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2012年5月 1日 (火)

テレンバッハ『メランコリー』(12)

 しばらく放ってあったテレンバッハ『メランコリー』の症例を見直してみます。

〈症例12〉女性患者ミーナ・Dは、いつも似たような事情で何回もメランコリーにかかっていて、1959年には5回目の入院ということになった。まずはじめに、彼女のメランコリーの主要なテーマをいくつかまとめておこう -これらのテーマは入院のたびごとにいつも同じものだったのである。それは次のようなものだった -自分は結婚に《無関心》だったから、自分たちの結婚は非合法であり、無効である。結婚前、自分は何一つ教わらずに時間を無駄に過ごした。自分は罪深い女で、人生の生き方を間違えた。もうお祈りにも懺悔にも行けなくなった。家庭の中はすっかりだめになった。夫は自分のために傷ついた。死んだほうがましだ。4回目の入院では洗浄強迫と不潔恐怖が現れた。納屋で首を吊ったり、窓から飛び降りたりしようとしたが、何とか防止することができた。
(一段落略)
 患者自身、入院中に何回も繰り返して話してくれた内容を、回復後の診察のときにも完全におぼえていた。精神病以外の時期における罪の主題の歴史は、彼女の幼児期にはじまる。《いろいろなあやまち、毎日のあやまち、それをもうずっと前からくよくよ考えていました》。その中心になっていたのは、6、7歳のころに性器を触ったということだった。これはのちになって何回も懺悔したのに、40年後の今日になってもまだすっきり片付いていない。(略)いつも彼女の罪責感の中心におかれるのは結婚式のことであったが、この結婚式の直前に次のようなことが起こった。彼女はその当時から、現在の夫と結婚するのが良いことかどうかについての自信が持てなかった。式の前の水曜日に、彼女は婚約者に手紙で破断を申し入れた。彼は書留郵便で彼女の責任を問うてきた。夜になって、そのことについての話し合いがなされて、その結果、あらためて婚約がかわされた。彼女の家族は皆、それには反対であった。婚約者が教会に行かない人だという村の噂がいろいろと持ち出された。婚約者は反キリスト教的ナチ党員だったのである。彼は《いっしょに宗教的な生活を送る》という約束をしたが、彼女はそれでも信用することができなかった。式の当日、祭壇の前に進み出ても、この疑惑は彼女の心を離れなかった。彼女は、できることなら《いやです》と言いたかった。自分の不正直さ、というよりむしろ臆病さで心が重くなり、自分自身を責めながら教会を出たが、いましがた挙げたばかりの結婚が正当なものだとはどうしても思われず、それどころかこの結婚の有効性についての重大な疑念すら生じてくるのだった。結婚したその日から、彼女は本当に憂鬱になってしまった。夫婦間の性交渉は、最初からしっくり行かなかった。彼女はその当時もその後もずっと不感症であり、性行為のたびごとに、あとで罪責感を覚えた。この疑惑を、彼女は結婚以来ずっと持ち続けていた。とはいっても夫との相互理解は良好で、《夫婦仲は良かった》。ともかくも、彼女はどう見ても明朗活発で、新聞に土地の方言で詩を載せたり、あるクラブで芝居を企画した時に重要な役を演じたり、パーティーのために長い詩を作ったりした。しかしその間も、心の中は疑惑にむしばまれていた。とりわけ彼女を苦しめたのは、四人ものしつけの良い勤勉で健康な子供が夫との間に恵まれたという現実と(そのことを考えると彼女は非常に元気になった)、この結婚が良心に照らして無効な仕方で結ばれたということの間の矛盾であった。そして、この結婚が無効なものだということが、いつも変わらずメランコリーのテーマになった。(みすず版邦訳179~180頁)

 原文をみるとまず、「自分は結婚に《無関心gleichgueltig》だったから、自分たちの結婚は非合法であり、無効nicht gueltigである」という箇所で、病歴・症状の語られ方のなかに言語的なつながりがあるのが面白いと思います。あとは「もうお祈りにも…行けないnicht mehr in die Kirche...gehen」「婚約者が教会に行かない人だdie mangelnde Kirchlichkeit des Braeutigams」「反キリスト教的ナチ党員der antikirchlichen NS-Partei」の3か所には「Kirch教会」という語が繰り返し用いられていることも挙げておきましょう。「反キリスト教」の部分はむしろ「反教会主義的」ぐらいの意味ではないでしょうか。

 さて、この患者の結婚について「彼女の家族は皆、それには反対であった」ようですから、それでも二度目の婚約をした彼女が結婚に「無関心」であったはずはないと思います。そもそも、無関心ならば一度婚約を破棄したりしないでしょう。むしろ、患者本人は結婚を望んでいたのだが相手の宗教上の姿勢について家族から心配された(加えて自分もある程度心配であった)ので、結婚後は、自分自身が結婚前に結婚をどのように考えていたのかという点について自らをも偽り続けている、といったところではないでしょうか。

 6~7歳の頃から性に無関心ではなかったこと、結婚後の夫婦仲の良さ、4人の子供に恵まれているなどの事実についても、上のように考えたほうがしっくりきます。

 性格について言えば、患者は「明朗活発」で、社会的にはやや出過ぎたことにも手を出す人のようで、やっぱり日本の精神科医が考えるメランコリー親和型の類型には収まりそうにないと思います。

 この症例は287~289頁でも言及されています。

ここでもやはり、《無効な結婚》という負い目が絶えず現前し続けている。そして婚約時代を思い出すたびごとに、状況は自家撞着の規定を受けることになる。ある人が罪のためにみずからの結婚の存続を否定せざるを得ず、しかも結婚が -家族に気を配ることへの配慮という‐ その人の現存在の意味全体を満たすものであったような場合、それは自家撞着以外の何ものでもないだろう。いやおうなしにレマネンツを生じさせる決定的な契機は、ある特定の構造を持った人が、みずからの実存し得ない状況を実存するはめにおちいって、そこで自己実現が不可能になるという点にある。(みすず版邦訳288~289頁、下線は引用者)

 私は下線部についてむしろ、「ある人が、表向きの自分[と家族]の価値観に逆らうような結婚を存続するために、罪悪感を語り続けざるを得ない」と考えられるのではないかと思います。これはこれである種の自家撞着といえるかもしれません。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

 前の記事(ヤスパース『原論』についての記事)で、「意識下」という日本語には意識の内部という意味とその逆の意味の両義がありうるらしいが私は前者しか知らなかったと書きましたが、このテレンバッハ『メランコリー』のひとつ前の症例11にも出てきます。当ブログで症例11を検討した時は省略した段落です。

《若気のあやまち》がその後もずっと意識下に現前していたことを示す例としては、次のような出来事がある。エーファ・Sは、終戦後、ある米軍将校クラブで働いていた。そこでは皆が、彼女が結婚していることを知っていた。それなのに、あるとき彼女は、特有な隠語で《Sねえちゃん》と呼びかけられた。その時彼女は仕事の手を休めて考えた。《抗議すべきだろうか - 抗議してもよいだろうか - 抗議してはいけないだろうか》。(みすず版邦訳177頁)

 この「意識下に現前」の原語は「subliminale Praesenz」ですので「サブリミナルに現存」とでも訳し換えておきましょう。「現前」という訳語もやはり意識内の出来事という誤解を与えやすいと思います。

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