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2011年12月

2011年12月21日 (水)

フロイト全集19から『制止、症状、不安』第4章(3)

 この論文は何度もわからなくなって元に戻って読み返しているのですが、第4章にまたひとつ翻訳上の問題が見つかりました。

・・・その後私は、第三の症例として、ある若いアメリカ人を見出した。彼において動物恐怖症は形成されなかったが、まさにこの欠落ゆえに他の症例を理解する一助となるのである。彼の性的な蠢きは、彼が読み聞かせをしてもらうある空想的な子供用の物語によって燃え立つのだったが、それは、食べることのできる物質でできている人間(ジンジャーブレッドマン)を、食べてしまうために追いかけて捕まえるアラビアの酋長についてのものだった。彼自身この食べることのできる人間と同一化しており、酋長が父の代替物なのは容易に見て取れるが、この空想が彼の自体性愛的な活動の最初の基礎となった。父親に食われるという表象は、幼児が保持する典型的かつ太古的な財産であり、神話(クロノス)や動物生態との類似は広く知られている。
 このように病的性格を緩和させる事情があるにもかかわらず、この表象の内容は、私たちにとってやはり異様なものであり、これを子供において認めることができるとは信じがたいことである。(岩波版30~31頁、下線は引用者)

 一つ目の下線部の『容易に見て取れる』は『leicht kenntlich』、二つ目の『病的性格を緩和させる』は『Erleichterung』です。後者の語には『leicht』という部分が含まれることから、一つ目の下線部を踏まえており、『容易化』といった意味になると考えるのが自然だと思います。

 ですので二段落目は次のように訳したほうがつながりが分かりやすそうです。

 このような容易化にもかかわらず、この表象の内容は、私たちにとってやはり異様なものであり、これを子供において認めることができるとは信じがたいことである。(代案、下線は変更箇所)

 すでにこの章については二度
http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/post-2784.html
http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/post-44eb.html
扱っているので、それらと併せて参考にしていただければ幸いです。気づいては付け加える繰り返しになってしまて読みづらいでしょうが、これも、私にとってはその時々に考えたことの日記でもありますのでご寛恕ください。

1925-28年 否定 制止,症状,不安 素人分析の問題 (フロイト全集 第19巻) 

フロイト (著), 加藤 敏 (編集)

出版社: 岩波書店 (2010/6/26)

2011年12月20日 (火)

ヤスパース『原論』の再読(第三章第一節)

 ヤスパース『精神病理学原論』を再読して、翻訳上の問題を取り上げるシリーズの続きです。

精神的反射弓というのは主観からみれば了解的関連で、対象意識から感情や努力や反抗、最後に行為が「出てくる」のであるが、客観的にはこれに反して因果的なつながりで、外部刺激が消化加工と反応を引き起こすのである。(みすず版邦訳183頁、下線は引用者が付した)

 主観的には『了解的な関連』、客観的には『因果的なつながり』とされているわけですが、『関連』と『つながり』という日本語の二語の意味の相違は小さいので、なぜ言い換えられているのかいまひとつわかりません。原書で後者は『Folge』ですので、次のようにして対比を強調してみます。

精神的反射弓というのは主観からみれば了解的関連で、対象意識から感情や努力や反抗、最後に行為が「出てくる」のであるが、客観的にはこれに反して因果的な帰結で、外部刺激が消化加工と反応を引き起こすのである。(代案、下線は変更箇所)

 次に移ります。

だから一次的なのは妄想体験、幻覚であり、二次的なのは理性的な働きによって得られた妄想体系(健康な心によって病的な出来事が消化加工される)である。(みすず版邦訳186頁、下線は引用者が付した)

 ここで『体験』には『Erleben』という動詞形が用いられていますが、ここ以外の箇所で使われる名詞『Erlebnis』(すでに客体化された体験やその内容を示す)と使い分けられています。この相違は病識についての説明では極めて重要であって、以前にも『精神病理学総論』(岩波の三巻本)について取り上げましたhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-8dd7.html

 さらに、ここでは『幻覚』も動詞形が用いられていますので、次のような代案を提案します。

だから一次的なのは妄想体験すること、幻覚することであり、二次的なのは理性的な働きによって得られた妄想体系(健康な心によって病的な出来事が消化加工される)である。(代案、下線は変更箇所)

 なお、動詞形の『体験Erleben』は、191頁では『遭遇』と訳されています。

 次の箇所に進みましょう。

決断不能、けりをつけられないなどが精神衰弱者にあり、またブロイラーの両価性というのがあって、これは早発性痴呆の患者にことにある事実で、同じものを同時に憎みかつ愛することができるとか、正しいと思いかつ誤っていると思うことができるとかいうことで、たとえば正しい見当識を持っていながら同時に妄想的な見当識を確信をもって曲げないごときである。(みすず版邦訳190頁、下線は引用者が付した)

