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2011年6月30日 (木)

ヤスパースの妄想定義ですが(2)

 前回の話題を受けて、ドイツ語圏の文献の翻訳本をいくつかめくって、主に巻末索引ではありますが「妄想」や「ヤスパース」に関する項を探してみました。すると、妄想について「非常な確信」その他の標識をあげている箇所はあっても、そうした定義づけがヤスパースに由来すると書いてある本はありませんでした。そうすると、日本で過去数十年にわたって「ヤスパースが妄想を定義した三特徴」と語られてきたという事実は、日本精神病理学のガラパゴス化現象だったのかもしれません。

 見つけた範囲ではひとつだけ、ドイツ語圏ではSpitzerが自らの妄想定義を述べた本で、自論を展開する際の比較対象としてこの三特徴が挙げられており、批判対象というか踏み台として使われていますが、そこではヤスパースが主張した三特徴とまとめられていました。まあそういう目的にはビッグネームを挙げた方が都合が好さそうではあります。

 面白いと思ったのは、邦訳も出ているテレToelleの教科書『精神医学』の「妄想の基準」の項です。

妄想の基準
 妄想の診断のためには、明らかな錯誤、誤った判断形成、あるいは奇妙な確信だけでは十分ではない。というのは本当に病的なものは、内容ではなく、体験内部における意味づけであり、自己-関係性だからである。これはすでに、妄想の古典的定義の中に示された。つまり病的な自己-関係づけkrankhafter Ich-Bezug(Gruhle)、病的に自己に関係づけた誤謬krankhafter ichbezogener Irrglaube(Kehrer)、異常な意味意識abnormes Bedeutungsbewusstsein(Jaspers)などである。しかしこれらは妄想の一面しかとらえていない。(邦訳168頁)

 「明らかな錯誤、誤った判断形成、あるいは奇妙な確信」は、普通ヤスパースが挙げたとされる3特徴の言い換えですが、この項ではそこにヤスパースの名前は出てきません。そして、それらの特徴は「十分ではない」とされて、「妄想の古典的定義」として、先の三特徴とは違った考え方を紹介しているのですが、そこに初めてヤスパースの名前が挙げられているわけです。これはヤスパース本人の書き方に忠実で信用できる記載です。

 さて、ここで挙げられた「意味意識Bedeutungsbewusstsein」は(ざっと見たところヤスパースの『原論』には見当たらず、『総論』にみつかります)、ラカン用語に翻訳すればひとこと「シニフィカシオン」でよさそうで、上記の「妄想の基準」の項やヤスパースの精神病論はそのままラカンの枠組みでも考えられそうな気がします。まあ上の定義では、「病的」とか「異常」とは何か、ということこそ問題にすべきですし、そこはむしろラカンで考えたほうが良さげな気がします。

精神医学 
R. テレ、飯田 真、大橋 正和、 市川 潤
出版社: 西村書店; 第7版 (1991/08)

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コメント

突然の書き込み、失礼します。
ヤスパース哲学の研究をしている者です。

ヤスパースの精神病理学がその後の哲学とどのように関わっているのかに興味をもっています。

読書会があるとのこと。身近にヤスパースの精神病理学を読んでいる方がいらっしゃらないので、羨ましいかぎりです。

ところで第1版での「意味妄想」の用例ですが、三箇所に見出されます。S.26(43頁)、S.48(67頁)、S.80(106頁)です。(括弧内は邦訳の頁数です。)

ご研究の参考になれば幸いです。


「意味妄想」ではなく、「意味意識」の間違いでした。失礼しました。なお邦訳106頁では、「意味の意識」と訳されていたと記憶しています。

 はじめまして。コメントありがとうございます。返事が遅くなり申し訳ありません。じつは今週は精神病理学会なる会に参加しておりまして、ヤスパースに関する発表も聞いて参りました。
 さて、いま『総論』は邦訳・原書とも病院に行かないと手元にないんですが、ご指摘を受けて見直してみると、『原論』では67頁(原書47頁)にありました。(グーグルの書籍検索では、後年の版で83頁にもありましたが、どうもシュナイダーやシュミットからの引用として示されているようです)。
 ヤスパースを読んでいると、「○○意識」という言い方(疾病意識とか意味意識とか)が出てきますけど、「意識」という言葉を使っていても、思考の内容についての分類なのがどうも腑に落ちませんけれど、もしもすっきり整理して読める方法があったらご教示くださるとありがたいです。

 47頁でしたか。中途半端な指摘で申し訳ありませんでした。
 ヤスパースは哲学的著作でもしばしば「意識」という語を用いますが、かなりひろい意味で使われているように思います。意識「内容」を指したり、意識「作用」を意味したり、、、。今後の課題とさせてください。
 ヤスパースにおいては、その精神病理学が後の哲学に流れ込んでいると思います。しかし私のような素人には、彼の精神病理学にアクセスすることは容易ではありません。精神医学史学会でお世話になっている加藤敏先生がヤスパース論をお書きになられて大変勉強になりました。「不思議のメモ帳」も参考にさせていただきたいと思います。
(一方的ではありますが)今後ともよろしくお願いいたします。

 二つ前に頂いたコメントでご指摘いただいた個所(邦訳106頁)について、私はきっと邦訳『総論』(岩波の3分冊)のことだろうと思い込んでしまいまして、勘違いして前回お返事を書いてしまい申し訳ありません。邦訳『原論』(みすず)の106頁に確かに「意味の意識」という表現がありました。これの原書(1913年の初版)では80頁「Bedeutungsbewusstsein」です。
 ところで、ご指摘いただいた箇所の直前、みすず版邦訳『原論』の105頁にも「意味の意識」という訳語がありますが、原書では先ほどと同じ80頁に「das Bewusstsein der Bedeutung」とありまして、微妙に表現が違っています。
 なお、これらの箇所は、後年の版の翻訳である岩波版『総論』では上巻の220-1頁あたりと対応しています。
 
 前回の私のコメントにも補足しておきますと、みすず版の邦訳『原論』では67頁(対応する原書初版では47頁)に「意味意識」がありました。テレの教科書で言及されている妄想に関する文脈はここのことだと思います。
 グーグルの書籍検索で見つけたのは、後年の原書第9版の83頁の箇所でした。これに対応する箇所は岩波版邦訳『総論』では上巻の150頁で、やはり妄想に関する文脈です。

 ともあれ、意識という語がけっこうおおざっぱに用いられているという私の実感は私だけのものではないということがわかり安心しました。今後ともよろしくお願いいたします。

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