« ブランケンブルク『自明性の喪失』その5 | トップページ | ブランケンブルク『自明性の喪失』その7 »

2014年2月10日 (月)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その6

 今回からは『入院時の所見』の訳文の検討に入ります。まず冒頭の文。

患者の体型はがっしりした肥満型。内科的、神経学的には病的所見なし。(67頁)

 ここは原文に書かれた情報をもとにかなり自由な語順で訳されているのですが、患者の年齢が「20歳」という情報が抜けています。

 次からは長い引用が続きますがご容赦ください。まず、このブログで『自明性の喪失』を扱った1回目にも紹介した印象的な箇所(「明瞭な部分的発達遅滞」云々)を含む箇所です。

精神的にも、一見したところ外面的には、問題のない、気だてのよいふつうの東独生まれの女の子のように思われた。この印象は誤りであった。鈍重といってもいいほどの平凡な外観の背後に、極度に敏感でもろい精神構造と、人格の著明な部分的未熟さがひそんでいることがわかった。からだが小さいとか知能が低いとかいうのではなく、精神的な発育と自我の発達の点で、患者は驚くほど幼い印象を与えた。(67頁)

精神的にも、一見したところ外面的には、単純で情緒豊かな東独生まれの女の子の類型のように予想された。この印象は誤りであった。ややがっしりとした目立たない外観の背後に、敏感で極度にもろい精神構造がひそんでいた明瞭な部分的発達遅滞があったからだがとか知能がとかいうのではなく、精神的な発育と自我の発達の点で、患者は驚くほど未熟にみえた。(代案)

 次もすでに紹介しましたが、明瞭な誤訳を含みます。そこは今回、クラウン独和辞典に「von vornherein zum Scheitern verurteilt sein」というひとまとまりで「最初から失敗すべき運命にある」という訳を見つけたので採用してみました。途中、「zugleichしかし同時に」という表現があえて繰り返し使われているので、訳文でも残しました。

こうしたアンネの性格全体からすると、彼女は周囲に対し赤ん坊のように甘えることを願っているように見えたが、これはしかし、最初から果たされる見込みのない願いでもあった。この頼りなげなあどけなさの反面には、わがままで気持ちが通じないという印象も同居していて、あまり釣り合いがとれていない印象を与えた。つまり、自閉的な自己中心性と無防備の無邪気さとが、また極度の閉じこもりと周囲のなすがままにまかせる主体性のなさとが同時に併存していてこの矛盾がひどく特徴的であった。このような人格像は、退行とはいえないまでも、高度の発達遅滞を考えざるをえないものであったが、ヒステリー性幼稚症特有の顕示傾向は見られなかった。(67頁)

こうしたアンネのあり方全体からすると、彼女は周囲に対し、過保護な母のような態度で接してもらおうとしているように見えたが、しかし同時に、そうした態度[で接して]も最初から失敗すべき運命にあるように見えた一面では助けを求めているがしかし同時にわがままで傲慢で気持ちが通じないさまも同居していて、あまり統一がとれていない印象を与えた。むしろ、こうした“しかし同時に”が支配的であった。つまり、自閉的な自己中心性と無防備の率直さとが、また極度の閉じこもりと周囲のなすがままにまかせる剥き出しなさまとが同時に併存していてこの矛盾がひどく特徴的であった。このような[人格]像を考慮に入れれば、退行とはいえないまでも、粗大な発達遅滞を考えざるをえず、ヒステリー性幼稚症特有の顕示傾向は見られなかった。(代案)

 次は細かいところばかりですが内容的に面白いところを含みます。

彼女の感情状態は非常に不安定で、全体的な抑鬱気分は認められないのに、いつもすぐに突然の、「状況にそぐわない」絶望的な不機嫌さにおちいった。そのような不機嫌を起こすきっかけは、いつもごくささいなことだった。それはきまって日常ありふれたちょっとしたことだったが、それはまた、その人が日常生活の自明性の中に根をおろしているかどうかがはっきり読み取れるような事柄でもあった。彼女を不機嫌にさせるのはこの事柄自体ではなく、それに触れて自分の《欠点》をあらためて意識しなくてはならないということのほうであった。ときおり、若い女の子によくあるびっくりするような大笑いが始まり、なにもかも笑いとばしてすませてしまうという様子だった。その底にある疳高い、熱におかされたような調子から、ようやくその笑いの防衛的な性質が気づかれるのであった。(67頁)

