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2012年11月 6日 (火)

テレンバッハ『メランコリー』(16)

 今回はテレンバッハの症例を扱いましょう。

〈症例16〉64歳の女性患者カロリーネ・Th・Vは、1958年2月7日、同年10月24日、1959年9月21日の3回、つまり1年3カ月(訳注・原文のまま)の間に3回も入院した。彼女はすでに数年前から軽度の《抑鬱的疲労状態》にかかっていて、そのために1953年と1955年に精神病院に入院したことがある。当科においては3回ともほぼ同様の症状がみられた。すなわち、《焦燥的抑鬱、重篤な抑止、困惑、心気的虚無的念慮、貧困念慮、自責、著明な日内変動》などである。

 この患者の病前性格についてはよくわかりません。患者が語った言葉として、「義務の履行、好ましい職業への献身、内心の誠実さ、気高い心などの点でこの理想にかなう人になろうというのが、私の目標だった」と引用されているのですが、患者自身の性格も本当にそうだったかは記載されていないのです。

 さて、少し飛ばしますが、患者が記した記事の抜き書きを取り上げます。

 《私は子供のころ、よく病気をした。そのために私の心には劣等感が生まれた。しかし、精神的にはほかの子に引けを取らないという気持がそれを埋め合わせていて、それが私の心的安定にはとてもよかった。子供時代の無邪気さは、1903年に突然終わりを告げた。その年に始めて母が重い失神発作襲われた。母はその後数年にわたって、頻回にこの発作をおこした。それを目撃した私の心の中には恐るべき不安感が生じ、この不安感は母が若くして亡くなるまで、私の心に影を落としていた(彼女は47歳で、心筋梗塞で死亡した)。父は、病身の妻をかかえて非常に苦労していた。そして私は、このわけのわからぬもやもやした気分を晴らすことができないことと、自分がそれに対して全く無力であるのを感じたこととで、二重に苦しんだ。私は元来、かなり生真面目な子供だった。そこへ、生きることのつらさが、石のように私のにのしかかった》。(下線は引用者が付した)

 これは患者自身の表現なので、訳文では見失われてしまう原語表現の特徴を少し指摘しておきましょう。
 「目撃した」には「miterleben」が用いられています。つまり患者は、母の発作を単に目撃したということではなくて、「共に体験した」と表現しています。
 下線を付した、「病身の」「苦労していた」「苦しんだ」はいずれも「leiden」ですから、患者は、父も母も自分も同じ語で「苦しんだ」と表現しているわけです。その前の「襲われた」も「erleiden」ですのでやはり関連があります。
 最後の文の「心」は「Herz」という語で表現されています。「心筋梗塞Herzinfarkt」を起こした母との同一化がここにも読み取れるでしょう(ただし、上に引用した訳文内で、これ以外の「心」の語には原文で別の語が用いられています)。加えて母の「失神発作Ohnmacht」と自分の「無力Machtlosigkeit」にも対応を読み取ってよさそうにも思います。

 さて、テレンバッハによる紹介は以下のように続きます。

 風邪を引くと、彼女は決まって床について、14日間は《なにもできなくなった》。そして次のような気持ちを抱いた。《ほら、お前はまた失敗した。お前が百パーセントちゃんとやっていく力のないことを、皆に証明してしまった。だめだねえ》。(以下略)

 ここでは患者は自分に対して「お前Du」で語りかけています。自責や自嘲がこのように二人称で患者の脳裏に浮かぶ場合には、フロイトが『喪とメランコリー』で論じたように、自責は患者自身に該当するのではなく、患者の身近な人物に該当しているというふうに考えやすいと思います。この例での自責・自嘲は当然、病弱だった母親に向けられたものでしょう。フロイトは、こういう場合には、患者と、本来責められるべき人物との間に、愛憎入り混じった両価的関係があるとしています。

 フロイトはメランコリーに関して、対象との同一化も指摘していますが、それはこの症例で以下の箇所にも読み取れます。なお、この患者の職業は、症例紹介よりも後ろのページまで読むと、学校の教師であったことが明かされていますけれども、それを知らないと、以下の部分は理解困難です。

 すでに子供のころから、病気は恐ろしいことであった -《お母さんが心配するから、学校に行くのが好きだから》。後にはそれに循環器の障害も加わって、それは感染症が治ったのちも、いつも2週間は後に残った。それに引き続いて -もう何年も前のことだが- 最初の気分異常が現れた。のちには、感染症が治って元気になって2日もすると、かかりつけの医者に《もう学校へ行っていいでしょう。学校へ行かないと行きにくくなってしまいますもの》とせがむのだった。医者がだめだというと、彼女はメランコリーの状態に陥るのだったし、医者が学校に行くのを許すとメランコリーにはならないで済むのだった。この話をカロリーネは、次のような言葉で結んだ -《実際私の人生は、次に来る病気を待ちかまえているということでなりたっているのです》。

 ここで、「(お母さんが)心配するから」の箇所には「不安がるaengstlich sein」が用いられていますが、この語はここまでむしろ患者自身が、母親の発作と自身の健康に対して抱いていた感情として何度も登場していて、ここでは患者が自らの不安を母親に投影しているということになるでしょう。

 ここまでですでに、患者が母に抱いていた両価性と同一化は明らかだと思いますが、この後の段落には、より直接にそれが語られていますし、テレンバッハ自身も、アブラハムとフロイトの名を挙げ『両価性の葛藤』を論じています。

 精神病理学者はよく、「“患者が自責を語りながら他人を責めている”というフロイトが言うような例を見たことがない」とか、「そんな説は信じられない」と言います。しかし、彼らが典拠とすることの多いテレンバッハの主著の中にこのような症例が存在し、テレンバッハ自身がフロイトの論に準拠しているというのはなかなか興味深いことと思います。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

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