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2014年1月

2014年1月23日 (木)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その4(改)邦訳63頁~

 今回は邦訳63頁からの『アンネ自身の追想』の部分について、前半2頁の翻訳を見て行きます。

学校ではひどく熱心に勉強しててたくさんのことを暗記したが、それは先生の関心と注目をひくためだったという。学校では《生き字引》というあだなをつけられた。中学卒業資格を取った後、家庭の事情で高校を中退してから商業学校に入ったが、《そのころはもう、人間関係がうまくいかなくなっていました》という。そこの先生は、彼女がすこしおかしいことに気付いていたはずなのに、逆にほめられることが多かったという。《どんな問題にも答えられるのに人間関係がうまく行かないなんて、不名誉なことですわ》と彼女はいった。(63~64頁)

 邦訳で「あだなをつける」と訳されているのは「nachrufen」という語ですが、これを辞書で調べると、「後ろから[罵声などを]浴びせる」という訳しか見つかりません。つまりアンネは、背後から浴びせられる声を聞いていたと言っており、このような呼ばれ方に関してアンネ以外の証言はないとなると、ふつう精神科医ならば、これは幻聴だったと考えるのが自然な自明性だし、十中八九そうでしょう。

学校ではひどく熱心に勉強しててたくさんのことを暗記したが、それは先生の関心と注目をひくためだったという。《生き字引》と後ろから[罵声を]浴びせられた卒業試験の後、家庭の事情で高校を中退してから商業学校に入ったが、《そのころはもう、人間的に付いていけなくなっていました》という。そこの先生は、彼女がどこかおかしいことに気付いていたはずだとアンネは思うが、逆にほめられることが多かったという。《どんな問題にも答えられるのに人間的には劣っているなんて、不名誉なことですわ》と彼女はいった。(代案)

 邦訳通り、「生き字引」とあだ名がつくほどの暗記力があったのだとすれば、アンネの診断を自閉症スペクトラム障害と考える論者にとって強力な論拠の一つとなりえますが、これが幻聴だったとすると、話は違ってきます。もちろん、そうした幻聴があったというだけでは統合失調症だとは言えず、自閉症スペクトラム障害でもありえますし、それ以外の疾患でもありえます。ただ、このような幻聴があったとなると、少なくとも「寡症状性」統合失調症(あるいは中安がアンネの診断として主張している「初期」統合失調症)という診断はかなり怪しくなると思います。

 そのあとの「人間的に」はアンネの中心テーマのひとつで、上の引用箇所以外にも何度も繰り返し出てきます(「人間として」と訳されている箇所もあります)から、ここで「対人関係的に」と訳し変えたりしないほうがよいと思います。

 次は細かいところばかりです。

アンネの性的発育についてはほとんどわからない。初潮は母親の言っていた通り一二歳ごろにあって、そのことは前から母親に教わっていた。同級生たちがセックスの話をしていても彼女はそれに加わらなかった。(64頁)

アンネの性的発育についてはほとんど聞き出せない。初潮は母親の言っていた通り正常に一二歳ごろにあって、そのことは前から母親に教わっていた。同級生たちがこうした話をしていても彼女はそれに加わらなかった。(代案)

 さて、前回もありましたが、アンネが「もっと○○しなければと考えていた」という箇所を、邦訳ではなぜか再三再四、「○○できていないと考えていた」と訳してしまっていて、アンネの強迫性を伝え損ねています。今回は次の箇所の2文目にありました。そうすると1文目の内容としっくりきませんので1文目も見直してみるとやはり訳が違ってます。

ダンスパーティーなどの類のことは念頭にも浮かばなかった。彼女はいつも自分がそういったことができるほど成熟していないと感じていた。(64頁)

ダンスパーティーなどの類のことは全く考えられなかった。彼女はいつも自分がそういったことができるにはまずはもっとしっかり成長しなければならないと感じていた。(代案)

 次は邦訳61頁にもあった、事実関係上の間違いです。

彼女は父親から離れるために、兄が大学に通っているX市で就職し、兄の隣りに部屋を借りた。(64頁)

彼女は父親から離れるために、兄が大学に通いはじめるX市で就職し、兄の隣りに部屋を借りた。(代案)