彼女の感情状態は非常に不安定で変わりやすく、全体的な抑鬱基底気分は認められないのに、いつもすぐに、突然襲いかかる、「状況にそぐわない」絶望的な不機嫌さにおちいった。そのような不機嫌を起こすきっかけは、いつもごく平凡なものだった。それはきまって日常ありふれたちょっとしたことだったが、それはまた、日常生活の自明性の中に根をおろしているということがはっきり読み取れるような事柄であった彼女がきっかけとして挙げるのはこの事柄自体ではなく、それに触れて自分の《障害》をあらためて意識しなくてはならないということのほうであった。ときおり、若い女の子によくある止めどない甲高い大笑いが始まり、なにもかも笑いとばしてすませてしまうという様子だった。その底にあるどぎつい、せわしない調子から、ようやくその笑いの防衛的な性質が気づかれるのであった。(代案)

 上を読むとアンネは、「日常生活の自明性のなかに根をおろしていることがはっきり読み取れるような事柄」をみると、自分の障害(つまり自明性が失われてしまったこと)をあらためて意識して不機嫌になる、というわけですから、いったいアンネは自明性を把握することができるのかできないのか、非常にわかりにくいところです。そもそもアンネは「自明性」という語を普通の意味で使っていないのかもしれません。

 次はアンネの様子についての細かい訂正です。

会話はすぐに、いつ終るともわからないひとりごとになっていった。何ヶ月もの間、患者は同じ悩みと同じ疑問をいやになるほど根気よく、単調に繰り返し続けた。(68頁)

会話はすぐに、いつ終るともわからないひとりごとを喋り続けた。何ヶ月もの間、患者は同じ訴えと同じ疑問をいやになるほど冗漫に、単調に繰り返し続けた。(代案)

 次は、「自明性Selbstverstaendlichkeit」という語のなかに「了解可能verstaendlich」という語が含まれていることを明示したいところです。

それはまず、彼女自身のいう《自然な自明性の喪失》についてであり、母親も他の人も理解できないということであり、根本から《劣っている》ということであった。彼女は、自分の状態をできるかぎり正確につかみとり、自分自身に対しても医者に対してもわかるような言葉にして表現しようとして、繰り返し繰り返し懸命に努力しているのがよくわかった。(68頁)

それはまず、彼女自身のいう《自然な自明性の喪失》についての訴えであり、母親も他の人も了解できないということであり、根本から《劣っている》ということであった。彼女は、自分の状態をできるかぎり正確につかみとり、自分自身に対しても医者に対しても把握できるようにしようとして、繰り返し繰り返し懸命に努力しているのがよくわかった。(代案)

 今回は次が最後です。「あたりまえ」と訳されている語は例によって本書の他の多くの箇所で「自明性」と訳されている語と同じです。

彼女はいつも自分の《疑問》に対する答えをほしがっていた。それは、大人になるとはどういうことか、自分のどこが悪いのか、ごくありふれたことばの意味や日常生活のちょっとしたあたりまえのことなどがどうしたらわかるのかといった疑問だった。(68頁)

彼女はいつも自分の《疑問》に対する答えをほしがっていた。それは、大人になるとはどういうことか、自分のどこが障害なのかさらには、ごく普通の概念や日常生活のちょっとしたあたりまえの[=自明な]ことなどがどうしたらうまく扱えるのかといった疑問だった。(68頁)

 ここを読むと、やはりアンネは自明なことそのものは把握できているようです。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

« ブランケンブルク『自明性の喪失』その5 | トップページ | ブランケンブルク『自明性の喪失』その7 »

精神病理学」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ブランケンブルク『自明性の喪失』その6:

« ブランケンブルク『自明性の喪失』その5 | トップページ | ブランケンブルク『自明性の喪失』その7 »

2021年12月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