 最初の部分に訳し落としがありますので補ってみます。ついでに、全体の文型を少し整えてみます。

決断不能、けりをつけられない、準備を整えられないなどが精神衰弱者にあり、またブロイラーの両価性というのがあって、これは早発性痴呆の患者にことにある事実で、同じものを同時に憎みかつ愛することができるとか、正しいと思いかつ誤っていると思うことができるとか、またたとえば正しい見当識を持っていながら同時に妄想的な見当識を確信をもって曲げないごときである。(代案、下線は変更箇所)

 さらに次へ進みます。

五 欲動の発展、情熱、評価、世界観、人生観。人間の何かを得ようという努力や願望を分析すると根本的な、質的に独特の、それ以上さかのぼれない究極の欲動のもとというものに至る。(みすず版邦訳193頁、下線は問題箇所に引用者が付した)

 ここは初めの部分に余分な補足があります。ただ、原語の『Anschauungen』は、一語の日本語には訳しづらいのも確かです。あとの二か所は訳語の問題です。

五 欲動の発展、情熱、評価、見解。人間の何かを得ようという志向や願望を分析すると根本的な、質的に独特の、それ以上さかのぼれない究極の欲動素質というものに至る。(代案、下線は変更箇所)

 『欲動素質』としたのは原語で『Triebanlagen』ですが、ちなみにこれは185頁から186頁にまたがる部分では『もちまえの欲動』とされています。

 次が今回の最後です。代案もまとめて紹介します。

第一群は感覚的欲動で、性欲や食欲などである。(みすず版邦訳193頁、下線は問題箇所に引用者が付した)

第一群は官能的欲動で、性欲や食欲などである。(代案、下線は変更箇所)

 ここで『官能的』としたのは『sinnlich』です。

精神病理学原論 
カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)
みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

 

出版社: Kessinger Publishing (2009/11)

2011年12月14日 (水)

フロイト全集19から『制止、症状、不安』第3章(2)

 この論文は難しいので何度も前に戻って読み直しています。第3章の翻訳の問題点はすでに取り上げました。http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-1c6f.html

 しかし前回取り上げた以外にもいくつか訂正すべき箇所があると思われたのでもう一度検討してみます。

通常は、抑圧されるべき欲動の蠢きは孤立したままである。抑圧の行為が自我の強さを私たちに示すものだとしても、抑圧はまた一方で、自我は無力であり、エスの個々の欲動の欲動の蠢きに対し、影響を及ぼせないことを明らかにする。というのも、抑圧によって症状へと生成する過程は、自らの存在を、自我編成の外部において、それとは無関係に主張するからである。(岩波版22~23頁、下線は引用者)

 下線部「生成する」は、「geworden ist」なので完了形です。「nun」という一語も抜けています。代案は次のようになります。

通常は、抑圧されるべき欲動の蠢きは孤立したままである。抑圧の行為が自我の強さを私たちに示すものだとしても、抑圧はまた一方で、自我は無力であり、エスの個々の欲動の欲動の蠢きに対し、影響を及ぼせないことを明らかにする。というのも、抑圧によってすでに症状になった過程は、いまや自らの存在を、自我編成の外部において、それとは無関係に主張するからである。(代案、下線は変更箇所)

 次の疑問箇所です。

自我の非性化されたエネルギーは、それが結合と統一化を求める努力のうちにも自らの由来を物語っており、この総合への強迫は、自我が力強く増長すれば増長するほど増大する。このようにして、自我がまた、症状を何とかして自らに結びつけ、その紐帯を介して自らの編成に組み込むため、あらゆる可能な方法を用いて症状の異質性と孤立とを解消しようと試みるのは、納得のゆくところである。(岩波版23頁、下線は引用者)

 下線の「結合」は、原文では「Bindung」で、岩波の全集ではたいてい「拘束」と訳されています。フロイトはこれ以外の論文で、拘束されたエネルギーと拘束されないエネルギーという分類を行っていますから、ここでもエネルギーの拘束と関連した話題なのかもしれません。二つ目の下線も動詞形ですが同じことです。

自我の非性化されたエネルギーは、それが拘束と統一化を求める努力のうちにも自らの由来を物語っており、この総合への強迫は、自我が力強く増長すれば増長するほど増大する。このようにして、自我がまた、症状を何とかして自らに拘束し、その紐帯を介して自らの編成に組み込むため、あらゆる可能な方法を用いて症状の異質性と孤立とを解消しようと試みるのは、納得のゆくところである。(代案、下線は変更箇所)

 次は単なる訳し落としです。

パラノイアにおける妄想形成では、患者たちの鋭敏な感覚と空想に対し、彼らにとっては求めようがない一つの活動領野が切り開かれる。(岩波版25頁)

パラノイアにおける妄想形成では、患者たちの鋭敏な感覚と空想に対し、彼らにとってほかでは求めようがない一つの活動領野が切り開かれる。(下線は追加箇所)

 前回の訂正箇所と合わせて、少しでも読みやすくなると良いんですが。

1925-28年 否定 制止,症状,不安 素人分析の問題 (フロイト全集 第19巻) 

フロイト (著), 加藤 敏 (編集)

出版社: 岩波書店 (2010/6/26)

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