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2011年8月10日 (水)

テレンバッハ『メランコリー』(5)

 この本の症例の5例目を取り上げましょう。

<症例5>(・・・略)1959年のメランコリーは、最後に残った娘が両親のもとから出て行く結婚式の当日に発病した。式の三週間ほど前から眠りにくくなり、娘がいなくなってしまうことについてくよくよ考え始めた。結婚式当日の朝、《気乗りのしないまま》美容院に出かけた。前の晩は一睡もしていなかった。《ああ、神様、私は死んでしまいます》。翌日、彼女はとてもいらいらし、とても気がせいて、とてもおかしく、とても具合が悪く、とてもふさぎこんで》いた。彼女は急に《この上ない地獄の苦しみ》を感じ、《頭の中がくらくらして》もうよくならないと思った。仕事だけはまだ何とかやっていけたが、その上、病気になった孫の世話まで引き受け、それに加えて復活祭の飾り付けや祝日の準備もしなくてはならなかった。そして、それに引き続いて、重篤な抑止と生機的障碍を伴った完全なメランコリーが始まった。

 メランコリーの間、彼女自身は病気の原因を美容師のやり方のせいにしていた。発病前と発病後に起こった出来事が重荷になっていたということについての洞察は、後になってはじめて獲得された。彼女は娘との別離をのちに次のようなことばで説明している。《私にはひとりでいることが耐えられないのです》。娘がいなくなってからそれまで以上に自分の肩にかかってきた仕事を、彼女はもはや思い通りの入念さではこなせなくなっていたが、そのことについて彼女はこう語っている。《家の中がなにもかもそんなふうに中途半端になっていると、具合が悪くなってくるのです》。(邦訳164頁、下線は引用者)

 下線部の原文は「In der Nacht darauf」ですが、「darauf」を辞書で引くと、「それに次いで」「そのあと引き続いて」「その次に」などの意味しかありませんので、正しくは「その晩は」となるでしょう。つまり、患者が一睡もできず、「ああ、神様、私は死んでしまいます」と思ったのは、美容院に行って結婚式に出席した日の前の晩ではなく、まさに結婚式のあと当日の夜のことだったのです。だからこそ、その後「彼女自身は病気の原因を美容師のやり方のせいにしていた」わけです。

 この症例の記述についてまず目立つことは、患者が発症を美容師のやりかたのせいにしていること(他責)でしょう。この人は、ふつうメランコリー親和型の人々についてよく言われるような、もともと他者配慮的で義理堅く良心的で自責傾向があって、発症とともに明瞭に自責を訴えるようになるといった典型的性格特徴を持っていないように見受けられます。そのせいか、この患者の性格についてはあまり記載されていません。(子供との関係が密であったことや、普段から仕事の量が莫大であったこと、それを入念にこなしていたことについて記載されているだけです。)

 もうひとつ、この患者は、発症後に孫の世話や復活祭の飾り付けなどの仕事が加わることで、さらに病状が悪化して「完全なメランコリーが始まった」という経緯にも注目したいと思います。と言いますのは、昨今、過労によるうつ病や自殺などについての文脈で、「本来のうつ病は、引っ越しや昇進などの軽微な秩序変化からひとりでにおこるものであって、過労からうつ病になることはない」と言われることがあるからです。そういう論は、これまでメランコリー親和型性格者の内因性うつ病について長らく言われてきた理論を根拠にしているのですが、その原典とされているはずのテレンバッハの『メランコリー』にも、この症例5のように、過労が発端ではないにせよ、病状の完成へと追い込むケースの記載があることは、じっくりと味わって検討してみるべきものと思います。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5) 

 なお、ほんとに細かいことですが、この症例の紹介部分は邦訳では4段落に分けられていますけれど、3段落目と4段落目は原文ではひと続きの段落です。

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コメント

何時も大変勉強になります。(・∀・)イイ!

テレンバッハの言うメランコリーと、
今日でいう、特にDSM的にいう大うつ病、
軽うつ状態との重複とは、かなり微妙なずれがあるような気がします。

記述から伝わってる病像は、より患者さんの生の声であるわけですが、DSMの基準を、何とかして引き出そうとする昨今の私のような精神科医もどきは、患者さんの言述にたいして耳をかざすべきなのだとも思います。
病前性格、最近は全く顧慮しなくなってきた私
ですが、今日もルーチン化した頭部CTの伝票を切る私でもあります。

 ありがとうございます。
 テレンバッハのメランコリーは、おっしゃるようにDSMの大うつ病とは違うのですが、それだけでなく、戦後昭和の日本軽症うつ病者たちとも違うという点に気づいてみると、テレンバッハの本と現代の臨床がぐっと近づいてくるように思います。

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