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2014年2月13日 (木)

ブランケンブルク『自明性の喪失』その7

 今回は『入院時の所見』の後半の訳文の検討です。

 まず次の箇所ですが、『保続的perseveratorisch』『滅裂Zerfahrenheit』『衒奇的manieriert』といった語は精神医学用語としての定訳があるのでそれを用いるべきです。一方、『すべてどこかへ行ってしまうalles weg』の箇所は、邦訳79頁の訳文の表現に合わせました

形式だけをとり出して問題にするならば、彼女の話しかたは、一生懸命にことばを探そうとし、同じことを繰り返したり途切れたりで、まるで支離滅裂に近いものとなることが多かった。一定のテーマでまとまった文章を作ることは不可能だった。ときどき話の筋道が失われることもあった。自分では考えが途切れる、急に《なんにもわからなく》なる、といっていたが、真の意味の思考奪取は確認できなかった。言語新作もときとしてみられた。苦労して標準語でしゃべろうとする傾向と、やや気取ったしゃべり方とが目についた。(69頁)

形式だけをとり出して問題にするならば、彼女の話しかたは、口ごもりながらことばを探そうとするばかりで保続的であったり途切れたりで、滅裂とすれすれのものとなることが多かった。特定のテーマについてはまとまった文章を作ることは不可能だった。しばしば話の筋道が失われることもあった。自分では考えが途切れる、急に《すべてどこかへ行って》しまう、と訴えていたが、真の意味の思考奪取は確認できなかった。言語新作もときとしてみられた。わざとらしく標準語でしゃべろうとする傾向がつねにあり、やや気取った衒奇的な特徴とが目についた。(代案)

 このあと引用する二つの箇所では強迫症状にも「させられ体験」にも類似した微妙な症状が描かれています。一般に、強迫症状を平易な言葉で(「○○するよう強いられる」のように)表現すると「させられ体験」の陳述に似たものとなってしまいますが、ここでのみすず版邦訳もそのような傾向にあって、大幅に「させられ体験」寄りの印象を与えるものになっています。

 とりあえず次の箇所では、『Gedankendraengen』には精神医学用語で『思考促迫』という定訳がある(訳書86頁ではこの語が採用されている)のでそれを用いましょう。これは濱田の『精神症候学』(弘文堂)によれば「考えが次々にまとまりなく浮かんできて抑えられないこと」だそうです。

考えが押し寄せてきて苦しいという体験があったが、このことにも患者ははじめのうちはそれとなく触れただけで、それがどういう内容のものなのかは詳しく話してくれなかった。(69頁)

苦しい思考促迫があったが、このことにも患者ははじめのうちはそれとなく触れただけで、それがどういうものなのかは詳しく話してくれなかった。(代案)

 次は、後年の多くの学者が注目して、「させられ体験」ではないかとか「自生思考」ではないかとか論じている箇所です。なお、ここで『押しつける』と訳されているのは『aufzwingen』という語であり、『zwingen=強迫する』を含む複合語です。

《空想といってしまってはあまり正確ではありません。とにかく、なにかが中から出てくるのです》 -(どんな内容なの)《たとえば他の人たちにみられたいろいろな反応とか…別にはっきりしたものではなくて…ほんのとりとめのない考えなんです》 -《いろいろな考えがおしつけられるんです。どのようにそれに逆らおうとしてもだめなのです》。しかし、それがだれかから押しつけられたものだとか、催眠術にかけられた感じだとかいうことは、はっきりしなかった。ただ、このことが話題になると、いつもは見なれないしかめ顔すれすれの表情の不自然な歪みや心の動揺が認められ、この体験が恐ろしいものであることがありありとうかがわれた。恐ろしいのは明らかにこの体験の内容ではなかった、。その内容がとるにたりないものであることは、彼女が何度もはっきりと述べている。恐ろしいのはむしろその体験の生じかた、つまり体験成立の形式的特徴らしかった。推察しうる限りにおいて、その空想というのは、彼女が他の人びとの態度や反応の仕方を -その場面全体のいろいろな細部までをも- 心の中で模倣するように強制されている、といったようなものらしかった。(69頁)

