取りづらいのです。このわかりにくさを解消するため、手紙の原文に当たって、なんとか『妄想の訂正が得られ』ているという線で読めないか考え直してみましょう。

 ざっとみたところ下線部の前までは問題なさそうです。下線部のはじめの二文は次のようです。

ですが、これを以て、国防軍病院入院前から入院中にかけて(国防軍病院時代を思い出すと憎しみあるのみです)一種の監視をされていたという主張を撤回するつもりはありません。御依頼されました追跡調査と観察にもとづきまして、今私は、自分の仮説を深く追求しすぎたのであると結論いたします。
Ich will damit jedoch meine frueherer Behauptung von einer Beobachtung vor und waerend meiner Lazarettzeit, an die ich nur mit Hass denke, nicht  nicht widerrufen. Auf Grund einiger angestellter Nachforschungen und Beobachtungen bin ich nun ueberzeugt, dass ich in meinen Annahmen viel zu weit gegangen war.

 「Beobachtung」という語には、「監視」「観察」の両方の意味があって、どちらの訳語を用いるかでニュアンスが変わってきます。訳本全体ではほとんどの箇所で「監視」ですが、同じ症例ライナーの病歴でも19頁や20頁では「観察」と訳されています(『多くの人たちが入れ替わり立ち替わり彼を観察に来た』『皆は彼を観察するためにいるのであった』)。上の箇所でも、はじめの二文の両方にこの語が出てきていますが、後者はライナーが退院後に行った『観察』を指しており、訳者は二箇所をそれぞれ『一種の監視をされていたという主張』『御依頼されました追跡調査と観察にもとづきましてと訳し分けています。

 そもそもライナーの妄想は、「自分は監視・観察されている」というだけにとどまらず、あらゆる事が自分を中心に起こっていると考えており、自分は昇進に適切かどうか試されているとか、自分が行く先々の人も物も予め仕組まれ準備されていたとかいう妄想で修飾され、人物を誤認することもありました。ところがこの手紙では、それらの修飾部分については触れられておらず、「監視・観察」についての主張のみとなっています。ところで、軍隊が新参者や挙動不審な隊員に対してある程度の観察・監視をしたり、精神病院が患者を観察・監視するのは当然のことともいえます。この一文だけを読むと、ライナーがどの程度の監視・観察を念頭に置いて書いていると受け取ってよいか決められないという気がします。

 次の文ですが、「anstellen」は、「(調査や観察を)する」という機能動詞ですので、「御依頼」うんぬんの箇所は、「(私が)おこなったいくつかの調査と観察に基づいて」というのが正しいです。そして「深く追求しすぎた」のは過去完了ですので訳文にはそのニュアンスも必要です。「追求しすぎてしまっていた」といったところでしょうか。「ueberzeugt」は「結論した」というより「確信した」です。代案は『[私が]おこなったいくつかの調査と観察に基づいて、今私は、[以前は]自分の仮説に深くのめり込みすぎてしまっていたと確信しております』としておきましょう。

 手紙に戻って、次の文に進んでみましょう。

めったにない事態が起こりまして、めったにないだけに大変なことだと思いますが、私の手に余りますことがありますれば、先生の御意見に本心から従うことにしたいと存じます。
Wenn ich nicht an einige wenige Umstaende, die aber um so schwerer wiegen, mich halten koennte, ich wuerde mich wahrhaftig Ihrer Meinung anschliessen.

 「sich an...halten」は「頼る」「従う」「依拠する」「尊重する」「すがる」などですから、接続法二式の反実仮想のニュアンスも生かして、『もしも、わずかながらの状況に依拠[して判断]することはよろしくないとすれば -だからなおのことその状況は大事なのですが-』としておきます。

 次の下線部です。

先生を偉大な医師として、さらに偉大な人間としてつねに尊敬しております。もっとも、先生の医師としてのご援助はこれでお断りいたします。
Ich sehe in Ihnen immer den grossen Arzt und Menschen, obwuhl ich Ihre aerztliche Hilfe verweigert habe.

