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2012年12月20日 (木)

下田、中ら『初老期鬱憂症の研究』8

 今回は、下田門下の論文『初老期鬱憂症の研究』で検討されている症例の紹介ですが、しかしこの症例の診断は初老期鬱憂症ではありません。

初老期鬱憂症と誤診せられたるヒステリー性神経症

  症例8 森○謙○ 46歳、男性。

主訴 不眠、小児期より過敏、性格は感激性に富み、熱狂し易く、道楽に凝り、耽溺、大袈裟、徹底的の如く見ゆるも直ちに飽きて永続性なく、先端的にして人を信じ易く飽き易く、我儘、自己中心主義、使用人を酷使、嫉妬深く、派手好き等典型的のヒステリー性性格を有し、青年時より放縦にして資産を傾け、些細のことに激怒し、手肢の痙攣、顔面蒼白、心悸亢進等を起し重症者の如き態度となること或は自己の洋服を裂き、器物を投ぐる等のことしばしばなりしという。
 17歳の頃頭が茫然として1ヶ年程度憂鬱となりしことあり、37歳の頃赤痢を患いその後過敏となりたりと称す。現在症としては37歳頃より毎年春2,3ヶ月間不眠続き、有ゆる睡眠剤を用い居たりしが本年一月事業失敗を憂慮してより睡眠障碍顕著となり、心気的傾向、感情沈鬱、後悔、決断力鈍麻、前途の滅亡感、考慮渋滞、健忘、耳鳴、性欲消失、四肢の冷感等の自覚症を訴うるに至りたるものにして、昭和7年4月10日入院。
 身体的徴候としては体構発育異常型、角膜、結膜、咽喉反射存し、手尖微細に震戦、何処にも圧痛なく、諸反射正常なれど、皮膚紋画症やや顕著、感覚異常なし。精神的に内因性の沈鬱を欠如せる如く時々愉快相に笑い、談話等 何ら変りなく、表情誇張的なり、ただ前記の憂鬱症的自覚症を訴うるのみ。睡眠療法無効、同5月27日退院、再び6月4日入院、態度演劇的、大袈裟、易変、多弁にして衒学的、法螺を吹く。ヘルヒンの連続注射および睡眠剤にて軽快7月25日退院す。

 本例は性格その他をよく調査し、診断明らかとなりたる後之を観れば疑う余地無きヒステリー症なれど、患者のみ単独に之を診察する時は熱中性、責任感強し等自己に好都合の事実のみを美化して述ぶるを以って、あたかも真性鬱憂症の如く思わるるものなり、性格の調査、病状経過等は之を必ず家族に就きて行わざるべからざることを教ゆる適例なり。

 性格を描写する表現が巧みで、人物像が活き活きと伝わってきます。青年期のこういう生活スタイルは、「家業」というものがしっかりしていた時代でないと成り立たないでしょう。とはいえ、さすがに40代半ばにして事業失敗してますが。この人は、現代の勤め人を父親とする核家族に生まれたらどういう生活を送るだろうか、と考えると興味深いです。

 考察部分についていえば、診断の際に性格を考慮に入れているのが少々気になります。この点については以前の症例でも書きましたhttp://freudien.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-330c.html。ただし「精神的に内因性の沈鬱を欠如せる如く時々愉快相に笑い、談話等 何ら変りなく、表情誇張的なり、ただ前記の憂鬱症的自覚症を訴うるのみ」という現在症の部分からして、やはりうつ病ではなさそうではありますけれども。

 病前性格を知るには、本人から聴取するだけではなく、家族などからも情報を得なければならないというのは全くその通りです。いっぽう、戦後、笠原嘉はメランコリー親和型性格に関する自記式質問紙を作成・提案しましたが、「几帳面」「仕事好き」「義理堅い」など当時の平均的日本人の自己像に近い内容を患者本人に尋ねるという笠原のやり方だと、該当者は大幅に増えてしまいます。質問そのものが、患者本人から聴取しやすいソフトな表現で書かれていたことも、バイアスに拍車を掛けていそうです。

 ただ、当時笠原は企業のメンタルヘルスについての啓蒙活動とセットでうつ病研究を行っていましたから、患者一人あるいは上司に連れられて相談に来ることが多かっただろうことも考慮に入れなければなりません。上司を情報源にしようにも、上司の偏見を助長するような質問はできなかったでしょう。笠原の研究には、当時のうつ病者への偏見を打破して受診・休職しやすくしたという効果があったことは誰もが認めるところです。

軽症うつ病 (講談社現代新書)

笠原 嘉 (著)

  • 出版社: 講談社 (1996/2/20)
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