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2012年12月 1日 (土)

下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』7

 テレンバッハの著書と、下田光三門下の論文から、交互に症例を紹介していますが、今回取り上げる下田門下の論文の症例はとりわけ印象深いものです。というのは、強迫的な不潔恐怖の一種として塩分恐怖なる(しかも親子二代にわたる)症状が記載されているからで、現代の私たちから見れば症状として稀ですし、塩分というありふれたものが恐怖の対象となることが非常に奇妙に思えるからです。もちろん当時も塩分が毒であると信じられていたわけではありませんから、逆にどうして現代ではこの症状がなくなったのか不思議でもあります。

初老期鬱憂症 軽鬱状態型

 強迫性徴候

症例7 43歳、住職の妻。

 主訴 極端なる潔癖(特に塩分につきて)。

 家族歴 父は温情の持ち主なれど厳格にして特に徹底的に事物をなさざれば止まざる特質を有し、家事に熱中し、正直、勤勉、交際円滑、人好きのする性格にして「シツオチーム」の因子を有せず、即ち父の性格はKretschmerの「チクロチーム」協調型に近似し、同時に我教室の所謂偏執的性格の特徴を有す。母は地味にして、克[よ]く働き、「ヒステリー」的ならず、刺激性にして潔癖性あり、40歳の頃一時的に塩分恐怖症に罹りたることあり。弟一人頭脳明晰にして、克[よ]く働き、人より信用せらる、その性格父に似たる所多し。父の末弟は温厚、規帳面、律儀、熱中性等の性質を有し居りしが腎臓炎に罹り自殺せりと(憂鬱症か)、母の妹二人あり性格は母に類す、末妹は母よりは更に働き手、熱中性なりしと言う。すなわち患者の家系は殆んど偏執的性格者によって満たされたる感あり、患者の基礎的性格が偏執性よりなるは当然のことなりとす。

 既往歴 胎生時順調、難産、小児期一般に脆弱、従って我儘放縦に育ち甚だ過敏なりしと言う、現在に於ても両親存し我儘を自覚す。学業成績は中等以下、私立女学校卒業。性格は穏和な方なれども過敏、移り気、取越し苦労などの点存し、正直地味にして大袈裟の所なし、交際広く、談話を好み、「やり初めたらば徹底的に御飯も忘れてやって仕舞わなければ気が済まぬ」という点は父と同様特有にして甚だ責任感強し、なお不全感を有し自己の欠点に対する観察確実なり[註:別表には『神経質・偏執性』とまとめられている]。近時月経量減少、性的快感減じ、昨年頃より月経時不機嫌、沈鬱、涙脆くなる習慣を生じ月経痛を訴うるに至る。