 前半最後は本書の主題に関わる点です。

母親を受け入れて折り合っていくことが、以前に比べてだんだん困難になっていったという。母親がまるっきり理解できないように思われた。(64頁)

母親を受け入れて折り合っていくことが、以前に比べてだんだん困難になっていったという。母親がまるっきり了解不能に思われた。(代案)

 ここの「了解不能unverstaendlich」は、ヤスパースが用いた「了解可能verstaendlich」という語の否定ですが、後者はアンネが訴える「自明性Selbstverstaendlichkeit」という語にも含まれ、概念的につながっています。母親を了解できないという状況が、のちに、あらゆることへの自明性の喪失につながっていくという流れが見えると分かりやすい気がします。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

#2014年2月17日の補足

 この記事をアップした時はここまででよいと思ったのですが、杉山登志郎氏の『発達障害と統合失調症』という記事に、『アンネ症例の検討』として、「注目される点のみを抽出してみる」という前置きで次のような記載があったので見直してみます。

彼女の兄弟はすべて父親からの身体的虐待を受けて育ったが、彼女は「のろまで愚図」だったので、特にひどく虐待を受けることになった。彼女はそれを避けることすらせず、、まるで何も感じないかのように、なすがままにされていた。父親について、「私は当事者ではないからお話する立場にはない」と語ったことが記されている。(『そだちの臨床』197頁)

そだちの臨床―発達精神病理学の新地平 (こころの科学叢書) 杉山 登志郎  (2009/9)

 上のようにまとめられると、最後に引用されているアンネの発言はかなり奇異なものに聞こえます。しかしこれはそもそもアンネが「父親について」語ったことではなく、ある時期の父親の振る舞いについて語ったことですから不正確ですし、そもそもアンネが身体的暴力を受けていたのはかなり幼い頃のことでアンネはそれを思い出せないという情報も抜けています。該当箇所のみすず書房版の翻訳は以下のもので、悪くないのですが代案も示しておきます。

父親の行状についても彼女はただ、《私は当事者でないから、お話する立場にないと思います。本当はどうだったか私は全然聞かされていません》というだけだった。(『自明性の喪失』63頁)

父親の行状についても彼女はただ、《私がそれを語るとしたら、ほんとに下衆のような物言いですいったいどうだったか私は全然聞かされていません》というだけだった。(代案)

 『下衆』と訳したのは『Mob』という語ですが、辞書にもなかなかぴったりの訳語がありません。「自分が直接見聞きしていないことをおもしろがって語る群衆のようだ」、といったことが言いたいのでしょう。辞書には『野次馬』という訳語もありましたがそれがぴったりかもしれません。

 なお、杉山氏のこの本はやはり、『生き字引』とあだ名をつけられていたという記載に引っかかっています。
 

2014年1月17日 (金)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その3(改)邦訳60頁~

 前回にひき続き、症例紹介の邦訳の検討です。今回は邦訳60頁の途中からです。

 明瞭な訳し落としや誤訳のほか、細かすぎるくらいの微妙な箇所も取り上げていきますが、それも、この症例がほんとうに分裂病(いまは統合失調症と呼ぶことになっています)なのか、それとも広汎性発達障害(=自閉症スペクトラム障害)なのかという鑑別を考える上では重要と思うからです。

 それと、ここらへんは母親から聴取した病歴が続きますが、邦訳には本人から聴取したかのように表現されている箇所があるので、それらもちょっとずつ直していきます。

 まずは幼少期から一人でも苦にならなかった様子について。

アンネは小さいときからひとりぼっちでほったらかしにされていたが、《おとなしくて文句ひとつ言わぬ》《いい子》であった。(60頁)

アンネは人並より小さいときからすでに自立していていつもひとりぼっちにされていたがその際も《おとなしくて文句ひとつ言わぬ》《いい子》であった。(代案)

 ギムナジウムを中退なのか卒業なのかという点に関わる訂正点は前回もありましたが、次もまた学歴に関わる箇所を含みます。

高校をやめた彼女は、その町で商業実習を行ったが、それには大変興味をもった。(60頁)

学校のあと彼女はその町で商業実習を行ったが、それには大変喜びと興味を示した。(代案)

