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2012年9月

2012年9月29日 (土)

下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』5

 下田光造門下の論文の症例の続き、5例目です。

 

 初老期鬱憂症 軽鬱状態型 

 

  単純なる軽鬱状態

 

 症例5 今○誠○ 男、56歳、昭和7年9月29日入院、同12月15日退院。休職官吏。

 

 主訴 睡眠障害、沈鬱。家族歴 長兄若年時より精神異常を来し終生治癒せず、時々悪化し暴行することありしと言う

 

 既往歴 生来虚弱[、]時々感冒に罹る、常に胃腸病を患う。27.8歳の頃性病を患う。性格、正直、小心、自信なく、取越苦労、心配性、率直、責任感強く、謹勉なる実務家。大正12年3月軽度不眠症1ヶ月にて治癒、大正14年6月現病と同様の疾病を発し4ヶ月にて治癒。

 

 現病経過 本年8月14日家事上の経済的心痛あり、同夜中突然覚醒し、恐怖時の悪寒の如き寒気あり、次で全身に強く発汗し、気分悪しく熟睡不能なり。昼間も家事上の事及び現在の疾病が気になり気分転換せず、その頃より夜中或は午睡後 胃部より胸部にかけ名状し難き掻き廻す如き一種の苦感起る。気分は日により弛緩し悪き日は足蹠手掌に発汗し足蹠に「ムズムズ」する感あり、上衝、頭重あり、対話も不能なり、感情沈鬱となり、前途の暗黒感、厭世、決意困難、健忘あり、陰萎、便秘あり、口腔乾燥す。又2,3時間なれど時にかかる苦痛を全然忘却することありという。酒煙草を用いず。

 

 現症候 身体的に典型的肥満型、手掌足蹠湿潤、頭痛なく、左手に脱力感あり、手尖震戦す、膝蓋及アヒレス腱反射高度亢進、心音亢進、大動脈音高し、心尖は第5肋間乳腺上にあり、脈拍緊張し、橈骨動脈蛇行やや硬く、血漿最高170最低110を算す。精神的に顔貌やや苦悩性のほか著変なく談話正常なり、主観的に種々の苦痛を訴う。

 

 睡眠療法 投薬日数17日、スルフォナール全量32g、その後も少量のスルフォナールを続け、苦悩全く消失す、而かもなお時に心因性に発汗、心悸等を来すことあり、精神療法的説得によって全治せり。

 

 本例は 動脈硬化を伴う鬱憂症にして性格上心因性因子も多分に混在せり、然かも32gという大量のスルフォナールに堪え、何等の故障なく治癒せるは興味ある所なり。

 

 この症例の性格については、別表には『偏執性、神経質』とまとめられています(『偏執性』とは、後に下田が『執着性』と言い換えたものです)。

 

 これ以外の症例は、どちらかというと熱中性で社交性が目立つやり手な人物が多いのですが、この症例は『小心、自信なく、取越苦労、心配性』といった特徴を持ちます。このあたりが、『神経質』とされる特徴でしょうか。すでにみたように、症例3も、神経質性が加味されているとされていましたが、『不全感を有し、苦労性、遠慮』といった記載があります。今回の症例5について『性格上心因性因子も多分に混在せり』というのはこの点を指しているのでしょう。

 

 笠原がメランコリー親和型としてまとめた性格に近いこれらの人物は、下田らには純粋な類型の現れとはみられていないようです。

 

 病歴には、自責など抑鬱的な思考内容への変化がなく、そこら辺が『軽鬱状態型』とされるゆえんでしょう。テレンバッハならこのぐらいの症例はメランコリーと呼ばなかったかもしれません。テレンバッハがかなりの重症例のみをメランコリーと呼んでいたことは、すでにこのブログでも述べました。ここhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-a81b.htmlをご参照ください。

2012年9月17日 (月)

幻覚は見えるのか?

