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2012年7月29日 (日)

下田・中ら『初老期鬱憂症の研究』2

 前回に続き、下田光造門下の中脩三を筆頭著者とする昭和9年の論文の症例を紹介しましょう。今回扱うのは非常におもしろい例でして、私の病院で読み合わせた時には、普段の検討会ではあまり口を開かない同僚までがつい口を挟んだほどです。


初老期鬱憂症 軽鬱状態型

 単純なる軽鬱状態

 症例2 中○眞○ 男、47歳、酒造業、昭和6年1月23日入院、同4月14日退

 主訴 不眠、沈鬱、死に対する不安、悲観的後悔、性欲の強度の減退、決断の渋滞。

 性格 細心、正直、熱中性、平素は陽気にして交際円滑なれども好む者を熱愛し、好まざるものを憎む傾向あり、概して「チクロイド」気質にして且つ所謂偏執的性格を有す。

 現病歴 14,5年前より主訴の如き徴候度々出現し長きは1年半短きは半年位にて自然に治癒せり、誘因は常に芸者との性的接触なりしと言う。今回も一昨年5月頃仲居に接吻せしことありてより心気的となり漸次悪化せるものにして此度の発作が最も長く且つ重篤なりと言う。主訴に挙げたる徴候のほかに2年前[=一昨年の初頭]より既に労務不能にして手紙も書けず、仲居との接吻以来左鼠径部の古き下疳切除瘢痕に緊張感あり、食欲不進、目渇、下顎関節の異常感、構音時の異常感、嚥下困難等を訴え居たりと言う、漸次記銘力減退、考慮、判断の渋滞を来し、便秘に傾く。

 現在症 身体的には体構肥満型、骨格強、栄養良、顔面潮紅光沢あり、瞳孔対光反射迅速、舌正常、口腔粘膜乾燥、皮膚紋画症顕著、膝蓋腱反射やや亢進、近時体重減少せりと言う。
 精神的には叡智界に主観的に記憶力減退、考慮判断の渋滞の外著変なく、病識あり意志抑制なし。常に主訴及び現病歴に掲げたる如き主観的苦悶に苦しむ。

 本例は不眠、沈鬱、陰萎、決断渋滞などを主訴とするものにして32,3歳頃よりかかる発作を度々反復し、1年半ないし半年にて各発作消失せるものなり、一見意志制止の認むべきなく神経衰弱又は神経質の如き観を呈すれども、その経過の長き点、周期的に反復する点、病前の性格、体構及び現症に於て沈鬱を基礎徴候とする点よりして鬱憂症なること明らかなり。各発作の誘因が常に芸妓と云々とのことは律儀なる患者の性格よりする煩悶と解し得べしと雖[いえど]も、業務又は家庭の煩雑を紛らさんとする遊興が常に鬱状態発作の初期に行わるるものと考うるを得べし。
 本患者は療法開始後3日主薬スルフォナール全量7.5、アダリン2.0にして全く持続睡眠に陥り、2夜1日眠り続け37度6分発熱し、1日薬物を中止し、後少量のスルフォナール及アダリン等にて睡眠を調節しつつあるうち療法開始後約2週間にして全く主訴の如き苦悶消失し、軽躁状態的となり、かかる状態の鎮静に従い全く常態に復せり。 (下線は引用者)

 下線の「偏執的性格」というのは、後に下田らが「執着性格」と呼び換えたものですから、「執着性格」のことと考えて差し支えありません。ここを読むだけでも、著者らが、一人の人物に「チクロイド=循環気質」と「執着性格」という二つの形容を与えてかまわないと考えていたことがわかります。

 さて、この症例でおもしろいのは、なんと言っても、うつ病発症のきっかけとしていつも必ず芸者との性的接触があったと言われている点でしょう。 この点について著者らは、(この患者が一昨年の初頭にはすでにうつ病を発症し、その後、一昨年の5月に仲居との一件があったという経緯を考慮してか)「業務又は家庭の煩雑を紛らさんとする遊興が常に鬱状態発作の初期に行わるるものと考うるを得べし」と解釈しています。これはかなり優しい解釈のように感じられます。むしろ、鬱状態になって「労務不能にして手紙も書けず」にいる人物が女遊びに行くだろうか、という疑問が起こるのが当然でしょう。この辺は、さいきん、いわゆる新型うつ病の患者が、会社を休職中に海外旅行に行ったり婚活し結婚したりするという行動を非難されがちなのと、一見よく似た行動ともいえます。

 これについて、まず、著者らの解釈の線で考えてみましょう。この人物にはもともと憂さ晴らしとして時に玄人女性を相手に遊ぶ習慣があったと仮定すれば、うつ病相が始まった後も従来通り遊びに行き、さほど楽しめずに“おかしいなあ、いつもならこういう遊びで気が晴れるはずなのに”と感じながらも、それまでの習慣通りに繰り返し遊びに行く、といったことは、あっても不思議ではないと思います(現代のメランコリー型の人でも、たとえばもともと晩酌でストレスを発散し睡眠の助けにもしていた人が、うつ病相の初期に、改善を期待して飲酒量が昂じてしまうということはあっても良いと思います)。この症例記載は、「細心、正直」な人物が、女遊びを習慣にすることがあったとしていますから、当時は性について現代以上におおらかでもあったのでしょう(ちなみにここまでの2例はいずれも下疳の既往歴を有していました)。

 ただ、他にも解釈は可能であって、たとえば“この患者の鬱症状には軽躁成分が混じっているので普段行かないような遊びに駆り立てられたのではないか”とか、“この患者の抑鬱には状況反応性があって、楽しい状況にあれば楽しめたのではないか”、と考えることもできます。そうだとすれば、新型とか非定型として論じられるうつ病像は当時にもすでにあったということになるでしょう。ただ、この人が、非病相期にはどのぐらい女遊びをしていたかといった記載がないので、もうこれ以上は症例記載から読み取ることは困難ではあります。

 女遊び行動の解釈はともかくとしても、この患者は、「チクロイド」とされ熱中性があったこと、また経過が反復性うつ病であること、治療中に一過性に軽躁状態を呈したことなどからして、双極性障害寄りの特徴を持っていることは確かといえそうです。

 ところで、ここまでの2例の記載には『義理堅さ』『他者配慮』といった(笠原が重視した)ニュアンスがあまり感じられません。そこらへんも含めて、今後の症例にも要注目です。

 

 追記(2012年8月14日) テレンバッハの『メランコリー』に挙げられた、メランコリー型性格の患者にも似たような例があります。


 <症例31>(略)1958年の3回目の入院の三週間半前に、彼は自分の建てた何軒かの家の壁に《石灰人間》が入っていると言い出して、再び急速にメランコリー性罪責妄想に陥った。同じころ、彼は酔っぱらって飲み屋の女給にキスをし、その性器に触れた。その後まもなく上唇に吹出物が出て、彼は梅毒にかかったと思い込んでしまった。(略)

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

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