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2012年9月10日 (月)

テレンバッハ『メランコリー』(15)

 今回はテレンバッハが紹介したメランコリー型の症例を取り上げる順です。

〈症例15〉 女性患者エリーザベト・Mは、初回入院時53歳だった。彼女は以前からきわめて勤勉で《ひとときも働かずには》いられず、なにごとにつけても格別清潔で周到であった。主婦の仕事のほか、彼女は裁縫の副業をもっていた。彼女の人生はひたすらに家族への心配に向けられていた。どんな人とも折り合いがよかった。彼女の父親は高血圧のために何回か卒中発作を起こし、そのために50歳の若さで退職していたが、彼女もやはり49歳の年から高血圧にかかっていた。いつも頭が重く、それがときには激しい頭痛となった。数年来、眼華閃発、眩暈発作、失神発作などの形での明らかな発作症状の頻度が増加した。高血圧のためにこれまでも何回かの入院治療を受けていたが、回復するごとに以前の仕事を全面的に再開し、家の中をきりまわしたり家族に気をくばったりする仕事も以前同様に引きうけた。しかし副業は、とうとうあきらめざるをえなかった。精神科への最初の入院に先立つ時期に、高血圧発作の頻度が増加して、次第に悪性の性格をおびてきた。彼女はそのために、家の中での仕事の面でも次第に大きな制約を受けるようになった。一過性の失明、無意味な行為を伴う精神病的な朦朧状態、それに続く全体的健忘と言った、G・シュテルツのいう脳機能の「間歇的跛行」の諸現象が出現し、時どき猛烈な頭痛に襲われた。患者はそれでも自分の仕事から手を引くことができなかったが、だんだんと自分の責任を果たしにくくなるのがよくわかっていた。彼女は徐々に、焦燥性メランコリーに落ち込んで行った(最高血圧は240)。
 1959年に2回目の病期で入院した時の事情も、これと類似したものだった。患者は眠れなくなり、ときには夜通し編物をしていた。仕上げられる分量が少なくなるにつれて、だんだん怒りっぽくなり、人に当たり散らすようになった。とうとう彼女は、真剣なガス自殺を試みた。重いメランコリー性の絶望感は入院後短期間で改善されたが、抑うつ的な気分状態はその後も残っていた。彼女は、自分が肉体的にも精神的にも完全ではないことを嘆きながら、それでも病棟内の仕事をせいいっぱい、進んで手伝っていた。退院時の不安は、家の中の仕事を十分に果たして行けないのではないかということだった。

 この症例に如実に示されているような高血圧の悪化からメランコリーへと至る移行は、大部分の症例にとって特徴的なものである。作業の能力や自己を発揮する力が次第に衰えることとの格闘、限定された領域に力を総動員して、疲れを知らぬ活動によって非常に大きな仕事量を極めて整然と果たしていく能力の衰えに対する格闘が、特徴的である。種々の制約を乗り越えることがますます困難になるにつれて、各種の障害が自らの作業能力に絶望している患者に襲いかかってくる。それにもかかわらず、仕事量への要求は変わらない。そこでみられるきわめて示唆的なことは、仕上げられたものが不細工になり、仕事ぶりのきめ細かさがだんだんだめになり、仕事が次第に空転に陥って行く有様である。

 この症例は、テレンバッハが提唱した『メランコリー型』の病前性格にも発症状況にもぴったりと合致しているように思います。

 では、かつて日本のサラリーマン・専業主婦について笠原嘉らが論じた軽症うつ病者のメランコリー親和型性格と比較してみるとどうでしょうか。

 まず病前性格についていえば、この症例は、日本のメランコリー親和型性格の性格特徴ともほぼ合致するといえそうに思います。ただ、(ここで毎度のように書いていますが)その仕事の量や熱心さ、几帳面さは、日本で広まっているイメージよりもはるかに極端なレベルに達しています。というのは、笠原のメランコリー親和型性格スケールの表現は『元気な時は働くのが好きだった』『やりだしたら徹底的にしないと気がすまない』『責任感が強い』『物を片付けるのが好き』『きれい好き』といったマイルドな表現が並んでおり、さほど極端ではない性格の人でも陽性と判断されそうなものばかりだからです。これに反して、上の症例は、ひと時も働かずにはいられない人ですから、『やりだしたら徹底的に』というよりも、『いつも何かをやりだしては徹底的に』といえるでしょう。

 発症状況についていえば、(これも毎度のように書いていますが)この症例のように、それまで通りには働けなくなって従来以上に努力しても取り戻せず空回りする時期のただなかに発症に向かうのが、テレンバッハ型の特徴です。一方で、日本で笠原が広めた発症パターンの典型は、身辺の秩序変化のあとしばらく経ってから、ひとりでに起こるかのように起こるというものでしたから、発症状況は日本の軽症者の類型とだいぶ違うと言えそうです。

 テレンバッハの研究は、かなり重症で精神病レベルのメランコリー症例を対象としているのですが、こうしてもともとの性格も極端な人が多いことをみてくると、病前性格が極端なら病像も重くなるという傾向があるのかとも推測したくなります。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

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