 先日、ある統合失調症の長期入院患者を診察していたときのことです。彼はふだん、自らの体験について「幻聴」や「幻覚」(彼は幻視をこう呼ぶ)という言葉を用いて報告するので、その日、私が何気なく、最近幻覚は見えますか、と尋ねたところ、彼は次のように答えたのです。

「あなたねえ、見えますかっていうけど、幻覚というのは、感覚器官で感じるんじゃないんですよ。脳で感じるんです。そんなことも知らなかったんですか?」

 もちろん、幻覚は脳で感じるものだというのは正しい意見と思います。この患者さんは、精神医学や心理学の本を読む人ではないけれど、オカルト関係の本を読んだりするので、その辺からの影響で、「幻覚は感覚器官で感じるのではない」という考え方を持っていたのかもしれません。ただ、そうだとしても、私が「見えますか」と尋ねた時にこのような返事が返ってきたという点が面白いと思います。私が言った「見える」という語は、「目で見える」という意味を補って受け取られたということでしょうが、この点だけみれば、ある意味では具象化傾向に近いものとも考えられ、思考障害のひとつと考えてよいのかもしれません。けれども、そう片づけてしまうことのできない本質的問題に触れているような感覚があって、ここに報告してみたくなった次第です。

 私はそのときとっさに、「それはそのとおりだけど、患者さんたちは『見える』という言いかたをすることが多いですよ」と返事をしました。私はこの患者の本質的指摘に対して、「幻覚が見える」という言い回しの一般性をもちだして返答してしまったわけです。

 
 しかも、いまこの自分の返事を思い返してみて思うのですが、たしかに患者さんが「幻覚が見える」という言い方をすることは多いものの、患者さんが書物や治療スタッフの言葉遣いの影響ではなく自発的に「幻覚が見える」と表現することは果たして多いのかは疑問で、自信がなくなってきました。もしそれが正しくないとしたら、私が言ったことは、自分(たち)の言葉づかいを押し付け続けてきた結果をもちだして、目の前の患者にも同じことを押し付けようとしただけになってしまいます。

 ともかく、ここで患者さんの方は、単なる言葉の問題としてではなく、幻覚の局在性に関する事実をどう描写するかという問題としてとらえています。さらには、幻覚の感覚性についても疑問に付しているようにも捉える事が出来ます。彼の考え方は、脳内現象を内視する小人を仮定するような素朴な考え方を逃れているようですし、一般に行われている疾患教育のテキストのレベルよりも上を行っている気がします。
 

 なお、この患者さんの趣旨から離れますが、「幻覚が見える」っていう言い回しは、例えば「視覚が見える」と言うようなもので、冗語的であることにも気づかされました。
 

 さて、この患者さんは以前、高校の数学の教科書を読んでいることが多かったのですが、数年前に教科書を無くして退屈そうにしていたとき、「病棟のテレビで、教育テレビの高校数学講座とかを観てみては?」と提案したところ、彼の答えは、「あれはIQが200ぐらいの人向けですよ。数学は、普通の人には、テレビで解き方を見て理解できるようなものじゃなくて、自分で手を動かさなければ理解できないんですよ」というもので、これもまたもっともな意見と思ったことでした。

2012年9月10日 (月)

テレンバッハ『メランコリー』(15)

