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2012年12月 8日 (土)

テレンバッハ『メランコリー』(18)

 今回はテレンバッハの主著『メランコリー』に紹介されている症例を検討する番です。

〈症例18〉54歳の女性患者マリーア・Kは、1959年に初めて入院した。その年の4月に子宮脱の切除手術を受けるまで、彼女は一度も重い病気にかかったことがなかった。この手術以後、彼女は気分がすぐれなくなった。特に胃腸障碍が苦しくて、あちこちの医者や民間治療所に通った。そしてついには精神病ではないかと不安になり、そうこうするうちにだんだんと、さして深くはないが抑止的な心気性メランコリーに落ち込んで行った。
 寛解後の診察で次のようなことが分かった。彼女は子供のころから、特に学校では、いつも几帳面できちんとしていて、《くそまじめ》な子供だった。これはその後もずっと変らない。彼女自身のことばでは、《なんでもきちんとした位置にないといけないのです。なにかの位置が狂っていると、すぐに気がつくのです》。この性質は母親ゆずりのもので、母親自身も《やっぱりとても几帳面》で、《模範的な肌着縫製工》だった。患者の夫は、妻の仕事の分量やくそまじめさをほどほどにさせようとしたが、うまくゆかなかった。家事以外に、彼女は内職に速記タイピストをしていた。《やっぱり、あまりたくさんのことをしすぎなのかもしれません》。ところが反面、《私は何かをしていないと気がすまないのです。なにもすることがなくてぶらぶらしているなんて、とてもできないことなんです》。(下線は引用者が付した)

 引用文で『几帳面』や『くそまじめ』といった訳語が複数回登場しますが、それぞれ複数の原語と対応していて一貫しません。そのなかで、下線の『くそまじめさ』の原語は、『Peniblitaet』です。この語は、過剰に几帳面な状態に対するややネガティブな評価を表す語で、本書ではこれまで症例2、3、6を形容する言葉として出てきましたが(ほか、番号なしで短く紹介される症例にも使われています)、邦訳では単に『几帳面』『綿密』などと訳されていることが多く、ネガティブなニュアンスを伝えていないことを指摘してきました。

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-2737.html

http://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-4190-1.html

 今回の症例では『くそまじめ』と、ややネガティブな表現が選ばれています。

 下線の直前で、患者の母は『模範的tadellosな肌着縫製工』とされています。この『模範的』という語は、我が国の下田光三が、躁うつ病の病前性格として提唱した執着性格の人々を、『模範青年、模範社員、模範軍人などとして誉められている人』と描写したのを思い起こさせますから、おそらく訳者が下田の論文を意識してこの訳語を選んだものと思われます。この形容詞『tadellos』を辞書で引くと、『非の打ちどころのない、欠点のない、完璧な』といった訳語が並んでいます。これは名詞『Tadel=非難、叱責、(非難されるべき)欠点』の派生語ですから、テレンバッハの文脈(本書を通じて負い目や罪を重視する)においてはむしろこの『Tadel』の意味を残して『非の打ち所のない』などとすべきだったと思います。

 さて、この症例についての紹介は、この後の2段落で、母親がいくつかの身体疾患を患った末に死去したこと、患者もほぼ同じ年齢になって類似の症状を生じながら気分症状を悪化させていったことを記載しています。そのあとの最後の段落の訳文には訳し落としがあるので、以下の下線部として補っておきます。


 最後まで残っていたメランコリー症状がすっかり消失したのは、事後診察の後であった。というのは、病気の間、母親のことなど考えたこともないのに、母親の病気の経過を逐一再現していたのだということに、彼女はそれまで気がつかなかったのである。この対応関係が患者にとって明白なものになったとき、症状は急速に消褪した。

 この症例紹介のあと、テレンバッハの説明は、患者と母との同一化に言及しています。症例13では夫との同一化、症例16では母との同一化が扱われており、同一化という心因が(発症の原因のみならず)症状の内容をも規定しているあたりが、内因性うつ病を現象学的に論じたテレンバッハの著作に含まれるのも面白い点だと思います。

メランコリー [改訂増補版]
H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)
出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

 

 精神分析の分野では、医師以外の者が患者に精神分析を行うことの可否が検討されてきた歴史があり、フロイトにもそれを論じた論文があります。医師以外の者が行う分析を指す語「Laienanalyse」は、従来は「素人分析」と邦訳され、岩波の全集では「非医師分析」と訳されていますが、今回の引用箇所の「民間療法」という言葉を見て、(原語は違いますが)「民間分析」という訳もありかも、と思いました。

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