 現病経過 母の潔癖の感化を受け生来潔癖的なり、然れども7,8年前迄は特に病的ならざりしが、その頃より塩分に関係せるものを少しく恐怖するに至りたるも、なお家事に差支えを生ずるが如きことなかりき。然るに一昨年(満41歳)4月2日結婚式に招待せられ、儀式の際 鰹と昆布を懐中にしてそのまま帰りし折、懐中が塩分により汚れたる如く感じ、その着物を洗濯し、その裏地を他の新調の羽織に付け、試みに味わいしに塩味あり、驚愕して、他の総ての着物を舐め試せしに総てに於て塩味を感じ、あらゆる自己の着物を洗濯せしことあり。その頃より潔癖漸く病的となり、塩分を恐るること激しく、洗濯物を干し居る際など二丁余りも距りたる所にて鰯の箱を焼きたりと言い、洗濯をやり直す等の滑稽を演ずるに至る、塵垢の飛散を極度に恐れ箒を以って掃く能わず、凡て雑布を用いて拭い、炊事、結髪を自らなし得ず、手足を洗うこと1日100回以上に及び、用便後手足又は便所を2,3時間洗うことあり、常に不安にして刺激性、安眠せず、昨年(昭和6年)11月頃よりは潔癖一層顕著となり、着物は何れも20回以上洗濯せざれば着るを得ず、己の鏡台、箪笥、その他の所有物、米櫃等に全く手を触るる能わず、睡眠障害益々顕著となり、毎夜2時間以上眠ること稀にして殆んど一睡だもせざること多く、終日終夜洗濯をなす。感情は益々沈鬱となり、興味全く欠如、「日本中にこのような病気は一つもない」「こう潔癖がひどくては丸で世界を敵にして居る様なもので生きて居られぬ」「この世が嫌で嫌で堪らない」等言い、不安、刺激性益々顕著となる。近時は洗濯と掃除に日を暮し、手洗又は洗濯を初むれば終日まで行うを以って家人監視の目を離すを得ずという。夫の言に依れば現在に於ても性交は正常に行い得るも不感的なりと。食思良、睡眠前述の如く全く障害せられ、便通は秘結的にして3日に1回の程度、尿通正常、酒、煙草を用いず。昭和7年5月19日当科外来を訪う。
 当時身体的に、体構は肥満型なれども現在甚だるいそうせり。(略)今日迄に「ヒステリー」球の如き経験なく、激情に運動性麻痺、震戦などを伴うことなく「ヒステリー」性痙攣なし(略)。
 精神的に、感情は沈鬱、厭世的、時に流涕するに反し、連想テンポは一見速く、考慮進行も一見多岐に亘り、多弁なれども連想範囲は至って狭小にして内容は全々自己の疾病の圏外に出でず、己の疾病の重大を哀訴するのみなり。患者の示す穢染恐怖症は典型的の強迫思考にして、明確なる病識を有し、「馬鹿らしいことは良く分って居るが幾等やめようと思ってもやめられない」「一日中自分が穢れはせぬかとのみ考えている」等言い、恐怖的感情の内にも多分の思考性を有し、かかる病的思考或は恐怖の異物感顕著にして、注意は常に穢染なる一事に固着し、注意を転向せんと努力すれば益々固着強固となる傾向あり。妄覚、妄想なく、叡智界に何等の障害なし。
 躁鬱病混合状態の診断の下に5月24日当科に入院の手続きを了したれど穢染恐怖の為入院し得ず、2,3日の後強制的に某病院に入院せしめ、直ちにスルフォナール持続睡眠療法を施行す。
 比較的少量(1.5~2.0)の主薬を続け25gに及ぶ頃より頓[とみ]に軽快す、薬物を激減せる為少しく悪化の傾向あり、再び1日量2.0gとなし全量24.0gに及び療法を終る。既に6月23日頃は精神的には殆んど全治の域に達す。睡眠剤の大量の投与により歩行困難、食思不振を訴うる外著変なし、すなわち主薬を漸減し、一方庭掃除、水撒等を勧め、注意の転向を計る。その後 日一日と常態に復し、7月22日入院後約2ヶ月にして全快の状態にて退院す。退院前日問診に対し下の如く答う。「大変良くなった様に思います、魚の料理もできます、塩にも触れることができます、髪も洗えます、前は手を百回位洗って居たが此頃は便所に行った時に2回洗うだけです、着物も自由に着ることができます、帰ったならば箪笥扱いも自由にできると思う、鏡台と米櫃が気に懸かるが無理にでも触れさせられるでしょう。気分が非常に落ち着きました、前はこの世が厭で厭で仕方がなかった、生きて居ても仕方がない、死にたい死にたいと思っていたが此頃は愉快になった、前に隣の人にも構わず我儘を言っていたのが恥しい云々」。
 他覚的に精神、身体に異常を認めず、唯ややるいそうし、諸反射少しく亢進せるのみ。

