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2012年12月29日 (土)

テレンバッハ『メランコリー』(19)

 今回はテレンバッハ『メランコリー』の症例の検討です。この症例は、「生殖過程における危機的状況」と題された章に含まれ、ドイツ語の「Hoffnung期待」という単語が、「in Hoffnung sein妊娠している=子供を期待している」という熟語に含まれる点を指摘し、それが「絶望Hoffnungslosigkeit」へと反転する状況などを論じた後で紹介されています。

〈症例19〉1924年生まれの既婚の女性患者アンネリーゼ・Kは1959年に入院した。彼女たち夫婦は1948年に家を新築したが、このことに彼女は本心では反対であった。しかし彼女は、建築費の返済を確保するために、副業として電気工場で働くこととした。家を建てた年に、患者は流産し、その翌年には死産をした。さて、患者はこの数年来高血圧にかかっており、1年前には副業をやめなければならなかった。患者は、再び妊娠することを非常に恐れていた。ところがその不安はかなり早く現実のものとなって、憂鬱といらだちが増してきた。以前の妊娠のときはいつも嬉しかったのに、今度はすっかり感じが違っていた。彼女はもう、不安な気持ちしかもてなかった。生きていることの喜びはどこかへ消えてしまい、眠りにくくなり、くよくよ考え込むようになった。年金で家計の援助をしてくれている母親が死んだらお金が足りなくなってしまうということも彼女の心配のひとつであった。1958年12月15日の夜、患者は荒れ狂ったように夫にとびかかり、彼を叩いた。そして電気のコードを引きちぎって、それでひと思いに首を吊って自殺をしようとした。この行為については、あとから健忘が残った。患者は1クールの電気ショックを受けたが、効果は不十分だった。死にたいという気持ちは消えなかった。5週間後に、彼女はふたごを生んだ。出産後、精神病はただちに再燃し、4日後に彼女はわれわれのもとに入院した。患者は、自分がまたしても妊娠してしまったこと、そしてそれ以前に長く働きすぎたことで、非常に自分を責めた。自分はもう元気になる望みがなくなった、子供たちを養っていくことはもうできない、と思った。《面目もありません、面目もありません》と彼女はいうのだった。(下線は引用者が付した)

 ここまでが第一段落です。まず下線部の翻訳についてみていきます。

 「患者は、再び妊娠することを非常に恐れていた。ところがその不安はかなり早く現実のものとなって、憂鬱といらだちが増してきた。Die Patientin war ueber eine neue Gravdivitaet sehr besorgt. Es entwickelte sich relativ rasch und zunehmend eine Niedergeschlagenheit und innere Unruhe.」。

 まず一文目は、邦訳では妊娠前の不安として訳出されていますが、前置詞「vor」ではなく「ueber」が使われている点、および、「neu」には「将来再びやってくる」という意味はさほどなさそうなので、むしろ「患者は、新たに始まった妊娠について非常に心配していた」という意味のように思います。次の文には、「ところが」という逆説の語が含まれませんし、主語の「Es」は仮におかれているだけで、「不安」を受けているわけではありません。さらに訳語についても、「Niedergeschlagenheit」は、「schlagen叩く」という語を含んでいるので「打ちひしがれ」ぐらいにしたいですし、「innere Unruhe」は精神医学用語「内的不穏」が当てられます。

代案:「患者は、新たに始まった妊娠について非常に心配していた。かなり急速に打ちひしがれていき、内的不穏も増してきた。」

 次の下線部は、単語レベルで直訳が好ましいと思われる箇所です。「einschlagen」は、「さんざんに叩く」です。

 「患者は荒れ狂ったように夫にとびかかり、彼を叩いた」

 代案:「患者は発作の中で夫にとびかかり、彼をさんざん叩いた」

 最後の下線部の「望み」の原語は「Hoffnung」です。この症例の前後の文脈からして、この語が用いられていることは重要ですから、わかるように明示すべきでしょう。とりあえず我われ読者はルビを書き込んでおきましょう。

 次の段落から以降は、この患者がもともと借金や負い目を嫌うこと、家の新築以来、過労状況にあったこと、自分の仕事を入念に行っていたことなどが説明され、メランコリー型の病前性格であったことがわかります。ちなみにこの患者と秩序との関係は、この本のだいぶ前のほう、邦訳の158頁でもすでに簡単に触れられています。

 症例紹介の最後の段落は次の短いものです。

 とうとう、彼女は絶望のあまり興奮して当たり散らすことになってしまった。そのことはちゃんと覚えているけれども、細かな点は忘れた。たとえば夫にとびかかったことなどは覚えていない。

  ここで用いられる「絶望」の語は、原語では「Verzweiflung」で、この本の後ろの方(212頁、296頁、366頁など)で何度も論じられる重要概念です。ところが、この症例の前後の文脈では妊娠との関連で「絶望Hoffnungslosigkeit」の語が用いられており、混同されてしまうという問題があります。ここもとりあえずルビでも振っておくしかないかもしれません。「興奮して当たり散らす」は、原語が「einen Tobsuchtanfall bekommen」で、精神医学用語を使うなら「躁暴発作に陥る」です。

 こういう発作は比較的珍しいものではありますが、メランコリー性の激越発作raptus melancholicusと呼ばれる状態で、診断はやはりメランコリーと考えてよいでしょう。電気コードを引きちぎったことと、この患者がかつて電気工場で働いていたこととのあいだに何か心理的関連があるかどうかまではわかりませんし、そこまで考えるのはきっと読みすぎでしょう。

メランコリー [改訂増補版]

H. テレンバッハ(著), 木村 敏 (翻訳)

出版社: みすず書房; 改訂増補版 (1985/12/5)

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