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2011年6月 4日 (土)

コンラート『分裂病のはじまり』(3)

 この本の冒頭に紹介されている『症例ライナー』の翻訳の検討の続きです。今回は病歴の後半、医師が、妄想内容の真偽を患者と共に検討している箇所です。

 表面的には面接者の考えに耳を傾けようとしているが、彼に現在働いている病的体験のどれかによってすぐ力が抜けてしまうのであった。もういちど徹底的に議論をやり直してみたが、その後、彼はこう述べた。「そのことも考慮してみました。でも今以外の信念には到達できなかったのです。この問題を一日に何千回考えてもやはり同じ結論になるでしょう」。みんなが数週間も前から(この問診で)あらかじめ彼がどう反応するだろうかを知っていたという。かれが、分別のある人間なら誰でもこんな陰謀に対して反応するような反応をしたからである、だから、人々はあらゆる事態に対する準備ができたのである。(30~31頁、下線は引用者)

 原書では(というかドイツ語で書かれた精神医学書では常に)、すでに客体化された体験の内容については「Erlebniss」、患者が体験しつつある状態については「Erleben」と使い分けられていますが、翻訳では区別されていません。それでもほとんどの箇所ではあまり問題になりませんが、上のひとつ目の下線部は原書で「Erlebniss」ですし、「力が抜ける」と訳されている「entkraeften」は「(主張・論拠・仮説などを)打ち破る・覆す」といった意味ですので、以下のようになると思います。

表面的には面接者の考えに耳を傾けようとしてみるが、彼は現在の体験[の内容]のどれかでもって、面接者の考えをすぐ打ち破ってしまうのであった。(代案)

 そのつぎの下線部『(この問診で)』は原文にありませんので、『あらかじめ彼がどう反応するだろうかを知っていた』は、彼の生活全般での反応を指しているかもしれません。そしてそれと関連しますが、三つ目の下線部もちょっと違っていて、『人々は[彼の行く先々での監視・テストの]すべてを準備できたのである』が正しいでしょう。ここで「準備」と訳されている語「vorbereiten」は、これ以外の箇所では「仕組まれている」と訳されていて、たとえば、18頁で『途中の地名標識をたくさん見た。地名は自分の幼いころの生活と関係していて、当時の記憶を呼び覚ました。すべては仕組まれていたのだと確信した』の部分がそうです。ここでも同じ意味、「予め仕組まれていた」というニュアンスでしょう。

 訳語の統一性についてついでに一つ指摘しておきます。ここよりもほんの少し後ろに『彼の体験の現実性に疑いを抱かせようとさらに試みたところ、彼がそんなことは聞きたくないと思っていることがますます明らかになった』(31頁)という箇所がありますが、ここの『聞きたくない』は、上で引用した箇所の訳にあわせて「耳を傾けたくない」がよいでしょう。どちらも「auf...eingehen理解を示す・まともに対応する」です。

 次の箇所に移ります。

 患者はマールブルク大学の症例検討会において教室の人たちに供覧された。その後何日も経たないうちに「一次妄想体験」という概念が患者の面前で口に出された(病棟で医師同士が彼の発言などを引いて軽く論じ合ったのであろう -訳者)。その結果、驚くべきことが生じた。患者はにわかに妄想をおおむね間違っていましたと訂正したのである。あれは病気だったという見解を全面的に受諾した。しかしなお迷いはあり「どうしてこれはこうなのにあれはああなのか」と考えが行ったり来たりした。まだ思考が操られていた。(31頁)

 訳文ではじめの4つの文は原文では1つの文なのですが、時制はいろいろで、『驚くべき事が生じた』は現在形、『教室の人に供覧された』のと『一次妄想体験という概念が患者の面前で口に出された』のは過去のことです。

 そのあとの「あれは病気だったという見解を全面的に受諾した」は、助動詞「koennen」が省かれています。訳としては「あれは病気だったかもしれない」となるでしょう。もう少し前の30頁にある『ここで妄想であるかもしれないと彼に悟らせようとやってみた』の箇所も同じで、面接者は、いきなり妄想を否定するのではなく、まずは妄想・病気である可能性を納得させようとしているようです。ここまでを(訳者が補足した大学名なども省いて)訳し直すと次のようになります。

患者は症例検討会において供覧され、そのとき「一次妄想体験」という概念が患者の面前で論究された。その後[患者と]話し合ううちに、何日も経たずに驚くべきことが生じた。患者はにわかに大部分を訂正したのである。あれは病気だったかもしれない、という見解を全面的に受諾した。(代案)

 この後ろの『迷い』は、前回話題にした「Zweifel」ですので「疑い」「懐疑」あたりがよいでしょう。前回の箇所と同じく、患者が自分の考えについて確信しきれないという懐疑を示しています。さらに、『どうしてこれはこうなのににあれはああなのか』は原文では過去形、その次の文は原文では「;」でつながっており、接続法Ⅱ式ですから強い疑惑を表現しているでしょう。

しかしなお懐疑はあり「どうしてこれはこうだったのにあれはああだったのか;まだ思考は操られているのだろうか」と考えが行ったり来たりした。(代案)

 なお、患者は、自分が間違った信念を持っていたという可能性については次第に重く受け取るようになって受け入れはじめますが、自分が病気であるという可能性についてはいつももう少し低く見積もっているようです。