 「学校のあとNach der Schule」ですが、邦訳63頁によればアンネはギムナジウムの後、商業学校Handelsschuleに通ったとありますし、「Nach der Schule」を辞書で引くと「放課後に」という訳ばかりが出てきますので、ここは「放課後に」という意味だと思います。けれども、とりあえず「ギムナジウムを出た後」ともとれる「学校のあと」としておきます。

 この二つ後の文には「仕事のほかは趣味がなく」とありますが、直訳すると「仕事のほかは特段の興味を育まず」といった感じでして、上の引用箇所の「興味」を受けた表現です。家では何に対しても特段の興味を示さないあたりは、診断上、自閉症スペクトラム障害らしくない特徴と言えるかもしれません。

 次の箇所はとりわけ細かいところなので取り上げるかどうか迷いましたが、いちおう挙げておきます。

当時から自分は他の女の子とは違うのではないかという感じを抱いており、それを口に出していうこともあったが、行動の面では別に目立ったところはなかったという。(60頁)

おそらく当時から自分は他の女の子とは違うのではないかという感じをつねに抱いており、それを訴えることもあったが、行動の面では別に目立ったところはなかったという。(代案)

 次の部分の最初のふたつの訂正箇所は、事実関係に関わる誤訳です。おそらくこの頃、兄は19~20歳ぐらい、アンネは17歳ぐらいとなるでしょうか。残りは細かいところですが、「いい子」は60頁の「いい子」と訳語を揃えました(原文でも二重山括弧で強調されていますから、母親の表現そのままなのでしょう)。

一九六二年、アンネは商業実習を終えて、当時兄が大学に通っていたX市のある会社に就職した。時おり家に帰っては、自分がまだ《ほんの子供》で、《いろんな面で人におくれている》といって悩んでいたらしい。(61頁)

一九六二年、アンネは商業実習を終えて、同時期に兄が大学に通いはじめたX市のある会社に就職した。そこから時おり家に帰っては、自分がまだ《いい子ちゃんで、《あらゆる遅れを取り戻さ》なければ、と訴えていたらしい。(代案)

 単に「遅れている」とか「成熟していない」というだけではなくて、「遅れを取り戻さなければならない」「成熟しなければならない」という強迫的なニュアンスを含む訴えもアンネの特長ですが、そのように訳されていない箇所がなぜか多いのです。次回以降も出てきます。

 次も細かいところですが、アンネが家に関して訴えていたことを強調しておきます。これはこの後にも関連箇所があります。なお、「住まい」と訳した語「Zuhause」は、形からいってもちろん家と関連した語ですが、故郷とか団らんの場といったニュアンスをもつようです。

くつろげる家庭がない、《もうそろそろ安らぎの場が欲しい》というのが彼女の口ぐせであった。事実母親はそれをかなえてやることができなかった。(61頁)

くつろげる家庭がない、《もうそろそろ住まいが欲しい》という訴えが彼女の口ぐせであった。事実母親はそれを与えてやることができなかった。(代案)

 次ですが、「unverstaendlich」という語は、精神病理学、特にヤスパースの本などではふつう「了解不能」と訳されます。

彼女の話は結局理解されずじまいだった。しかし母親は、この悩みはアンネが無邪気すぎて、同じ会社のふつうの平凡な女の子たちといっしょにやっていけないためだと考えた。(61頁)

彼女の話はみな全く了解不能なままだった。しかし母親は、この葛藤はアンネが無邪気で子供っぽすぎて、同じ会社のふつうの軽薄な女の子たちといっしょにやっていけないためだと考えた。(代案)

 そもそもこの本のタイトルにもある「Selbstverstaendlichkeit」という語は「自明性」と訳されたり「あたりまえ」と訳されたりしていますが、そこにも「了解可能verstaendlich」という語が含まれています。関連は頭に入れておくべきと思います。なお、同年代の女性たちを「軽薄」と表現するあたりは、母親の傲慢な考え方を反映していると思います。

 次は、邦訳では段落途中の一文ですが、原書ではここから別の段落になっています。

 その町で彼女は四週間化学工場で働いたが、もはや勤務に耐えられる状況ではなくなっていて、毎晩帰宅するごとに、自分は《人間として》だめだ、問題が次から次へと出てきて、わからなくなってしまう、自分は《立場》がはっきりしていない、《しっかりした》人間でないから今の仕事は無理だ、などといって悩むようになった。(61頁)

