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2011年9月20日 (火)

テレンバッハ『メランコリー』(9)

 この本の9番目の症例は、テレンバッハがメランコリー型の“プロトタイプ”として紹介するものです。

<症例9> 管理職にあるハンス・Gは、著明なメランコリー性罪責妄想のためにこれまでに八回入院しているが、入院のたびごとにいつも(部分的には一言一句にいたるまで)同一の内容の訴えを、つまり職業上の過失の罪についての訴えを繰り返している。今回の入院の二日前、彼はおびただしい花束と賞賛の言葉に埋もれて60歳の誕生日を迎えた。彼はまるで自分がからかわれているような気がした -そして自殺をくわだてたのである。
 彼の妻は患者の性格を、非常に勤勉、几帳面、正直、誠実、有能、というような言葉で表現している。彼のすることはいつも《万事きちんと整って》いた。会社で何か不都合なことがおこると、それが全く他人の責任であっても、自分自身に罪を着せるのがつねであった。それは学校時代からのことであるらしい。ほんのちょっとしたことで、謝ろうという気持ちがすぐに起きてしまう。いつも自分自身に対して不満足なのである。そんなとき、彼の上司はよく《しかしGさん、いったいなにを思いついたっていうんです》というのだった。会社のために働くということ、それが彼にとってはなによりも大切なことだった。それはまるで、(これがメランコリーの中ではグロテスクな形をとるのだが)会社が自分の気づかいによって存続しているかのような考えかただった。彼はあるとき妻に向かってこういった。《一番先に来るのが仕事で、そのあとはずっとなにもなくて、その次に来るのがひょっとするとお前のことかもしれない》。(ただし、夫婦間はごく円満であった)。退職してからというもの、人生は気の抜けたものになってしまった。彼は何ヶ月ものあいだ外出しなかった。二ヵ所の老人ホームの名誉職的な会計管理の仕事が彼にまかされることになって、彼はほっとして救われたような気持ちになった。

 彼が教会へ告解に行くのは《大嫌い》だというのは、こういった性質とは一見相容れないことのように思われた。しかしのちになって次のようなわかった。彼は、許しを受けることによって自分の負い目の感情を取り上げられたくなかったのである。しかしとにもかくにも、彼はその時までは快活で陽気な人生を送っていた。
 こんなにはっきりした例はそう多くはない。管理職のG氏は、メランコリー型のプロトタイプであり、その極端な一例である。負い目は彼の人生の不可欠の要素となってしまっていて、それはいわば、人生を前進させる陰圧のようなものであり、精神面における毛細管現象なのである。(邦訳173~4、訳文中、『メランコリー親和型』の語は『メランコリー型』に改めた)

 ちなみにこの症例は、この本にここまで挙げられた例ではじめての管理職です。

 プロトタイプといわれるだけあって、この症例記載は、日本の普通の精神科医がイメージする(軽症うつ病者の)メランコリー親和型性格のイメージにここまででいちばん近いといっていいでしょう。

 あえて相違点を挙げるとすれば、日本で普通論じられる(軽症うつ病者の)メランコリー親和型性格の人びとは、この症例よりもかなり安定度が高いという点でしょう。この例は8回の病相を経験していますし、60歳の誕生日の出来事から二日後には自殺を企てるほどのうつ状態に陥っています。一方、典型的な発症状況として我が国でも論じられるのは、引っ越しうつ病にしても、昇進うつ病にしても、状況に変化が生じても簡単には影響を受けず、数カ月程度の期間の後にうつ病を発症するというものです。

 とはいえ、この症例9のような人物が(確かに「けっして多くない」でしょうが)社会で暮らす姿は私にとってはイメージしがたいものではありません。ただ、これがプロトタイプだとすると、日本の精神科医たちが誰かをメランコリー親和型性格という言葉で形容することを半ば褒め言葉としているニュアンスとはやはり全然違うのではないかという気がします。中井久夫が看護師向け教科書の中で「この性格はドイツでは駄目な人とされるらしい」というようなことを書いていましたが、症例9に対する人物評価は日本でも同じでしょう。
 

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

 この患者の妻は、《一番先に来るのが仕事で、そのあとはずっとなにもなくて、その次に来るのがひょっとするとお前のことかもしれない》などと面と向かって言われたりしながらも、夫婦仲は良いとのことです。きっと非常に理解のある優しい奥さんに恵まれていたのでしょう。これは私が普段の臨床で、うつ病の男性患者さんたちの妻に対して持つ印象にも共通しています。うつ病の男性患者たちが、若いころにそのような人柄の女性を配偶者として選択しがちなのか(逆に、あるタイプの女性たちには、メランコリー型の男性が魅力的に映るのか)、結婚後に共同で生活していくうちに妻がそのような人柄になっていくのか、などと考えてみますが、もちろん答えは分かりません。

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コメント

いつもマズイ訳で御迷惑おかけしています

この例を読んでいて、ふと思い浮かべたのは
強迫性人格障害でした。几帳面、仕事への
強迫的思い入れ、人間味の乏しさ、等々、
DSMのケースブックに載っておりました。

身近な人物としては、沖縄で勤務していた病院長
が、まさにこれだったんですよね

些細なことまでのこだわり、周囲は迷惑していました。

 テレンバッハ自身、メランコリー型を強迫的だと言っているので、強迫性があることは確かなのですが、この症例9の場合、たとえば仕事をやっていても同じことを何度もチェックしたり、細かいところにこだわりすぎたりして、非効率的で先に進めなかったりするといった記載は無く、一応管理職にもなれたようですので、人格障害とまでは言えないように思いますけれども、また平日になったら病院でケースブックを参照してみようと思います。

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