フロイト全集19から『制止、症状、不安』第3章(2)
この論文は難しいので何度も前に戻って読み直しています。第3章の翻訳の問題点はすでに取り上げました。http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-1c6f.html
しかし前回取り上げた以外にもいくつか訂正すべき箇所があると思われたのでもう一度検討してみます。
通常は、抑圧されるべき欲動の蠢きは孤立したままである。抑圧の行為が自我の強さを私たちに示すものだとしても、抑圧はまた一方で、自我は無力であり、エスの個々の欲動の欲動の蠢きに対し、影響を及ぼせないことを明らかにする。というのも、抑圧によって症状へと生成する過程は、自らの存在を、自我編成の外部において、それとは無関係に主張するからである。(岩波版22~23頁、下線は引用者)
下線部「生成する」は、「geworden ist」なので完了形です。「nun」という一語も抜けています。代案は次のようになります。
通常は、抑圧されるべき欲動の蠢きは孤立したままである。抑圧の行為が自我の強さを私たちに示すものだとしても、抑圧はまた一方で、自我は無力であり、エスの個々の欲動の欲動の蠢きに対し、影響を及ぼせないことを明らかにする。というのも、抑圧によってすでに症状になった過程は、いまや自らの存在を、自我編成の外部において、それとは無関係に主張するからである。(代案、下線は変更箇所)
次の疑問箇所です。
自我の非性化されたエネルギーは、それが結合と統一化を求める努力のうちにも自らの由来を物語っており、この総合への強迫は、自我が力強く増長すれば増長するほど増大する。このようにして、自我がまた、症状を何とかして自らに結びつけ、その紐帯を介して自らの編成に組み込むため、あらゆる可能な方法を用いて症状の異質性と孤立とを解消しようと試みるのは、納得のゆくところである。(岩波版23頁、下線は引用者)
下線の「結合」は、原文では「Bindung」で、岩波の全集ではたいてい「拘束」と訳されています。フロイトはこれ以外の論文で、拘束されたエネルギーと拘束されないエネルギーという分類を行っていますから、ここでもエネルギーの拘束と関連した話題なのかもしれません。二つ目の下線も動詞形ですが同じことです。
自我の非性化されたエネルギーは、それが拘束と統一化を求める努力のうちにも自らの由来を物語っており、この総合への強迫は、自我が力強く増長すれば増長するほど増大する。このようにして、自我がまた、症状を何とかして自らに拘束し、その紐帯を介して自らの編成に組み込むため、あらゆる可能な方法を用いて症状の異質性と孤立とを解消しようと試みるのは、納得のゆくところである。(代案、下線は変更箇所)
次は単なる訳し落としです。
パラノイアにおける妄想形成では、患者たちの鋭敏な感覚と空想に対し、彼らにとっては求めようがない一つの活動領野が切り開かれる。(岩波版25頁)
パラノイアにおける妄想形成では、患者たちの鋭敏な感覚と空想に対し、彼らにとってほかでは求めようがない一つの活動領野が切り開かれる。(下線は追加箇所)
前回の訂正箇所と合わせて、少しでも読みやすくなると良いんですが。
1925-28年 否定 制止,症状,不安 素人分析の問題 (フロイト全集 第19巻)
出版社: 岩波書店 (2010/6/26)
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> 拘束されたエネルギーと拘束されないエネルギー
前者は量、足し算できる、つまり外延。後者は自由なエネルギー、質、足し算できない、つまり、内包、なんじゃないかなぁ、とも、思います。前者は二次過程で、水準っていうことが考えられる。えと、不快の水準100を80にできたら快じゃないかってな。なんだけども一次過程ではそういうことはできない。欲動(死の欲動)の恒常性がある。とはいえ、じゃあ、死の欲動がなんで欲動なのよ、なんらか、別の快、あるんじゃね??ってなると、ま、それは、変化、水準じゃなくって、変化。あるいは、接触障壁は、最初の一撃で、ま、薄紙にボールを、投げつけたら、穴があく、通道が通る。なんだけども、以降、最初のボールの直径よりも小さな直径のボールは、通道を変化させることなく通過する。つまり、100個、小さなボールが通過しても、足し算されない。
投稿: TheOtherWind | 2017年4月22日 (土) 17時25分