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2012年11月19日 (月)

下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』6

 躁うつ病の病前性格として執着性格を提唱したことで名高い下田光三の門下、中脩三らの戦前の研究論文の症例を順に紹介しています。

 

 ちなみに、戦後に軽症うつ病を研究し、病前性格としてメランコリー親和型性格を紹介して啓蒙に努めた笠原嘉の自伝的な近著『精神科と私』によれば、笠原が京都大学の精神科で若手精神科医だったころ、当時京都大学系列の教授が居た大阪市立大学の精神科教室へ出向・赴任していたときに、大阪市立大学の次期精神科教授に中脩三が九州大学から来ることが決まり、当時は教授の学閥が変わると教室員の総入れ替えが普通であったので、やむなく笠原は大阪市立大学を離れて京都大学精神科へ戻ることになったという経緯があったようです。笠原は中に対して当時ちょっと反感を持ったと書いています。しかも、中はのちの笠原の研究分野と近い研究をしていたにも関わらず、笠原はこの本では中の業績について全く触れませんし(他の登場人物についてはほぼ必ず触れています)、なんとなく中について書かれた文体もちょっと嫌味に感じられ、私には笠原の反感は今も続いているように思えるのですが、これは私の気のせいかもしれません。
 大阪市立大学からはじき出された笠原は、京都大学に帰って、先輩医師・平澤一の軽症うつ病研究(下田の執着性格を再評価した)に影響を受けて自らも軽症うつ病の研究に着手するわけですから、面白い因縁だと思います。
 それに笠原は、京都大学に戻ったことで、着任間もなかった村上仁教授と出会い、生涯最大の師として大きな影響・学恩を受けることになるわけで、人生とは面白いものです。

 

初老期鬱憂症 

 

 軽鬱状態型
単純なる軽鬱状態

 

症例6 榎○廣 男、満42歳、昭和7年6月10日入院、同8月1日退院。[別表によれば農業]

 

主訴 頑強なる不眠。
既往歴 35歳の時「パラチフス」に罹る、性病を否定す。性格、遠慮深く、心配性、真面目一方、交際広く、円満、徹底的、熱中性、責任感強し、憤怒性なく、規帳面なり。37歳の頃金銭上の取扱いに心痛してより神経衰弱となり悲観的となり約3ヶ月にて治癒せることありと言う。

 

 現病歴 昨年(昭和6年)6月頃地主の為めに会計の世話をなせしことが却って不利の結果を生ずるに至り、非常に責任を感じ、遂に他の仕事をなすにも一々不安を感じ、仕事に手がつかず徒に心痛する様になり、8月末頃より不眠となり、主治医の意見により温泉地にて保養せしも何等の効果なく、主観的には一睡もせずと言うに至る。10月頃熊本医大を訪れ、睡眠剤を服用せしが効果なく、全身倦怠、疲労感の亢進、決断力消失、頭重、覚醒時右手に脱力感のあることあり。陰萎は昨年9月より引続けり。食指不良、秘結に傾き、酒、煙草不用。
 

 

 現在症 身体的に典型的の肥満型、四肢の反射少しく亢進せる外(ほか)著変なく、血圧最高125、最低75ミリ水銀柱なり。精神的に強迫思考的に事務上のことを考え、気力なく、やや苦悶的、意志的にやや行動遅滞する外(ほか)著変なく一見正常なり。 

 

 

 本例は一見神経衰弱の如くなれども温泉保養、通常の睡眠剤等何等の効果なく発病後既に一ヶ年を経てなお治癒せざるものにして、単純神経衰弱にあらざること明らかなり、その性格は「チクロチーム」偏執性にして典型的の肥満型体構を有し、不眠、陰萎、異常感、考慮渋滞、心痛、労務不能などの徴候を有するを以って鬱憂症と診断し得べきなり。患者自身悲観せしことなしと称するも常に心気的にして、意志の抑制あり、煩悶の際は胸に迫る思いあり等言い、強迫思考的に事業上のことを繰り返し考えうる等感情の沈鬱を推定しうべし。
 本例は、投薬期間9日、スルフォナール全量17.5、アダリン9.0にして治癒、嬉々として退院せり。

 

 悲哀や寂寥に類した気分があるわけではないようですから、抑うつ気分があるとは言えないかもしれません。しかしそれ以外の症状が結構そろっていますし、この考察のとおり、鬱憂症との診断でよさそうです。ただこの症例の場合は、発症直後に受診してきたら、会計の失敗に対する一過性の反応ではないかとも考えられたかもしれず、鑑別は難しかったであろうと思います。

 

精神科と私ー二十世紀から二十一世紀の六十年を医師として生きて
(精神医学の知と技)
 

 

中山書店(単行本 -2012/5/29)

 

笠原嘉

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