 本患者を見てまず考うべきは、一、真性強迫神経症なり。真性強迫神経症とは躁鬱病、乖離症その他の素質を有せず、唯一の精神変質的基地の上に生ずる疾患にして多くは青年期或はそれ以前に発生し、慢性的にしてその徴候に弛緩あれど初老期に至って多くは軽快に向かうものなり(Bleuler)、而して余等の患者は「チクロチーム」、偏執性にして躁鬱病性素質を有し、体構も肥満型なり、強迫思考的傾向は若年時より存在せし如くなるが、日常生活に差支えを生ずるが如きことなく、その程度は母の潔癖を模倣する程度にして生理的範囲にあり、若年期より病的強迫神経症の状態にありしとは考え得ず、即ち発病年齢は41歳の頃にして通常強迫神経症の治癒期に相等す、これ等の点より本症[強迫神経症]を除外し得べし。次に、二、神経質との鑑別なるが、本患者は変質的性格の一面内気、神経性、取越苦労、不全感等の特徴を有し、その性格中に神経質的傾向を有すること明らかなり、而して患者の示す強迫考慮は全く神経質のそれと一致す、然れども前項強迫神経症の鑑別に考慮せる諸点及び神経質は女性に比較的少なきこと、及び主として精神療法に依らず治癒せる点等より鑑別するを得ん。三、「ヒステリー」症との鑑別は、先ず性格は寧ろ神経質にして「ヒステリー」的ならず、身体的にも「ヒステリー」性格痕を毫も証明し得ざることの二点による、四、乖離症は之を考慮に入るる要なからん。
 要するに本疾患は躁鬱病圏内にありと考えざるを得ず、而して多弁、外見的連想テンポの迅速などの躁状態的色彩あれど、その基礎徴候は沈鬱にして、厭世的心気的傾向顕著、不眠、不安、刺激性、性的快感の減退などを示すものにして、初老期鬱憂症の極端なる一型となすべきなり。
 本例は極端なる症例なれども軽度の強迫神経症的傾向、神経質性徴候等を伴う例は甚だ多く、一見神経質との鑑別困難なるも、原発性の沈鬱、病前性格、及び相当期間の観察などにより鑑別の困難ならざるを信ず。
 要するに強迫性徴候を伴う初老期鬱憂症は鬱憂症の一症候として後天的考慮習慣による強迫性徴候を発せしものにして、之を以て本症をHoffmanの所謂中間精神病と見做す能わず。 (下線は引用者が付した)

 下線の「偏執」は、例によって、後に下田らが「執着」と呼び換えた概念です。

 患者の台詞で、「鏡台と米櫃が気に懸かるが無理にでも触れさせられるでしょう」が気になりました。強制されるという意味だとすると、当時の主婦の過酷な立場がうかがわれます。

 さて、衣類を次々に舐めてみるというのは、塩分を毒だとは思っていないからできる行動でしょうから、この患者が塩分の何を恐れているのか、まったく不可解です。そもそも塩は浄めに使われるものでもありますし。
 結婚式の帰りに悪化したという事実も考慮に入れて、私としては、塩分は患者にとって何か性関係とか婚姻につながる意味を象徴するものとなっていたのではないかと思います(「塩[えん]」は「縁」のことかもしれません)。

 この症例を強迫神経症ではなく躁うつ混合状態と診断して治療を開始した理由が挙げられていますけれど、私は、診断の際に病前性格とか発症年齢といった疫学的事実を考慮に入れるやり方には賛成しません。どんな疾患でも、好発年齢と比べて非常に若齢あるいは高齢で発症する人が、ごくごく稀には存在するはずですし、性格だって同じことでしょう。そもそも、ある疾患の症状と、発症年齢や病前性格との組み合わせは、時代や文化によって変わる可能性はありえるわけですし、医学の進歩とともに見直されていく可能性もあるはずですから、症状以外の基準を診断に持ち込む姿勢は、あまりにも、自らが依って立つ学問水準を信頼しすぎている気もするのです。

 この症例の気分症状は躁うつ混合状態だとされ典型的ではありませんし、やっぱり気分障害であるという根拠は弱い気がします。私の経験では、神経症症状が目立つ気分障害患者にせよ、躁うつ混合状態の患者にせよ、入院とともにいったんは純粋なうつ状態を経過した後に回復することが多いと思いますが、それにもこの症例は一致しません。

 なお、強迫症状が目立つ症例はテレンバッハの『メランコリー』にもあり、すでにここでも検討しましたhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-a171.html。ただしそれは、家の中の整理癖という、家事に対する勤勉さ・几帳面さの延長上にある内容の強迫性です。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

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