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2014年2月 4日 (火)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その5

 前回に続いて、『アンネ自身の追想』の翻訳を扱います。今回は後半です。細かな訂正箇所が続き、大幅な意味の違いはないのですが、アンネの様子を正確にイメージするために、またこの前後の箇所との訳語の統一のために、必要とおもわれる箇所を取り上げていきます。

 まずはアンネのちょっとした言動から。

両親の離婚が彼女にとって悲しいことだったかと問われた時、アンネは熱にでも浮かされたような笑いを浮かべて、《いいえ、ちっとも。私にはどうでもいいことなの》とこたえた。(65頁)

両親の離婚が彼女にとって悲しいことだったかと問われた時、アンネはせわしなく吹き出して、《いいえ、ちっとも。私にはちくりともしないことなの》とこたえた。(代案)

 「ちくりともしない」と直訳した箇所は、むしろ「痛くもかゆくもない」という日本語表現がぴったりとおもいましたが、「痛いweh」という表現が後ろの頁でキーワードとして出てくるので避けました。

 次の箇所では、これまでも何度も出てきたように、「人間的」「取り戻さなければならない」といったアンネが繰り返す決まり文句について訳語を揃えるべきです。他にも細かい点がいくつかあります。

その職場はちっとも楽しくなかった。仕事は結構面白かったが、《人間関係がとてもむつかしく》彼女には耐えられなかった。ほかの人たちが変な目で彼女を眺め、彼女がすこしおかしいことに気づいているようだった。彼女は、自分は、自分はまだ精神的な成長がおくれているのだ、自分はまだ子供なのだと考えた。《それにこの職場で私は何者でもない…人間として一人前ではないのだ》と彼女は考えた。(65頁)

その職場はちっともめぐまれなかった。仕事は結構面白かったが、《人間的にはとてもむつかしく》彼女には耐えられなかった。ほかの人たちがしばしば変な目で彼女を眺め、彼女がなにかおかしいことに気づいているようだった。彼女は、自分は、自分はまだ精神的な発達の遅れを取り戻さなければならない、自分はまだ子供なのだと考えた。《それにこの職場で私は何者でもない…一人前の人間ではないのだ》と彼女は考えた。(代案)

 次もアンネの強迫性を伝え損ねているところです。「考えねばならぬ」という表現の訳は邦訳91頁に揃えました。それと、原文で二重山括弧で括られている箇所は、おそらく陳述された表現のうち著者が特記すべきと考えた箇所でしょうから、訳文でも残すべきです。

しかし、そこでもやはり仕事にうちこむことができず、これまでと同じように、いつも「考えごと」ばかりしていた。いろいろな考えや疑問が頭の中にいつも住みついていた。(65頁)

しかし、そこでもやはり仕事にうちこむことができず、これまでと同じように、いつも「考えねばならぬばかりがあった。いろいろな考えや疑問がいつも《自分と共に》あった。(代案)

 次の冒頭の「Selbstverstaendlichkeit」ですが、訳書では、ここのように「あたりまえ」と訳す場合と、書名にもある「自明性」という漢語に訳す場合とが入り混じっていて、どう訳し分けられているか基準ははっきりしません。

《あたりまえ》(Selbstverstaendlichkeit)ということが彼女にはわからなくなった。《ほかの人たちも同じだ》ということが感じられなくなった。人はどうして成長するのかという疑問が、頭から離れなかった。(65頁)

自明性=あたりまえ》(Selbstverstaendlichkeit)ということが彼女には失われてしまった。《ほかの人たちも同じだ》のようには感じられなくなった。人はどう成長するのかという疑問が、頭から離れなかった。(代案)

 次は、これまで何度も出てきた「了解」という語、書名にもある「自然」という語についての訂正点のほか、疑念や関係念慮のニュアンスに関わる訂正点です。

なにごとも理解できなくなり、なにをしてもうまくゆかなかった。彼女はなにひとつ信じられなくなった。神も信じられず、《他人との関係も》、《自分の立場も》、信頼も、もちろん母親に対する信頼も、それに対人関係も、何もかもすっかり消えてしまった。道で人が集まっているのに会うと、《私がそういった疑問を持っているということをその人たちがすぐに見抜いてしまう。でもそれが他人にわかるということはちっとも不思議なことじゃない》という妙な感じをいだくことがよくあった。この「妙な感じ」は母親に対しても生じた。《お母さんだって -お母さんの目なんです。私にはお母さんがまるでわからない》と彼女はいう。(66頁)

なにごとも了解できなくなり、なにをしてもうまくゆかなかった。彼女は全てを疑った。神も疑い、《他人との関係も》、《自分の立場も》、信頼も、もちろん母親に対する信頼も、それに対人関係も、何もかも持っていなかった。道で人が集まっているのに会うと、《私がそういった疑問を持っているということをその人たちが見抜き、気づいているということが私にはすぐに分かった他人が何かを見て取っているということは、自然なことだ》という妙な感じをいだくことがよくあった。この「妙な感じ」は母親に対しても生じた。《時にはお母さんだって -お母さんの目なんです。私にはお母さんがまるで了解できない》と彼女はいう。(代案)

 次が最後です。「構えStellungnahme」の語はヤスパースの訳書などでの定訳に合わせましたが、平易に訳すなら「捉え方」ぐらいでしょう。

患者の気持ちは最初のうちはまるではっきりしなかった。すぐまた自殺を企てることはないかもしれませんが、死がずっと私を《ひきつけてはなさない》んですと彼女は言った。(66頁)

患者の構えは最初のうちはきわめて皮相的だった。すぐまた自殺を企てることはないかもしれませんが、死がずっと私には《まさしく好ましかった》んですと彼女は言った。(代案)

 ところで私はこのところテレビで「当たり前体操」を見るとアンネ・ラウを思い出すようになってしまいました。反対にこの本を読んでいるとしばしば「当たり前体操」のメロディを思い出します。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)

Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

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