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2012年4月24日 (火)

ヤスパース『原論』の再読(第三章第二~三節)

 久しぶりにヤスパース『原論』に手をつけてみます。これは先週、症例検討会で自分の鑑定例を紹介した際に、参加しておられた先生から、病的過程か人格の発展かというヤスパースの考え方に言及されたのがきっかけです。

 まずは単純な誤植から。

時として接続的な血管運動性、神経衰弱的症状群、たとえば災難の後など。(179頁)

時として持続的な血管運動性、神経衰弱的症状群、たとえば災難の後など。(代案)

 次も単語レベルの問題ですが、221頁に「意識下の」という語が3回ほど出てきます。この日本語は、私の語感だと「意識内の」という意味にとりたくなるのですが、原語は「Unterbewusstsein」で、文脈からいっても、「意識される閾よりも下の」「潜在意識の」という意味でしょう。手持ちの辞書では大辞泉で「下」をひくと

「名詞に付いて、そういう状態のもとにある、その中でのことである意を表す。『戦時下・意識下』」

とあり、私の語感に一致しますが、新明解の「下」には

「①表面に現れない部分。『地下・意識下』 ②…のもと、…に属すること。『インフレ下の日本経済・支配下』」

とあり、両方の意味があるようです。これははじめて知って驚きました(もし片方の辞書だけ持っていたら、相反する二つの意味のどちらかだけが正解と思ってしまいそうですよね)。

 さて、そのすぐあとに、「第3節 病気に対する患者の態度」の章があり、これは病識に関する理論として非常にしばしば引用される箇所です。しかし文献上あまり指摘されてはいませんが、ここでヤスパースは患者の態度を明瞭に二段階に分けています。

一 患者は病気の症状を消化加工する。すなわち、ある体験Erlebnisは消化加工して妄想体系にする(以下略)。二 本当の意味でいう態度というのは、人間が自分の体験Erlebenにむきあって観察し判断することである。自我が自分の中で経過してゆく出来事に向かいあうこととか、自我が対象から目をそらして自分を「反省」しながら自分自身に向かいあうという精神生活の根本現象は、病気の時にはめったにない。心理学的な判断によって何をどのように体験するかが意識されるようになる。患者がその体験Erlebenに対して正しい態度が理想的にとれるようなのは、患者が「病識」があるという。[原語は引用者が付け加えた](222頁)

 第一段階の「体験」は、客体化されたものということでしょうか、原文では「Erlebnis」という名詞が用いられており、一方で第二段階の「体験」には、「Erleben」という、動詞をそのまま名詞化したものが用いられています。(Spitzerが英語論文でexperienceとexperiencingの両者を使っていたことを参考にして)後者は、「進行中の体験」とでも訳したらよいかもしれません。

 このあとしばらくは、おもに前者の「体験」への反応について説明されます。後者について語られるのは、次の引用箇所の第二文以降です。

 この第一群ではいずれの場合にも患者の病気の内容に対する患者の態度から特徴を知り、また変化した精神生活への患者の反応から、内容の消化加工から、特徴を知ったのである。第二群では患者が内容ではなくて[進行中の]体験Erlebenと自己に目を向けてこの出来事の原因をたずねながら彼の病気の一つ一つの様子や病気全体を判断する時にとる患者の態度から特徴を集めるのである。こういうものは皆総括して疾病意識とか病識といわれる。(225頁)

 「体験」の原語の区別に着目することで、上の第一群と第二群との相違が明瞭になると思います。

 最後は構文上の誤訳です。ただし長い一文なので訳しづらく、みすず版も3文に分けています。私は前後をひっくり返すことにしました。

 急性精神病の最中より重要なのは、精神病が経過して回復してからそれに対してとる患者の態度である。すなわち判断がはっきりしているので、その内容からみると、本当の態度を見てとる上に間違いをおこさせやすい。それゆえこの病像全体を誤って解さないようにしなければならない。(229頁)

 もし病像全体を誤って解さないようにしたいのであれば、表明された判断の内容 -これが間違いをおこさせやすい- を通じて、本当の態度に到達することが重要である。これは急性精神病の最中よりも、精神病が経過して回復してからそれに対してとる患者の態度に際して、いっそう重要[な注意点]である。(代案)

 222頁の引用箇所の「向き合う」の原語は「gegenuebertreten」「sich gegenueberstellen」ですが、私は、「向き合う」っていう言葉、ニュースやドキュメント番組なんかで「認知症と向き合う」みたいな表現を聞くとすごく嫌なんです。なんででしょうかね。

精神病理学原論 
カール ヤスパース (著), Karl Jaspers (原著), 西丸 四方 (翻訳)
みすず書房; 限定復刻版 (1971/01)

Allgemeine Psychopathologie Ein Leitfaden Fur Studierende, Arzte Und Psychologen (1913) Karl Jaspers (ペーパーバック - 2009/11)

 なお、今回の記事の内容のほとんどは、ヤスパースの同じ教科書の後年の版「精神病理学総論」についてすでにこのブログで取り上げました。参照ください。

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-8dd7.html

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/post-e838.html

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