 この文の後半は現在完了です。なので文の順序をひっくり返して、『先生の医師としてのご援助をすでにお断りいたしましたとはいえ、先生を偉大な医師として、さらに偉大な人間としてつねに尊敬しております』という感じでしょうか。

 そして最後の「敬具」の箇所は、「Ihr dankbarer」で、つまり文字どおりには『先生に感謝して』です。ちなみに「敬具」を和独で引いてもこれは出てきません。

 結局、あいまいなところもたくさん残っていますが、代案は次のようになります。変更箇所には下線を付しました。

 拝啓 コンラート先生。皆様の善意を賜りまして、私を試験的に人間界に放ちやってくださいましてから、ほぼ三週間が経ちました。国防軍病院退院後の私の感じましたことをまあ先生、書かせていただきたいです。最初は、私たちがかねてまったく正しく予想していた通りでして、すごく人が信用できず、いたるところにスパイの気配を感じました。しかし、第二、第三日にはすでにそれは収まりまして、今日は、先生に、完全にそのような感じから抜け出たと、本心から保証できるのが嬉しいです。ですが、これを以て、国防軍病院入院前から入院中にかけて(国防軍病院時代を思い出すと憎しみあるのみです)観察なるものをされていたという主張を撤回しようとは思いません。[私が]おこなったいくつかの調査と観察に基づいて、今私は、[以前は]自分の仮説に深くのめり込みすぎてしまっていた確信しておりますもしも、わずかながらの状況に依拠して[判断して]はよろしくないのであれば、先生の御意見に全くもって従う[つまり私が病気であったという意見も受け入れる]でしょう。この状況は、[私にとって]だからこそなおのこと大事なものです。今、私はある謎に直面しており、これを頭から払いのけることができません。
 末筆ながら、私の最大の敬意をお受け取りください。先生の医師としてのご助力をすでにお断りいたしましたとはいえ、先生を偉大な医師として、さらに偉大な人間として、つねに尊敬しております
     先生に感謝しつつ

 ちなみにこの手紙の訳について、訳者山口直彦氏はあとがきで次のように書いています。

 中井教授の監訳を経ることで、山口・安の推敲を経ても残っていた思い込みによる誤読、読みの浅さが明らかになり、それらが解決された。数え上げればきりがないが、ひとつ例をあげれば、症例ライナーがコンラートにあてた手紙の解釈である。それは本書をお読みになれば、お分かりだと思う。(邦訳395頁)

 これを読む限り、症例ライナーの手紙の解釈は、山口直彦・安克昌両氏と中井久夫教授の間で分かれたようです。うがった見方をすれば、山口氏はこの手紙について訳文の文責を中井教授に帰し、自らの解釈とは違うんだと主張しているとも感じられます。そうだとすれば、ぜひもとの訳文も読んでみたいと思うのですが。

分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み

出版社: 岩崎学術出版社 (1995/03)

 この本については次回、残りの頁からこまごましたところを取りあげて終わりにします。

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コメント

患者さんの被注察感、彼の置かれた軍隊という状況を鑑みれば、これを妄想と断言できるかは議論のあるところだと思います。

管理人様の言うように、ある種の了解可能な二次「妄想」を患者さんは、軽快したが確信には相違ないので、少しは良くなったものの依然通院治療、投薬等の精神科医療の必要性のある病状、と憶測するしかないのだと思いました。

「妄想」の了解可能性、議論のあるところだと思いますが、治療の糸口になる可能性があるので、精神病理学の重要性が痛感される点ではないでしょうか。
と、再び療養型内科でのんびりと埋没しつつ、夢想するわたしめでございます。

 この症例は、もともと進路や出世へのこだわりの強い人物が、ナチス時代の軍に入ったという状況を考えると、おっしゃるように、個々の妄想観念は了解可能といえます。神とか宇宙とかの奇異・荒唐無稽な内容は現れていません。(テレパシー妄想も、読み物から借りてきた考え方にすぎないとも言えます)
 立場によっては、この症例を統合失調症ではないと診断することも可能かもしれません。その場合は妄想反応ぐらいの診断になるでしょうか。

 妄想を個々の内容に分割してしまうと了解可能になってしまうこのような症例は、妄想を部分部分に分けて「妄想知覚」「奇異な妄想」などと症状名に分類し診断しようとする立場(シュナイダーやICD10もそうです)への反証ともいえるんじゃないでしょうか。

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