 今回はテレンバッハが紹介したメランコリー型の症例を取り上げる順です。

〈症例15〉 女性患者エリーザベト・Mは、初回入院時53歳だった。彼女は以前からきわめて勤勉で《ひとときも働かずには》いられず、なにごとにつけても格別清潔で周到であった。主婦の仕事のほか、彼女は裁縫の副業をもっていた。彼女の人生はひたすらに家族への心配に向けられていた。どんな人とも折り合いがよかった。彼女の父親は高血圧のために何回か卒中発作を起こし、そのために50歳の若さで退職していたが、彼女もやはり49歳の年から高血圧にかかっていた。いつも頭が重く、それがときには激しい頭痛となった。数年来、眼華閃発、眩暈発作、失神発作などの形での明らかな発作症状の頻度が増加した。高血圧のためにこれまでも何回かの入院治療を受けていたが、回復するごとに以前の仕事を全面的に再開し、家の中をきりまわしたり家族に気をくばったりする仕事も以前同様に引きうけた。しかし副業は、とうとうあきらめざるをえなかった。精神科への最初の入院に先立つ時期に、高血圧発作の頻度が増加して、次第に悪性の性格をおびてきた。彼女はそのために、家の中での仕事の面でも次第に大きな制約を受けるようになった。一過性の失明、無意味な行為を伴う精神病的な朦朧状態、それに続く全体的健忘と言った、G・シュテルツのいう脳機能の「間歇的跛行」の諸現象が出現し、時どき猛烈な頭痛に襲われた。患者はそれでも自分の仕事から手を引くことができなかったが、だんだんと自分の責任を果たしにくくなるのがよくわかっていた。彼女は徐々に、焦燥性メランコリーに落ち込んで行った(最高血圧は240)。
 1959年に2回目の病期で入院した時の事情も、これと類似したものだった。患者は眠れなくなり、ときには夜通し編物をしていた。仕上げられる分量が少なくなるにつれて、だんだん怒りっぽくなり、人に当たり散らすようになった。とうとう彼女は、真剣なガス自殺を試みた。重いメランコリー性の絶望感は入院後短期間で改善されたが、抑うつ的な気分状態はその後も残っていた。彼女は、自分が肉体的にも精神的にも完全ではないことを嘆きながら、それでも病棟内の仕事をせいいっぱい、進んで手伝っていた。退院時の不安は、家の中の仕事を十分に果たして行けないのではないかということだった。

 この症例に如実に示されているような高血圧の悪化からメランコリーへと至る移行は、大部分の症例にとって特徴的なものである。作業の能力や自己を発揮する力が次第に衰えることとの格闘、限定された領域に力を総動員して、疲れを知らぬ活動によって非常に大きな仕事量を極めて整然と果たしていく能力の衰えに対する格闘が、特徴的である。種々の制約を乗り越えることがますます困難になるにつれて、各種の障害が自らの作業能力に絶望している患者に襲いかかってくる。それにもかかわらず、仕事量への要求は変わらない。そこでみられるきわめて示唆的なことは、仕上げられたものが不細工になり、仕事ぶりのきめ細かさがだんだんだめになり、仕事が次第に空転に陥って行く有様である。

 この症例は、テレンバッハが提唱した『メランコリー型』の病前性格にも発症状況にもぴったりと合致しているように思います。

 では、かつて日本のサラリーマン・専業主婦について笠原嘉らが論じた軽症うつ病者のメランコリー親和型性格と比較してみるとどうでしょうか。

 まず病前性格についていえば、この症例は、日本のメランコリー親和型性格の性格特徴ともほぼ合致するといえそうに思います。ただ、(ここで毎度のように書いていますが)その仕事の量や熱心さ、几帳面さは、日本で広まっているイメージよりもはるかに極端なレベルに達しています。というのは、笠原のメランコリー親和型性格スケールの表現は『元気な時は働くのが好きだった』『やりだしたら徹底的にしないと気がすまない』『責任感が強い』『物を片付けるのが好き』『きれい好き』といったマイルドな表現が並んでおり、さほど極端ではない性格の人でも陽性と判断されそうなものばかりだからです。これに反して、上の症例は、ひと時も働かずにはいられない人ですから、『やりだしたら徹底的に』というよりも、『いつも何かをやりだしては徹底的に』といえるでしょう。

 発症状況についていえば、(これも毎度のように書いていますが)この症例のように、それまで通りには働けなくなって従来以上に努力しても取り戻せず空回りする時期のただなかに発症に向かうのが、テレンバッハ型の特徴です。一方で、日本で笠原が広めた発症パターンの典型は、身辺の秩序変化のあとしばらく経ってから、ひとりでに起こるかのように起こるというものでしたから、発症状況は日本の軽症者の類型とだいぶ違うと言えそうです。

 テレンバッハの研究は、かなり重症で精神病レベルのメランコリー症例を対象としているのですが、こうしてもともとの性格も極端な人が多いことをみてくると、病前性格が極端なら病像も重くなるという傾向があるのかとも推測したくなります。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

2012年9月 1日 (土)