 その町で彼女は四週間化学工場で働いたが、もはや勤務に耐えられる状況ではなくなっていて、毎晩帰宅するごとに、自分は《人間的に》やっていけない、問題が次から次へと出てきて、手にあまる、自分は《立場》がない、《成熟した》人間でなければ今の仕事は無理だ、などといって悩むようになった。(代案)

 「手にあまるnicht bewaeltigen koennen」は、2段落前、邦訳では8行前に登場したときの訳語に揃えました。というのも、本書の他の箇所で「わかる」と訳されているのは別の語「verstehen/wissen」であり、これらは本書全体のキーワードでもあるので避けたかったからです。それと、「人間的に」はアンネが口癖のように語る言葉ですし、成熟しているかどうかもアンネがこだわるテーマの一つですので、やはり直訳で残しておきます。「やっていけない」は邦訳157頁で再掲される際の表現に合わせました。

なにをたずねても、ただ《自分はとにかく人間として役に立たない》という答えが繰り返されるばかりで、具体的にはこれといった理由がみつからなかった。アンネ自身は住み込みの家政婦として働いたらあるいはうまくやれるかもしれないと思っていたが、職業安定所はある託児所を紹介してきた。(62頁)

なにをたずねても、ただ《自分はとにかく人間的にやっていけない》という答えが繰り返されるばかりで、具体的にはこれといった理由が話に出なかった。アンネ自身はどこかの家庭で、家族の一員として扱われながら働いたらあるいはうまくやれるかもしれないと思っていたが、職業安定所はある託児所を紹介してきた。(代案)

 「人間的にやっていけない」は、上にも出てきたように、邦訳157頁の表現に揃えました。

 「家庭で、家族の一員として扱われながらin einem Haushalt mit Familienanschluss」というのは、61頁の引用箇所にもあったように、アンネがずっと「家庭Familieがない、《もうそろそろ住まいZuhauseが欲しい》」とこだわっていたことと関連していると思われます。家政婦に向いていると思ったわけではないでしょう。

 次は「bei jm setzt es aus」という非人称の成句についてです。

すべてがうまくいき、やっとこれで一息つけようかという時になって、あの子はそれ以上進めなくなったのです。(62頁)

すべてがうまくいき、やっとこれで一息つけようかという時になって、あの子のなかで何かがぷつんと切れてしまったのです。(代案)

 「bei jm setzt es aus」は学習辞典には載っていませんが、小学館の独和大辞典で「…は我を忘れる」「自制心を失う」とあります。aussetzenのもとの意味(停止する)も汲んで、上記のように訳してみました。

 次も細かなところですし、アンネの診断とは関係ありませんが、面白いと思ったので挙げておきます。

-このようなことを主治医に物語ったアンネの母親は、「教養」とか公衆道徳とか言うことについて非常に確固とした信念を持っていて、たいへんに厳しく、あまり融通のきかない母親だという印象を与えた。(62頁)

-このようなことを主治医に物語ったアンネの母親は、「教養」とか公衆道徳とか言うことについて非常に確固とした信念を持っていて、たいへん鼻につき、あまり融通のきかない母親だという印象を与えた。(代案)

 次回からはアンネ自身が語った生活歴です。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

*この記事をアップした後、邦訳157頁の訳文「やっていけない」を参照して二箇所編集しました。

2014年1月13日 (月)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その2(改)

 前回予告したように、本書で扱われている症例アンネ・ラウの人となりや発言などに関する記載の邦訳を見直していきましょう。今回はⅤ章の『病歴と面接記録』の最初の節、母親から聴取した部分の前半(58頁から60頁途中まで)をみていきます。

 この症例は、著者ブランケンブルクによって寡症状性統合失調症の例として論じられていますけれども、最近はこの診断に疑問が投げかけられ、少なからぬ論者が、現代の目で見れば広汎性発達障害(=自閉症スペクトラム障害)に属するのではないかと指摘しています。そうした鑑別を考える上では、アンネの性格特徴や生活歴のちょっとした部分が非常に重要になってきますし、遺伝や環境についても考えるため両親の人となりについても注意を払わねばなりません。母親の話しぶりには少し奇異なまでの冷静さがあったことは著者ブランケンブルクも明記しています。