《空想といってしまってはあまり正確ではありません。とにかく、浮かび出てくる(herausgeloest)のです》 -(どんな内容なの)《たとえば他の人たちにみられたいろいろな反応とか…とりとめのないものでまるででたらめ(so ganz unvernuenftig)なんです》 -《私に押しつけられたのは、考えでした。それに対してはどうしても無力なのでした》。しかし、それがだれかから押しつけられたものとして体験されているとか、催眠術にかけられた感じだとかいうことにつながる手掛かりはなかった。ただ、このことが話題になると、いつもは見なれないしかめ顔すれすれの表情錯誤興奮が認められ、この体験が恐ろしいものであることがありありとうかがわれた。恐ろしいのは明らかに[この体験の]内容ではなかった、。その内容がとるにたりないものであることは、彼女が何度もはっきりと述べている。恐ろしいのはむしろその[体験の]生じかた、つまり体験成立の形式的特徴らしかった。明らかになった限りにおいて、そこで語られているのは、彼女が他の人びとの所作や反応の仕方を -その場面全体のいろいろな細部までをも- 心の中で模倣するような強迫を感じている、といったようなものらしかった。(代案)

 上ではherausgeloestとso ganz unvernuenftigの箇所に原語を残しましたが、それは本訳書86~87頁でこれらの表現が再び取り上げられて検討されており、そこでも原語が併記されているからです。
 『表情錯誤』と訳した『Paramimik』という精神医学用語は、濱田の『精神症候学』(弘文堂)によれば「抑制された、あいまいな表情」のことだそうです。

 あとは細かい訂正ばかりです。

要約すると、臨床観察も問診もテスト所見もすべて一致して、患者が自らの力では対処しえない状況につねにさらされていることを示している。彼女は遭遇するすべてのものから強い衝撃を受け、あらゆる不意の出来事が彼女の人格構造の統合に深い傷跡を残すのをいかんとも防ぎがたいようだった。彼女にとってはごく日常的なものほど動揺の原因となるらしく、このことは強迫性格者を思わすような生活領域および人格領域の全体の規格化や、表情がしばしば仮面のように硬直してしまうことからも推測された。(71頁)

要約すると、臨床観察も問診もテスト所見もすべて一致して、患者が自らの力では対処しえない状況につねにさらされていると体験していることを示している。彼女は遭遇するすべてのものから強い衝撃を受け、まったく無防備なようであり、あらゆる不意の出来事が彼女の人格構造の統合に深い傷跡を残すかのようだった。彼女にとってはごく日常的なものほど動揺の原因となるらしく、このことは制縛「性格]者を思わすような生活領域および人格領域の全体の規格化や、表情がしばしば仮面のように硬直してしまうことからも推測された。(代案)

 次が最後です。もとの邦訳でほとんど問題ないと思うのですが、「圧倒的に」のような言葉尻をとらえて、圧倒されるというのは統合失調症体験の特徴だとか考えられてはいけないので訂正しておきます。

知能や想像力はすぐれているのに、実生活での対処能力が全般に及んで低下していることや、体験領域全般が狭められて周囲とのつながりが表層的で非人格的なものになってしまっていることなどは、精神力動的にみれば、圧倒的に押しよせてくる体験内容に対する防衛機制と見なすことができた。(71頁)

知能や想像力はすぐれているのに、実生活での対処能力が全般に及んで低下していることや、体験領域全般が狭められて周囲とのつながりが表層的で非人格的なものになってしまっていることなどは、精神力動的にみれば、押しよせてくる制御不能な体験内容に対する主要な防衛機制と見なすことができた。(代案)

 今回の部分を検討しながら考えたのですが、精神病の「させられ現象gemachtes Phaenomen」などというときの「させられgemacht」という日本語訳はよくないですね。「○○させられる」というのは強迫症状にもあてはまる表現です。精神病の「gemacht」とは、意図に反して「○○している状態になってしまう」事態じゃないでしょうか。

自明性の喪失―分裂病の現象学 W.ブランケンブルク、木村 敏、岡本 進、 島 弘嗣  (1978/7/10)
Der Verlust der natuerlichen Selbstverstaendlichkeit Wolfgang Blankenburg  (2012/11)

追記(2021年4月3日)

 アンネは「標準語で話す」とありますね。自閉症の人は方言を話さないという説を知った後で読むと興味深いところです。もちろん、これでアンネの診断を確定できるわけではありませんが。

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