下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』4

 今回は下田門下の論文の症例です。

 初老期鬱憂症 軽鬱状態型

 単純なる軽鬱状態

 症例4 松○清○ 男、43歳、昭和7年11月29日入院、同8年2月10日退院。銀行員。

 主訴 沈鬱、記銘不良、不眠、労務不能感、四肢冷感。家族歴に記すべきことなし。

 既往歴 毎年軽症脚気を患う、胃腸弱し。性格熱中性、率直、責任感強く、交際広く可親円満なれど負け嫌いにして競争心強し。10年前神経衰弱に罹り約1ヶ月にして全治せりと言う。

 現病経過 昨年(昭和6年)10月頃銀行の貸金整理の為め頭脳を労し、過度に熱心となりしことあり、本年5月決算の際過労し、刺激性、頭重感、記銘不良、考慮制止(文書を書く時仲々文句が出ぬ)、前途の悲観、不全感、時々胸内苦悶あり胸痛を訴え、陰萎に陥る。四肢の冷感は2,3年前よりあり毎年冬期は湯保[=たんぽ]を入れて眠る、「シビレ」感あれど脚気の為ならんと言う。肩の凝りは2,3年前よりあり、近時は就眠は比較的良好なれど夢多く熟眠感なし。1ヶ月前 頭重その他の主訴により長崎医大を訪れ脚気及び貧血の診断を受けしが無理に仕事をなす、偶々[=たまたま]睡眠療法のあるを知り当科を訪いたりと言う。食思良好なれど秘結[=便秘]に傾く、酒煙草を不用。

 現症候 体構細長型、体格大、骨格、筋肉ともに弱、栄養悪し、四肢厥冷、散瞳、軽度の眼球突出症を認む、膝蓋腱反射弱、アヒレス腱反射消失の他に著変なく、精神的に主観的の記銘不良、判断力欠乏、興味消失、無気力、労作能力減退、疲労感亢進などを訴うるのみ、一見正常なり。入院即時(11月29日)スルフォナール2.0アダリン1.0にて睡眠療法開始、翌日より発疹、直ちにスルフォナールを廃し、ベルナール1.5、抱水クロラール1.0、臭剥[=臭化カリウム]3.0を持続、十分の睡眠を摂らしむ。恢復期にインシュリン、テスチグランドール等の注射を行う。12月12日頃より多弁、爽快となり、諧謔を弄し軽躁状態を呈す、然かも睡眠甚だ良好なり、かかる軽躁状態は睡眠剤廃止後も依然として持続せしが、その後約1ヶ月にして少しく鎮静し嬉々として退院せり。

 本例は典型的の軽鬱状態の症候を有し、性格上よりするも初老期鬱憂症たること明らかなり。なお興味あるは本例が治癒前漸く軽躁状態にありしことなり。該[=がい]状態は睡眠剤極度減少後(アダリン、スルフォナール各0.2)も約1ヶ月継続せるを以って睡眠剤による病的酩酊状態とは解し難く、鬱憂症の治癒するとともに軽躁状態を発するに至りたりと解する方妥当ならん。果して然らば一見神経症の如き本例も躁鬱病の鬱状態に他ならざる証左となるべく、軽鬱状態の本体に対し示唆するところ多し。

 この例は、別表で性格を『偏執性』とされていますが、これは下田が後に『執着性』と改称して躁うつ病/うつ病の病前性格としたものです。

 引用の最後にまとめられているように、初老期鬱憂症と躁鬱病とは連続したものと考えられており、執着性格は両者に共通の病前性格です。この例は軽躁状態を呈しており、現在では双極2型に分類されるでしょう。

 軽躁は完全には消えなかったようですし、眼球突出や寒気など甲状腺疾患を疑いたくなる所見も気になります。しかも『一見神経症の如き』とも書かれていて、これが何を指すかよくわかりません。この例の抑うつ症状が主として主観的なものに限られていて、『一見正常』というあたりを指すのでしょうか。といいますのは、この論文の記載によれば、鬱憂症の一次的沈鬱は厳粛であって観察者から見て明らかとされているからです。 なお、この例の性格にも、他者配慮的な要素は乏しく、遠慮や慎みの記載もありません。そうした要素は、症例3のような、神経質性の性格特徴が混合したとされる例にのみ認められます。

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