 とりあえず順々に見ていきましょう。まずは細かいところですが、父親の地位、家庭の生活水準にも関わるところの誤訳です。こういう些細な箇所から、我われがこの家庭について抱くイメージ全体が変わってきます。

両親は以前東ドイツに住んでいて、父親は工場主だった。(58頁)

両親は以前東ドイツに住んでいて、父親は職工長だった。(代案)

 なお、父親が職工長だったという記述は、西ドイツへの移住後のことのように私は読みました。次は母親の人となりが分かる箇所。

弟が高校の卒業試験をうけた時のこと、彼は筆記試験でまずまずの成績をおさめたのだったが、母親としては物足りないらしく、口頭試験では良い成績をとってなんとか挽回しなきゃだめよ、と小言をいった。(58頁)

のちに弟が高校の卒業試験をうけた時のこと、彼は筆記試験で1と2《だけ》しかない成績をおさめたのだったが、母親はやや不満げに、口頭試験では良い成績をとってなんとか挽回しなきゃだめよ、と小言をいった。(代案)

 1と2だけの成績、とは、良い方から二つの評価だけということですから、日本語で言えば、秀と優だけの成績、ということになるでしょうか。『だけnur』は原文で二重山括弧で強調されていますし、この成績に不満げな母親の発言は、やはり著者の目を引くものであったのでしょう。

 次は単なる訳し落としです。しかしこれを補うと、移住による父親の心理変化などが想像されてやはり活き活きと伝わってきます。

父親はだんだん家族のことをかまわなくなり、やがて年上の《幼稚な》女とねんごろになったが(58頁)

西ドイツへ移住後、父親はだんだん家族のことをかまわなくなり、やがて年上の《幼稚な》女とねんごろになったが(代案)

 次はアンネ自身の特徴についての記載ですが、邦訳ではだいぶソフトに表現されてしまっているところです。

小さい時から行儀のよい、物静かな子で、ほとんど楽しそうな顔をせず、同じ年頃の子供たちともあまり遊ばなかった。(59頁)

小さい時から行儀のよい、物静かな子で、全く楽しそうな顔をせず、同じ年頃の子供たちともほとんど友達を作れなかった。(代案)

 ここの母親の陳述を読めば、アンネは邦訳が伝えるよりもいっそう風変わりな子供だったようです。なお、この直前では、歩行も言語発達も遅かったことが明記されています。

 次の箇所は、父親の残忍さに対する子供たちの態度を論じた段落の一部分ですが、原文とは微妙にニュアンスの違う表現がいくつか含まれます。なお、父親の身体的暴力はかなり小さい頃だけだったようです。

アンネだけが《のろまで愚図》だったため、父親の乱暴を《一身にかぶらなくてはならない》はめになった。実際彼女は、何もかも一人で背負い込まなくてはならなかった。(59頁)

アンネだけが《のろまで愚図》だったため、全てを《降りかかるがままに任せていた。実際彼女は、あらゆる目に遭わされた。(代案)

 次の部分の邦訳の「何も感じないかのように」は、感覚の鈍さの問題のようにも読めてしまいますが、原文では『Schlafhaltung』(Schlaf=睡眠、haltung=姿勢、態度、落ち着き)でして、感覚について言及はなく、むしろ態度を描写しています。ただしこの語を平易に翻訳するのは非常に難しいので、代案では、原文にないニュアンスを加えることを避けて無骨な直訳にしておきます。平易に表現するなら「まるで眠っているかのように」ぐらいでしょうか。

家が狭いため逃げ場がなかったという事情もあるのだが、まるで何も感じないかのように、なすがままにされていたという。(60頁)

家が狭いため逃げ場がなかったという事情もあるのだが、一種の睡眠態度で、なすがままにされていたという。(代案)

