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2011年10月24日 (月)

フロイト全集19から『制止、症状、不安』第5章

 この章の訳文は、第4章に比べると問題となる箇所が少なく、またそれぞれ訂正すべき部分も短いのですが、少しでも読みやすくするための代案を提案してみます。

 拘縮は通常、その当時は、当人が意図の支配下にあった筋肉の神経伝達が別の部位へとずらし移されることである。けいれん発作は、自我による正規の制御から逃れたことによる突発的興奮の表現である。(岩波版邦訳38頁)

 拘縮は通常、その当時別の部位で意図されていた、筋肉への神経伝達が、[当該部位へと]ずらし移されることである。けいれん発作は、自我による正規の制御から逃れた情動突発の表現である。(代案)

 二文とも微妙な違いではありますが、邦訳はやや不正確です。

 次に移りましょう。

強迫神経症の症状は一般的に二種類あり、両者は対立する傾向がある。禁止、予防的措置、懲罰のような、すなわち否定的性質のものであるか、あるいは逆に代償的満足であって、こちらは極めて多くの場合、象徴的偽装を纏う。(岩波版邦訳39頁)

強迫神経症の症状は一般的に二種類あり、両者は対立する傾向のものである。禁止、予防的措置、償いのような、すなわち否定的性質のものであるか、あるいは逆に代償的満足であって、こちらは極めて多くの場合、象徴的偽装を纏う。(代案)

 岩波版で「懲罰」とされている「Busse」は辞書によれば「償い」「贖罪」です。

 次です。

最も新鮮な症例においては、症状が二つの時期に分かれる。すなわち、一定の指示に従う行動にすぐ続けて、それを棚上げにしたり、あるいは撤回したりする第二の行動がなされる。もっともその指示と反対のことを敢行するほどではまだない。(岩波版邦訳40頁)

最も新鮮な症例においては、症状が二つの時期に分かれる。すなわち、一定の規定を実行する行動にすぐ続けて -その行動と反対のことを実行するほどではまだないにせよ- それを相殺したり、あるいは撤回したりする第二の行動がなされる。(代案)

 岩波版では「aufheben」を「棚上げ」と訳していて、ヘーゲル的な訳語を避けるという意図が伺えますが、ここの文脈で訳語を選ぶならむしろ「相殺」という感じでしょう。

 次にいきましょう。

 私たちのいくつかの前提に対する矛盾の一つとして、好ましからざる強迫的表象がそもそも意識される、という点をあげることができるかもしれない。とはいえ、そのような強迫的表象がかつて抑圧の過程を切り抜けてきたことは疑い得ない。(岩波版邦訳44頁)

 私たちのいくつかの前提に対する矛盾の一つとして、好ましからざる強迫的表象がそもそも意識される、という点をあげることができるかもしれない。とはいえ、そのような強迫的表象がかつて抑圧の過程を通り抜けてきたことは疑い得ない。(代案)

 本当に細かい箇所で、durchmachenという語の訳だけの問題なんですけれど、私の日本語の語感では「切り抜ける」だと影響を受けずに済んだような印象を受けるので、ちょっと違うなあという感じです。

 次にいきます。

抑圧は、攻撃的な欲動の蠢きの内容を蝕みはしなかったとしても、それに付随する情動的性格を払拭してしまった。そこで攻撃性は自我にとって、刺激因ではなく、患者たちの言うように、冷静さを保たせてくれる単なる「思考内容」であると見えることになる。(岩波版邦訳44頁)

抑圧は、攻撃的な欲動の蠢きの内容を蝕みはしなかったとしても、それに付随する情動的性格を除去してしまった。そこで攻撃性は自我にとって、衝動ではなく、患者たちの言うように、冷静さを乱さない単なる「思考内容」であると見えることになる。(代案)

 ここも単語レベルの訳だけの問題です。

 さらに次へいきます。

自我は、贖罪行為や自己懲罰のための制限など一連の新たな症状によって、罪悪意識を知覚せずに済ませている。しかしながら、これらの症状は、マゾヒズム的な欲動の蠢きの満足をも同時に意味する。しかし、その欲動の蠢きは退行によって増幅される。(岩波版邦訳45頁)

自我は、贖罪行為や自己懲罰のための制限など一連の新たな症状によって、罪悪意識を知覚せずに済ませている。しかしながら、これらの症状は、退行によって増幅されたマゾヒズム的な欲動の蠢きの満足をも同時に意味する。(代案)

 岩波版は関係詞節を後ろからひっくり返して訳さないことが多いんですけれど、ここはひっくり返した方がよさそうです。

 次が最後です。

強迫神経症における症状形成の一般的傾向は、すでに記述したところである。社会機能を果たすことが不首尾に終わるという犠牲を払って、代替満足がますます大きな領域を占めるようになる、というのがその趣旨である。元来は自我の制限を意味していた同じ症状は、自我の統合への傾向のお陰で、後には満足の制限をも受け容れる。(岩波版邦訳46頁)

強迫神経症における症状形成の一般的傾向は、すでに記述したところである禁止という面が次第に退いて、代替満足がますます大きな領域を占めるようになる、というのがその趣旨である。元来は自我の制限を意味していた同じ症状は、自我の統合への傾向のお陰で、後には満足の症状という意味も帯びる。(代案)

 代案で「禁止」としたのは原書で「Versagung」です。たとえばこの論文の邦訳26頁には「彼が自らに禁じている満足はどこにあるのか。なぜ彼はその満足を自らに禁じなくてはならないのか」という箇所がありますが、そこで用いられている「禁じているversagen」という語に近い語ということで翻訳を「禁止」に統一しました。ただ私としては頓挫とか断念といった訳の方がよいと思います。(邦訳39頁に「禁止(Verbot)」とあり、同じ事態を表していると思いますが、いちおう原語は違うので区別したほうがよいと思います)。二文目は「満足の症状」とも「満足の制限」とも解釈可能ではありますが、このあとの文との整合性などを考えて「満足の症状」としてみました。

1925-28年 否定 制止,症状,不安 素人分析の問題 (フロイト全集 第19巻) 

フロイト (著), 加藤 敏 (編集)

出版社: 岩波書店 (2010/6/26)

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