 次の問題箇所です。

彼はちまちました詮索に没頭するようになった。言動には格段の改善がみられた。かなり長い期間、面接の場では、「自分は病気だった」という見解を受け入れては、またそれを反駁することの繰り返しであった。そもそも面接の最初にいつも「なんと言っても、医長先生の御意見が結局は正しいということになるのでしょうね」と露骨にいうのであった。」(33~34頁)

 3つ目の文の最後は、「um freilich immer wieder mit Einwendungen dagegen zu kommen」です。一見すると「dagegen kommen」を意味上のまとまりと取りたくなりますが、辞書に見つからないので、むしろ「Einwendungen dagegen」をひとまとめに「それに対する異論」と取るべきと思います。

面接のかなり長い期間、「自分は病気だった」という見解をまったく妥当と認めていた。ただし、結局はその見解に対する異論を携えて再三再四またやってくることとなった。(代案)

 ここまでは原文では(カルテ記載らしく?)現在形で書かれています(『自分は病気だった』だけは現在完了形)が、次の『露骨に言う』だけは本来過去形ですので、ここまでよりも時間的に前の出来事を指します。ここまで訳文では過去形がもちいられているので、それよりも更に前の時点をどう表すかはなかなか技術的に難しいです。そして、カギ括弧内は、「dass」で始まる文の独立用法ですけれど、これは辞書によれば“願望、憤慨、呪い、命令を示す”らしいです。ここは“憤慨”というか「やっぱり」というニュアンスでしょうか。副詞「doch」と「vielleicht」のニュアンスも難しいですが、次のようにしてみました。

すでに彼は最初から、「やっぱり医長先生の御意見がひょっとして正しいかもしれませんね」と直截に言っていたのであった。(代案)

 次の問題箇所に移ります。

病気ではないと思っていたのです。そこから抜け出た今では、『劣等人』の烙印を押されたのではないかと思いつつ生きています。今は私はとても他の人たちと同等の価値のある人間ではありません。(32頁)

 はじめの2つの文にまたがる原文、「weil ich von der Meinung ausgehe, ich war nicht krank」の箇所ですが、「von...ausgehen」は「・・・を抜け出た」ではなく「・・・を出発点とした」という意味しか辞書に載っていませんし、『病気ではない』の箇所は原文で過去形です。さらに、「Meinung」も、先の『医長先生の御意見』と訳語を統一しましょう。

私は今では、『劣等人』の烙印を押されたのではないかと思いつつ生きています。なぜなら私は、自分が病気ではなかったという意見を出発点にしているからです。(代案)

 さて、今回細かく取り上げてきた部分は、あとのほうで次のように要約されています。ここまで私なりに代案を示してきた内容とほぼ一致しているように思います。

「コペルニクス的転回」をさせようという試み -よくやるように、「病識をつけさせる試み」といういい方を精神科医はしたがるが- は一回やってみて、その場では完全に失敗であったかのようであり(四四項)、数日後に突然受け入れられたかに見えた。しかし、この後、数回の揺れがあった。「それは『病気』のせいで、そのようなややこしい『監視』などなかったのだ」という私の見解を受け入れたかもしれなかったのだが、それを妨げる要因があった。次いで、かつての精神病からの断片が現れて、自分の方が正しいという証拠だ、だまされないぞと患者に思わせた。(239頁)

分裂病のはじまり―妄想のゲシュタルト分析の試み 

出版社: 岩崎学術出版社 (1995/03)

 今年はサマータイムを導入している企業もあるようですが、日本の気候の場合、夕方4時に終わって家に帰ってもエアコンをつけずに過ごすことはかなり難しいので、あまりエコにはならないんじゃないでしょうか。ヨーロッパならば、ほとんどエアコンが不要でそもそも普及しておらず、しかも午後10時ごろまで明るいんで、サマータイム導入には意味がありそうですけども。

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コメント

いつも綿密な精読と考察、おそれいりまする。

「仕組まれていた」という処は、所謂妄想着想、なんでしょうか?

被害感というか、背後には微小妄想に由来する被害妄想が潜在しているのでは、と私は何時も患者さんの話を聞きながら思うのですが、如何でしょうか?

それと妄想を少しずつ訂正していく過程は、興味深いですが、被害感の軽減との関係を感じます。

 いつも有難うございます。
 「仕組まれた」というのは、患者がここではじめて無根拠に思いついたものではなく、その時々の知覚にある程度結びついていますし、すでに妄想全体の主題の方向性に従ったものですから、「妄想着想」ではなさそうな気がします。
 妄想もここまで来れば「被害感」がすでに厳然と存在し続けているので、おっしゃるように何かを知覚するたびに被害感に基づく新たな妄想的解釈がどんどん広がっていくでしょう。そうした解釈は二次妄想ですから、「妄想知覚」とも呼んではいけない気がします(シュナイダーはこの辺甘いですけど)。
 とはいえ、患者の体験は個々の他者との関係を超えて「自分vs世界全体」ともいえる段階にまで達しており、私としてもこういう妄想体験は(たとえ思考伝播がなかったとしても)まあパラノイド統合失調症と診断していいだろうと思います。

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