 最後は、学校の制度に関わるところです。病歴全体には、アンネは高校(ギムナジウム)を中退したように書かれている箇所と、卒業したように書かれている箇所の両方があって、私ははじめ読んだ時よく分かりませんでしたが、ブリタニカ国際百科事典によると、ギムナジウムは「通常は19~20歳で卒業するが、16歳で終了し職業学校に転校することもできる」とのことです。これを踏まえると、以下の箇所は元の訳のままでも分かりますが、とりあえず母親の表現通りの直訳も示しておきます。(この記事を掲載した時点では電子辞書の独和辞典のみを参考にしていましたが、あとになってEinjaehrigeという語の名詞形が独英辞典に載っていることに気付き、その記載(school-leaving examination taken after six years at secondary school)を生かして2014年1月16日に訂正いたします)

14歳頃までは成績も良かったが、15歳頃から数学が難しくなり、成績がやや下がった。それだけでもう母親は、これ以上の学校に進ませても意味がないだろうと考えてしまった。何よりも経済的な事情のこともあって、進学をあきらめる以外に道はなかったのである。(60頁)

14歳頃までは成績も良かったが、15歳頃から数学が難しくなり、成績がやや下がった。それだけでもう母親は、[ギムナジウム(7年制または9年制)の6年修了時に受ける]卒業試験よりも先は学校にとどまっても意味がないだろうと考えてしまった。何よりも家庭の事情のこともあって、他の選択肢はなかったのである。(代案)

 この箇所からは母親の考え方の極端さもうかがえるような気がします。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11) 

2014年1月 9日 (木)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その1(改)

 最近、原書と見比べながらちょっとずつ読み直してますが、今回はまず訳文の意味が真逆になるぐらいの大きな間違いに気付いたところをいくつか挙げましょう。なお、以下でアンネというのは、本書で取り上げられている有名な症例アンネ・ラウのことです。

こうしたアンネの性格全体からすると、彼女は周囲に対し赤ん坊のように甘えることを願っているように見えたが、これはしかし、最初から果たされる見込みのない願いでもあった。(67頁)

こうしたアンネの性格全体からすると、彼女は、母のように配慮の行き届いた態度で接してやろうという気を周囲の者におこさせるさまに見えたが、それ[=そのような態度]はしかし、最初からうまく行く見込みのなさそうなことでもあった。(代案)

(後日、クラウン独和辞典に『von vornherein zum Scheitern verurteilt sein』というひとまとまりで『最初から失敗すべき運命にある』という訳を見つけたので採用し、ほか、『ueber過剰』という表現のニュアンスを見落としていたので付け加え、次のように改案しました。

「こうしたアンネのあり方全体からすると、彼女は周囲に対し、過保護な母のような態度で接してもらおうとしているように見えたが、しかし同時に、そうした態度も最初から失敗すべき運命にあるように見えた」。

この前後の検討も含め2014年2月10日の記事を参照ください。)

 上は非常に訳しにくい構文ではありますが、いずれにせよ、「うまく行く見込みのない」とされているのは、アンネの願いではなくて、周囲の者が持つ、世話をしたいという母性的な気持ちのほうです。

 次はケアレスミスでしょうか。前後の文とのつながりから気づきそうなものです。

以下に再録するのは、大部の資料から抜粋し、読者にとって当面の参考になるようにまとめたものである。その選択は無作為になされた。そうでもしなければ、正確な印象を伝えようとして、抜粋はずっと膨大なものにならざるをえなかっただろう。(邦訳72頁)

以下に再録するのは、大部の資料から抜粋し、読者にとって当面の参考になるようにまとめたものである。その選択は無作為ではない仕方でなされた。そうでもしなければ、正確な印象を伝えようとして、抜粋はずっと膨大なものにならざるをえなかっただろう。(代案)

 次で今回は最後です。ここも、書物全体の趣旨を考えればおかしなところです。

自分に欠けているこのちょっとしたもの、大切なものというのは、あることを知っているその知り方がまったく《自明であるといった》ほどの確かな知識のことではないとアンネはいう。(邦訳104頁)

自分に欠けているこのちょっとしたもの、大切なものというのは、そもそも、特定の知識とかいうよりはむしろ、あることを知っているその知り方がまったく《自明であるといった》ことだとアンネはいう。(代案)

 症例アンネの人となりや、語った台詞に関わる訳文については、診断にもかかわる重要なところなので、次回以降取り上げられるよう詳しく読んでみようと思います。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

 原書のこの本は2012年から再び新刊として入手容易なようです。ちなみに原書の副題は「寡症状性分裂病の現象学」ですが。

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