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2014年2月20日 (木)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その8

 今回から『面接記録とその後の経過』(71頁~)の翻訳の検討に入ります。

 まずは、前置き的な部分から。当ブログで『自明性の喪失』を検討しはじめた「その1」の記事でもすでに取り上げた箇所ですが、次のように、原文と訳文の意味が真逆になっています。

以下に再録するのは、大部の資料から抜粋し、読者にとって当面の参考になるようにまとめたものである。その選択は無作為になされた。そうでもしなければ、正確な印象を伝えようとして、抜粋はずっと膨大なものにならざるをえなかっただろう。(邦訳72頁)

以下に再録するのは、大部の資料から抜粋し、読者にとって当面の参考になるようにまとめたものである。その選択は無作為ではない仕方でなされた。そうでもしなければ、正確な印象を伝えようとして、抜粋はずっと膨大なものにならざるをえなかっただろう。(代案)

 次は小さな訳し落としです。

少なくとも最初のうちは、よくことばがとぎれ、同じことばがいつまでもいやになるほど繰り返されたので、それをいちいち書き写したのでは数倍の紙面が必要になる。(73頁)

少なくとも最初のうちは、よくことばがとぎれ、同じことばの断片がいつまでもいやになるほど繰り返されたので、それをいちいち書き写したのでは数倍の紙面が必要になる。(代案)

 ここまでが前置きで、次からは実際の面接記録です。
 次の箇所に出てくる「居合わせるdabei sein」という表現はアンネが口癖のように繰り返す表現なので、同じ訳語で通そうと思います。やや不自然な箇所もありますが、そもそもアンネは、言語新作さえあったと書かれているほど奇異な語り方であったようですから、むしろ翻訳の際に、自然な文を心がけての省略や意訳を行ってはならないはずです。

家でお母さんとは人間的にやっていけません。それだけの力がないのです。そこにいるというだけで、ただその家の人だというだけで、ほんとにそこにいあわせているのではないのです。私には指導的な関係というようなものが -それがはっきりしていないと、ほかのこともできませんから …たとえばある家族とかある一人の女の人とかとの指導的関係が必要なんです。(73頁)

家でお母さんとは人間的に居合わせていませんでした。それだけの力がなかったのです。そこにいるというだけで、ただそこの人だというだけで、ほんとにそこに居合わせているのではないのです。私には指導的な関係というようなものが -私がはっきりしないときそれ[指導的関係]がないともうやれませんから …たとえばある家族とかある一人の女の人とかとの指導的関係が必要なんです。(代案)

 次は本当に細かいところですが。

なにもかもなくしてしまわないように、いつも気をつけていなくてはならなくなったのです。生きていくということは、そのひとの(これは明らかに母親あるいはそれにかわる人のことをさしている)やりかたを信頼することです。(73頁)

今は、なにもかもなくしてしまわないように、いつも気をつけていなくてはならなくなったのです。生きていくということは、彼らの(これは明らかに母親あるいはそれにかわる人のことをさしている)やりかたを信頼することです。(代案)

 今回はひとまずここまでにしましょう。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

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